萌え体験談

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SM

夫婦円満のためのセフレ

45歳の会社員です。
ここ10年の事ですが、私には8人のセフレが出来、現在も5人と継続中です。
セフレとは割り切った体だけの関係ですが、私は、夫婦円満のためにセフレを活用しています。

私は5歳年上の妻と結婚して20年になります。
妻はかなりの美人で、23歳で旧家に嫁ぎましたが、旧家の性のしきたりに我慢が出来ず、2年で離婚しました。
そのしきたりが今でも続いているかは知りませんが、新妻の膣を最初に味わうのは家長であり、その後、新婚初夜は家族が四方から襖の隙間から新郎新婦の交わりを観察するのだそうです。
結婚後は夫だけでなく、義父や時には義父の父の寵愛も受けなければならず、その寵愛とは名ばかりで、竹竿に屈辱的な格好で括りつけられて凌辱の限りを尽くされたのだそうです。
妻は耐え切れず1年で逃げ出しましたが、いい家柄だから我慢しろと説得されて一度戻りましたが、逃げたことに対するお仕置きで凌辱行為が過激になり脱肛、半年後に再び逃げ出し、今度は医師の診察を受け、穴という穴を凌辱された上にDVが発覚し離婚成立したと聞きました。

妻とは仕事上のお付き合いでしたがあまりの美しさに私が惚れて、このカミングアウトを聞いても諦められず、結婚しました。
子供を二人儲け、すくすく育っていた10年前、妻が、「あの・・・私を求めてくれるのは嬉しくてありがたいのですが、子供の相手と家事、PTAにお義母さんの看病、お義父さんの面倒、ちょっと疲れてきて・・・」
「ごめん・・・苦労かけて・・・」
「ううん・・・前の旧家から比べたら天国よ・・・あのね、私、週1,2回なら喜んでお相手しますけど、週4回はきついです。もし・・・その・・・絶対に本気にならないで、妊娠なんかさせないと誓うなら、他所でなさっても・・・そのかわり、最低週1回は私を抱いてくださいね。」
私のセフレ人生がスタートしました。

セフレを選ぶのに気を付けたのは、婚外恋愛をする人妻や結婚願望のある独身女性に捕まらないことでした。
生活に不満がなく、ご主人のことも愛していて、でもセックスレスだという人妻が性欲を満たす相手を私に求めた場合と、恋人はいるが遠距離の若い女性をターゲットにしました。
現在は5人いるセフレですが、基本的に月に1~2回会う方が4人で、1人は年に1回しか会いません。

どこにでもいそうな生活感のあるごく普通の主婦が、恥も外聞も捨て去って、ご主人には見せられない快楽重視の淫乱セックスで逝き果てて、感極まって涙するとき、その人妻がとても綺麗に見えるのです。
艶っぽく乱れまくる三十路、四十路主婦がオンナに戻るとき、主婦ではなく人妻と言う言葉が相応しいと感じるのです。
ご主人が揉むために存在する乳房、ご主人の陰茎だけが侵入を許される膣、それらご主人の前ではあまりにはしたなくてできないであろう恥ずかしい格好で丸出しにして、いろんな淫具で責められて、みっともないほどに乱れ果ててグッタリと耽溺するのです。
その上で私の婚外不貞陰茎に掻き回されて、
「奥さん、どうですか?ご主人以外のチンポでヨガっちゃってますけど、このまま中で遺伝子暴発させてみますか?」
などと囁くと、
「ヒャーッ!それだけは止めてぇーーー後生だからぁーーー」
と言いつつ、腰は別人のようにクネクネ快楽を貪っているのです。
もちろ中になど絶対に出しませんが・・・
セックスは好きですが会う頻度はほどほどのほうが、お互いに情もわかず、新鮮な関係でいられますからね。
どこにでもいる平凡な主婦が、ラブホでだけオンナに戻る瞬間が好きですね。彼女たちも結婚生活にメリハリがついていいそうですよ。

遠距離で彼氏持ちの女の子も似たような感じですね。
彼女達は彼氏と常に一緒ではないので、一夜を明かすこともできます。
もちろん妻には出張だとウソを言いますが、多分気づいていると思います。

そして、年に1回しか会わないセフレは、8年前に私たち夫婦の住む街で大学生活を送るためにやってきて、4年間1人暮らししていた姪っ子です。
姪っ子と言っても妻の姉の娘なので血縁関係ではありません。
姪っ子の処女は姪が19歳の時にいただきました。
4年の間、彼氏もできたようですが、私には週1,2回抱かれていましたから、私は18歳年下の女子大生の若い性を300回くらいは楽しんでいたことにあんります。
姪っ子は、卒業して親元に帰りましたが、年に1回、私に抱かれます。
毎年同じ温泉地で逢引して、同じ旅館に泊まること5年、それも今年が最後でした。
姪っ子は来年3月、人妻になります。
先月初め、いつもの駅で待ち合わせて、川のほとりを歩いて旅館へ向かい、毎年同じ散策路を散りゆく紅葉の中を歩きました。
結婚すること、彼氏の事、来年は見られない景色だということ・・・最後だねと言いながら、寂しくもあり、でも、心のどこかでホッと安堵のため息もついていた私でした。
部屋付の露天風呂に二人で入り、山間なのになぜか豊富の海の幸に舌鼓を打ち、お酒を飲んでほろ酔い気分で8時頃から最後の叔父姪セックスをしました。
27歳の姪っ子は、いつしか女の色気が滲み出るようになっていました。
姪っ子の乳房にたっぷりと最後の叔父精液かけて、再び風呂に入って、男女の関係を清算し、旅館のロビー脇のバーで普通の叔父と姪になって姪の結婚を祝福しました。

翌朝、ローカル線の気動車の窓から身を乗り出すように手を振る姪を見送った後、反対方向へ向かう列車に乗って、もう、二度と来ることはないであろう駅に別れを告げました。
ということは、セフレは現在4人ということになりますか・・・

夫婦のハメ撮り記録

私50歳、妻の幸恵48歳、結婚24年の夫婦です。
私高3童貞、幸恵高1処女で初体験した仲ですが、進路の違いで一度別れて、私23歳、幸恵21歳の時に再会、あまりにも美しい女性になっていた幸恵に再び惚れて二度目の告白、結婚に至りました。
高校時代はショートヘアの可愛い女の子だった幸恵は、21歳ではセミロングで透明感のある美人になっていました。

そんな私達は、結婚してから時々セックスを撮影していました。
最初、幸恵はあまり乗り気でありませんでしたが、
「自慢の美人過ぎる妻との愛の軌跡を残しておきたいんだ。」
などと、当時流行っていたトレンディドラマ風に言ったら喜んで撮影させてくれました。
子供が生まれる前は、当時幸恵が務めていた会社の制服、高校時代のセーラー服など、コスプレもしました。
ハメ撮りは、撮影するのもいいですが、それを編集するときも興奮モノです。

結婚24年過ぎた現在でも、年に数回はハメ撮りをする仲良し夫婦ですが、先日、増え続けたメディアの整理をしました。
初期のハメ撮りは、8ミリビデオをVHSに編集していましたが、12年前に、中身を厳選してVHSからDVDへダビングして整理しました。
今回は、BDへダビングして枚数を減らそうと思い、PCで再生したら、幸恵と二人で思わず見入ってしまいました。

24歳の幸恵のセーラー服姿はちょっと無理があるかと思いきや、画像が荒いせいで曖昧な輪郭になるからか、とても清楚な美少女に見えました。
セーラー服のままセックスして、悶える幸恵を見て、高校時代の初体験を思い出しました。
素人の生々しいハメ撮りは、AVには無いリアルなセックスなので、エロさよりも溢れる愛情で微笑ましく見えました。
と同時に、若い二人のセックスは、今と比べて激しく荒削りな印象もありました。
美しい幸恵が、バックや正常位で私に激しく突かれ、喘ぎ悶える表情がたまりません。
私に跨って、セーラー服のスカーフを揺らせて激しく腰を振って快楽に浸る美しい幸恵の恍惚の表情に50歳の陰茎が勃起してしまいました。

30代になってくると、アナログでも画質がかなり向上してきましたが、娘が生まれてからなので、ハメ撮りも月1,2回、セックスの内容も次第に大人しくなっていきました。
40代になって、ハイビジョンのおかげで画質が劇的に良くなり、幸恵のドドメ色の陰唇のシワまではっきり映る代わりに、加齢の具合もはっきり映し出されるようになりました。
そんな時、幸恵の短大時代の友達の美咲さん夫婦が転勤で近所に越してきて、家族ぐるみのお付き合いが始まりました。
美咲さん夫婦が越してきて1年くらいすると、子供を置いて4人で呑みに出かけたりするようになり、酔って夫婦の性生活の話に及ぶと、美咲さんが、
「最近、ハイビジョンのビデオカメラを買ったのよ。そしたらね、この人、夫婦の営みを撮影してるのよ~。もう、止めてよね~と思ったんだけど、見たら結構凄くて、興奮しちゃった。」
というので、ダイナマイトボディの美咲さんの裸を想像していたら、幸恵が、
「あら、ウチなんかだいぶ前からそれやってるわよ。編集するとき興奮しちゃうのよね。」
と言ったものだからさあ大変です。
酒の勢いは凄いもので、今度、DVDを交換しようという事になったのです。
翌朝酔いが覚めて、幸恵が後悔していましたが、後の祭りでした。

交換したDVDを見てみました。
美咲さんのバスタオルを外すと、Eカップはあろうかという巨乳が飛び出し、大きな乳輪を責められて吐息を漏らしていました。
ムッチムチの足を開いて、ドドメ色の陰唇を見せびらかすようにめくり、クンニもわざとらしい音を立てて激しく舐めていました。
ご主人の陰茎は長さは普通ですが太く、美咲さんのフェラは咥えるのではなく舌なめずりするように陰茎だけでなく陰嚢も舐めていました。
夫婦だというのにコンドームをしたご主人の陰茎が、めり込むように美咲さんの膣穴に抜き差しされて、
「アァアァヒィイイィィ」
何とも大げさな喘ぎで、美咲さんは巨乳をプルンプルンさせて善がっていました。

実はこの時、私達が美咲さん夫婦に貸し出したハメ撮りは、先に話題にした新婚時代のセーラー服ハメ撮りでした。
後日、また4人で呑んだ時、美咲さんは、
「ちょっと、幸恵達のあれ、高校時代のじゃないわよね?」
やっぱり、第三者が見ても荒い画像で24歳の幸恵が美少女に映ったようで、幸恵は、
「さあ、どうかしら・・・ご想像にお任せするわよ。」
とお茶を濁したので、美咲さん夫婦はとても興奮していました。

美咲さん夫婦は、私達が重ねてきたハメ撮りの歴史にかなり感化されていました。
私達が新婚の頃撮影した、幸恵に白いワンピースを着せて波打ち際でアイドルのような撮影をした後、海辺のホテルで少しずつ脱いで激しいセックスに及び、そしてまた白いワンピース姿でアイドルのように微笑む美少女に戻る作品がとても気に入っていたようです。
きっと、私達同様、交換したDVDはコピーしていると思います。
美咲さん夫婦は4年後に転勤して、今は疎遠になっていますが、私達の手元には、美咲さん夫婦のハメ撮りDVDが20枚ほどあります。
時々見ては、興奮して幸恵に襲い掛かっていますので、きっと美咲さん夫婦も、美しい雪絵の見せる淫乱な一コマに興奮して、アラフィフセックスを楽しんでいる事と思います。

今は、娘も大学生になって東京へ行ってしまいましたので、自宅内の様々な場所で、思いっきりドスケベな行為をハメ撮りしています。
最近では、幸恵を縄で縛ってSMハメ撮りも楽しんでいます。
私達の家族の思い出は、昼間だけでなく夜の思い出も、夫婦で過ごした時間分残されています。

夫は二人目の男性だけれど~初体験は小5の私~

夫に初めて抱かれたのは18年前、22歳の時、高校を出て就職して4年目の秋でした。
「真由・・・清純そうな女の子だけど、処女じゃなかったんだね・・・」
「ごめんなさい・・・1年前、初めての彼と別れました・・・」
夫は納得していましたが、大ウソです。

私は貧しい家庭に生まれ、幼い頃に少女ヌード写真のモデルをしていました。
小4の頃、初めてスタッフのペニスを舐めさせられ、小5になってすぐ、あるお金持ちのおじさんに処女を奪われました。
初潮前の私の体内に、40代のおじさんの精液が注がれたのです。
両親は、
「これで半年は生活できる・・・」
と言っていましたから、私の小5の処女は多額で取引されたのだと思います。

それから約半年、可憐な私の体は容赦無い凌辱の日々に乱れ狂いました。
女の子としては屈辱的な格好に縛られて、玩具にされる強制的な快楽に翻弄されながら、恥辱を耐え忍ぶうちに性感を開発されてしまいました。
そして、小6になる直前の春休み、私はランドセルを背負ったツインテール少女がおじさんとセックスする様子を撮影されて、裏ビデオとして流通しました。
幼い女の子の膣から本物の精液が流れ出る裏ビデオは、昭和末期の荒い画像なので、顔をアップで映さなかったので私とわかるようなことはありませんでした。
このビデオ、裏社会で高額で取引され、両親も歩合制で収益を得ていたようです。

その後、中2ではお下げ髪のセーラー服で、中学生SMの裏ビデオを撮影されました。
純真無垢な女子中学生を縛り上げ、淫情をたぎらせるおじさんに責めぬかれて、被虐の悦楽に何度も達し続ける淫乱女子中学生の姿が記録されていました。
まだ幼い性器を電振の淫具で責められて、羞恥に瞳を潤ませながら、それでも本気で感じて喘ぐ淫らなセーラー服の14歳が、最後はおじさんのペニスで仰け反るのです。

中学卒業でおじさんから解放され、私は普通の女子高生になりました。
でも、おじさんに性開発され、被虐の快楽を教えられた私は、何人もの男性に言い寄られましたがお付き合いする勇気がありませんでした。
女子高生がセックスして、淫らに喘ぎ、仰け反って乱れたらきっと幻滅されると思ったのです。
だから、男性を知っていてもおかしくない年齢になるまで、彼氏を作らずに過ごしました。

22歳の時、言い寄ってきた男性は5歳年上の優しい男性でした。
決してイケメンではないのですが、雰囲気や匂いがとても落ち着く感じがしました。
私は彼の求めに応じて、7年ぶりに体を開きました。
7年ぶりに抱かれた男性は後の夫、私にとって二人目の男性でした。
私は、夫に抱かれて、セックスとは愛情のやり取りだということを初めて知りました。
夫は、私を辱めるようなことはせず、ただひたすらに優しく愛撫して、女性器を優しく舐めてくれました。
私は夫に抱かれて、夫の愛を感じて瞳を潤ませました。
かつて、恥辱の仕打ちに瞳を潤ませた時とは違って、身体の快楽だけでなく心も満足するセックスを経験して、言い寄られたにもかかわらず、私の方が夢中になりました。

結婚して16年、上の娘が中学生です。
丁度、被虐の恥辱悦楽に耽溺していた年頃です。
今、ずっと忘れていた忌まわしい幼少期の出来事が、夫に抱かれながら快感の中で頭を巡るのです。

夫の浮気の腹いせに浮気した26歳妻のマゾ調教1

ようこは26歳、結婚3年で週3日程アパレルの販売のパートをしている人妻。ルックスは身長158cm、スリーサイズ82C-58-84で、目が大きく美しい顔立ちをしている。街中を歩いていても大学生にナンパされる位年齢よりは若く見え美人である。結婚前は男性からのアプローチも多く、本人も自分が男の目を惹く存在であるということが分かっている。結婚してからさらに艶がでていい女になっていた。見た目は華やかで遊んできた風でさぞ経験豊富だろうと思いきや実際は清楚で男性経験も夫が3人目で浮気など絶対にない貞淑な女性であった。旦那の圭介の熱烈なアプローチから二人は付き合うようになり、交際期間1年で二人は熱愛の中、結婚した。ようこは圭介の誠実で優しいところに惹かれ結婚1年目は幸せを絵に書いたようなラブラブな生活であったが、結婚2年目に圭介が浮気をしたことから二人の結婚生活は一変してしまった。信じていた圭介に裏切られたようこは、どうしても圭介を許すことが出来なかった。
思い悩んだあげく、ようこも浮気をすることを決意した。といっても遊んだ経験のないようこは浮気をする術をしらない。そんなある時友人から携帯の出会い系サイトの話を聞く。

ようこの友人が携帯の出会い系サイトで知り合った男と遊んでいるという話を聞く。友人は、気軽に見知らぬ男と会話を楽しみ、気に入った男とは会って身体の関係を楽しんだりしているようだった。わりといい男を簡単に探せ、ネットからの関係だから後腐れなく楽しむこともできるから、ようこもしてみたら?と薦められた。ただし、オタクや変態も多いからそれには気を付けた方がよいという一言もあった。
ある日ようこは意を決し携帯出会い系サイトを訪れる。ツーショットチャットである。遊び方は友人から聞いていたので分かっていた。何人かの男とチャットをしてみた。何人かの男とチャットをしてみた。以外と普通の会話で楽しむことが出来た。慣れてくるうちに段々と自分の心の内も話せるようになり旦那の浮気のグチなどもいえるようにもなりチャットをすることにより、ようこの気持ちは発散できるようになってきた。時にはエッチな会話などもし、心の浮気をしている等と感じることもあった。
旦那の浮気への怒りは薄まり落ち着いてきたが、精神的な依存がネットの中にいくようにもなっていたのであった。
ようやくようこの精神が落ち着いてきた頃、ようこが街中を歩いていると旦那と若い女性が手を組み街中を歩いているのを見てしまった。しばらく後をつけていくと二人はホテルの中へと消えていった。
最近では夫婦仲も回復しようこも旦那の浮気も許せるようになってきた矢先の出来事だった。
ようこの怒りは再び高まり、寂しさと絶望感を感じた。もう自分なんてどうなってもいい。
ようこは依存し始めていたネットの世界に逃げ込んだ。自虐的な気持ちのままネットの世界に入る。

そんな時に入ったツーショットチャットで見た待機メッセージ。
「被虐的に落ちてみたい女性。目隠しされて縛られ快楽の世界に落ちてみますか?」
いつもだったら到底入らないそのメッセージの部屋にようこは入った。
相手の男は30歳。女性を縛った状態で身体に愛撫などをし、辱めの言葉を発し羞恥心を煽りSM調教をしていくなどと話している。絶望感を感じているようこにとって、今の自分はそれは求めているのかもしれないなどという気持ちでもあった。
ツーショットチャットで相手の命じるままにしてみることにした。相手の命じるままにようこは動くことにした。
「上半身裸になりなさい」「手の平で乳房を軽く擦るんだ」
「指先で乳首を弾いて」
命じられるままに行動する。今まで自慰などしたことないようこにとってははじめての体験だ。
乳首を自分で弾いている内に身体が反応し始めてきている。
「手の平で乳首を軽く擦るように手を回転させて」
乳首が堅くなり始めてきた。
「また乳首を指先で弾いて、段々と早く」
乳首が明らかに勃起し堅くなった。
「まさか乳首立てたりしていないだろうね。勝手に乳首立てたりしたら罰を与えるよ」
えっ罰?乳首は既に立ってしまっている。
『乳首はもう立ってしまいました』
「はしたない乳首だ。罰として乳首の根本を輪ゴムで縛りなさい。」
はしたない?罰?なんでなの。と思いながらも相手に従う。乳首に輪ゴムを縛る。堅く尖った乳首が輪ゴムで縛られ堅く赤く充血してくる。
『輪ゴムが痛いです』
「我慢しなさい。輪ゴムで縛られた乳首を手の平で軽く擦り、密着させてから回転させるようにコネなさい」
乳首はさらに堅く痺れながらも敏感になる。乳首が痺れ下半身にもそれが伝わるように、割れ目が濡れ始める。
「ようこ、割れ目濡らすようなはしたないことしていないだろうね」
ようこの割れ目は既に濡れてしまっている。
『そんなことありません』「嘘ついてはいけないよ。なら下半身に身につけているものも取り去り鏡で自分の割れ目を見てみるんだ。濡らしていた時には罰を与えるよ」
下半身に身につけているものも脱ぎ去り鏡の前で脚を広げてみる。
「鏡の前で脚を開いたら指でビラビラを左右に広げてみな」
言われた通りに広げる。既に内部は濡れて光っている。

続きは

SM官能被虐の檻

夫に言えない過去

私には、絶対に夫に言えない過去があります。
私は21歳で25歳の夫と知り合い、2年の交際を経て結婚しました。
夫の前には男性経験は一人しかありませんが、そのお相手は夫の父親、つまり現在の義父です。

高校を出て就職した先の課長さんが義父で、私は、課長さんの愛人でした。
就職難の世の中、課長さんの愛人になることを前提に入社して、18歳の処女を奪われました。
週1回、課長さんに抱かれ、快感を知っていくと古臭いセーラー服を着せられて麻縄で縛られ、羞恥に満ちた体勢で恥ずかしい写真を撮られていました。
そして、その写真は投稿誌の誌面を賑わしていました。
何冊も見せられた投稿誌には、課長さんのかつての愛人達のセーラー服を着た痴態が載っていて、これからエスカレートして私もあんな事されるんだなと予感させる写真でした。

案の定、私はハリツケにされてアソコばかりかお尻の穴も凌辱されて、跳び箱のような物に四つん這いに縛られ、浣腸されて惨めに排泄したり、ヨーグルトを浣腸されて噴出したり、惨めな写真を撮られました。
クリトリスを吸いだされて赤く腫らされたり、皮が剥けっ放しになったクリトリスを責められて本気で快感に狂う様子を撮影されたり、大開脚のアソコにバイブを入れられて放置されのた打ち回る悲惨な姿も撮影されました。
「んぁっ……うくひぃ……あぐぁっ……んひぅぅっ!……あんっ……ひっぁぁっ……ひあぁひあああああああぁっ!」
それらは、投稿DVDとして世に出回っています。
もちろんそれらには目にモザイクがかけられていますが、わかる人にはわかると思います。

私は、課長さんに私の4歳年上の息子さんがいる事を知り、誘惑しました。
課長さんの愛人になった女性は私を含めて全員が幼顔の可愛い系、私は精一杯可愛いを演出して息子さんを誘惑し、息子さんから告白させました。
なかなかのイケメンなのに草食系の息子さんは、女性慣れしていなくてもしかしたら童貞?って感じで、私が恥じらいながら可愛く脱いだらたどたどしい手つきで私を押し倒し、震える手でコンドームを用意して、下手な腰使いで何度もアソコから外れていました。
約1年間、課長さんと息子さんの父子に愛され、やがて課長さんは私と息子さんの関係を知り、その頃には、課長の息子さんは、これ見よがしに幼さと可愛さを発散させた私とのセックスに骨抜き状態で、課長さんは私を開放せざるを得ませんでした。

結婚して6年、一昨年2人目の子供を産んで、昨年、夫の実家に入りました。
結婚して6年過ぎても夫は毎晩求めてくれます。
私は、純情な妻を演じてますが、セックスは思い切り楽しむようにしていますから、義父母に聞こえるような大きい喘ぎ声を平気で出しますし、下の義父母の部屋の天井が揺れるほど悶えるようにしています。
もちろん、義父母に聞かせるためです。

昨年3月で定年退職した義父の私を見る目はとても怯えていて、私の望むことは何でもしてくれます。
日中、夫が仕事に出かけて義母が孫を連れて遊びに行くと、義父と二人だけになります。
義父にアソコを見せながら私の前で義父にオナニーさせて、それをスマホで撮影します。
「うっ…うああ…」
ダラダラと勢いなく射精する義父の惨めな姿、私の小さな復讐です。
義父母の寝室に隠しカメラを仕掛けて、義父母の営みを撮影して投稿しました。
普通に投稿しても採用されないと思い、「母と義父の不倫現場」と題して投稿しました。
61歳の義父と58歳の義母のセックス、なかなか見応えがありましたよ。
今度は義父に、どんな復讐しようかしら…

夫にたどり着くまでに

「可愛いね・・・大好きだよ・・・」
中学時代に憧れていたイケメン先生に、高校1年の時に処女を捧げました。
「中学の時の制服、着てくれないかな・・・」
中学時代のセーラー服を着て、先生の男性器を受け入れて喘いだ私・・・
「あ、あん、ああん・・・」
前から、後ろから、先生に跨って・・・先生は中学の教え子との淫らな行為をデジカメで撮影していました。

高校2年の終わり頃、先生がシャワーを浴びているとき、デジカメを覗き見したら・・・中3の時に同じクラスだった学年で1番美人だった子が中学の制服姿で縄で縛られて、アソコだけじゃなくお尻の穴にもバイブを入れられて乱れている写真がありました。
私だけじゃなかったんだ・・・いつか私も縛られるのかな・・・大学受験に専念したいと言って、先生の元を去りました。

大学1年生のとき、夏休み位のバイト先で知り合った40代のダンディなオジサマにホテルのバーで口説かれて、予め用意していたお部屋で淫猥なめくるめく快楽に溺れました。
バスタオルなど部屋にあるもので手足を縛られ、淫具で責められて初めて逝く経験をして、その後、オジサマの男性器で何度も逝かされました。
「君は、清純そうな顔してるけど、処女ではなかったんだね。だったら、遠慮はいらないね。」
そのオジサマは私にブレザーやセーラー服を着せて、縄で縛って凌辱剃ました。
あの、中学時代の学年で一番の美人の子の凌辱写真が頭を過ぎりました。
「ああ、ああ、あう~~ん・・・」
制服姿で恥ずかしい格好のまま、身動きできない私のみっともない羞恥写真を撮影されました。
「目線を入れるから、雑誌にこの写真を投稿したいんだ。全国の男が、君を見てオナニーするんだよ。君はアイドルだ。」
オジサマは有名な投稿マニアでした。
「私は、一人の女性の投稿は2年以内と決めているんだ。」
2年生の終わり、私はオジサマに別れを告げられて、縄の魔法を解かれました。


3年生の時、同じ学年の男子に告白されて、初めての同年代の彼氏が出来ました。
彼の男性器は、中学時代の先生やダンディなオジサマとは比べ物にならないくらい硬くて、突き刺さるような刺激でしたが、激しいばかりで逝くことはありませんでした。
でも、射精は1回で終わらず、2回、3回と立て続けでした。
4年生になって半同棲状態になった時、
「初体験って、いつだったの?今まで何人と付き合ったの?」
ときかれて、
「初体験は1年生の時・・・元彼は2人よ・・・」
彼は1年生を勝手に大学1年生と受け取っただけで、私は正直に話したから嘘つきではありません。

卒業間近、彼ともお別れが近付いたある日、彼の友達のカップルと卒業記念の乱交をしました。
目の前で繰り広げられる自分の恋人と他の女性のセックス、そして、自分の恋人に見られながら他の男性に抱かれて感じて喘ぐ私・・・
大学を出るまでに4人の男性に抱かれた私は、卒業して故郷へ戻り、社会人になるときに清純から清楚へイメージを変えていきました。

就職して1年が過ぎ、男性との交わりも一切無く、寂しさを感じていた頃、告白されました。
「ど、どうしても、き、気持ちを、伝えたくて。好きなんだ。だ、だめかな、俺じゃ・・・」
ガッチリとした体格で、朴訥とした真面目なタイプ、あまり女性慣れしてなさそうな3歳年上の男性・・・それが後の夫・・・
不器用な愛情表現でも、とても大切にされて、愛されていることが感じられました。
手も繋ごうとしないまま3か月、いつしか私の方が欲してしまいました。
そんな時、雑誌の懸賞でペア宿泊券が当たったのです。
リニューアルオープンの招待券で、平日利用の条件付きでしたが、私は彼を誘いました。

交際して4か月、キスも交わしていない二人が旅館の一室で向い合せ、緊張している彼の様子がとても可笑しかったのを覚えています。
部屋には、渓谷を見下ろすベランダのようなところに半分露天風呂みたいなお風呂があって、彼が入っているところに私も入っていきました。
驚いて私を見た彼、私は手拭で前を隠して湯船に入りましたが、濡れた手拭から透けて見えた私の裸・・・手拭を外して湯船の外の桶に・・・目に入ったのは彼の巨大な男性器・・・
狭い湯船の中、さりげなく彼の男性器を軽く握ると、その太さが過去最大の予感がしました。
「大きい・・・ですね・・・」
「は、はあ・・・昔、何度か、そう言われました・・・でも、恥ずかしながら、若い頃に行った玄人の女性ばかりですが・・・」

お風呂から上がり、和風のベッドで彼は恥ずかしそうに、
「女性の裸に触れるのは、4,5年ぶりなんです。しかも、その、素人と言いますか、その、つまり、初めての彼女なもんで・・・ははは・・・」
俗に言う素人童貞をカミングアウトした彼は、つまりはその巨大な男性器を独り占めした女性がいないということ・・・私は彼に抱き付いて、唇を重ね、下を絡ませました。
そして正座した足を少し開いて女性器をチラ見させながら足を崩し、仰向けになりました。
彼が足の間に入ってきて、私のアソコを振り気て凝視しているのがわかり、恥ずかしさで濡れてきているのを感じてさらに恥ずかしくなりました。
彼のぎこちないクンニ・・・ちょっと強くクリちゃんを吸われてツーンと痛かったけれど、その後の舐め方が気持ち良かったので我慢しました。
5分、10分、15分・・・彼はいつまでも舐めていて、私は早く入れて欲しくて膝が震えました。
我慢できずに起き上がり、彼の巨大な男性器をパクリ・・・歯を当てないようにするのが困難なほど大きく、仕方がないのでペロペロ舐めることにしました。

初めてのセックス・・・彼が生のまま入れたのがちょっと不安でしたが、入ってきたときのインパクトが、それまでのどの男性より凄まじく、かつて誰もたどり着かなかった子宮の入口を撫でられて、もう、生でもいいやと身を任せました。
体を串刺しにされて、抉られる・・・そんな感じでしたが、挿入から10分と経たないうちに、身体の奥深くに熱いものが・・・え?ウソ!中で出したの?
「ご、ごめん!漏れちゃったよ。ごめん!俺、責任取るから。結婚してくれ!」
アソコから流れ出る彼の精液を拭きながら、
「もっと我慢して、私の事、狂わせて欲しい。私、遠慮なくエッチなことができる夫婦になりたいんだ。」
「わかった。じゃあ、今度は頑張るから。」
彼に押し倒されて、2回戦・・・一度出しているから長持ちする巨大な男性器で、今度は意識が薄れていきました。

幸いこの時は妊娠を免れましたが、半年後、交際10か月でゴールイン、清楚で有名だった女子社員を射止めた冴えない男子社員と夫は驚かれましたが、何を隠そう、20㎝はあろうかという男性器を射止めたのは、私の方だとは誰も知りませんでした。

夫にたどり着くまでに、制服コスプレやSM調教、乱交など経験してきましたが、やっぱり、巨大な男性器に心から愛されることが一番気持ちいいことを知りました。
結婚して4年、昼間は清楚な母親を演じながら、夜は毎晩夫に求められ、奥深くまで抉られてのた打ち回る淫らな妻になりました。

不倫相手に調教されて淫乱になってしまった私の体

彼と職場で出会ったのは今から10年ほど前でした。
最初は映画を見たり、食事をした後、ホテルでHをする普通の内容でしたが、時が経つにつれコスプレ、露出、SMと変化をしていきました。

元々Hは好きな私でしたが、知り合って5年ほどが経った頃、初めて彼にカップル喫茶へ連れて行かれ

「お酒を飲みながら、見てるだけでいいから」

と言われて中へ入ると、初めて見る独特な雰囲気の中、気さくな女性店員さんとの会話が弾み、彼とシャワーを浴びた後、先に出た彼が用意していた黒のシースルーで丈が短く、お尻が半分出てしまうキャミソール一枚に着替え部屋へと戻りました。

カウンターで飲んでいると、優しい雰囲気の男性に声をかけられ、縛りが得意とのことで、みんなの前で全裸となり、亀甲縛りをされると、その流れで大部屋へ移動し、複数のカップルが見守る中、初めて3Pを経験しました。

その後、ハプバーへも通うようになり、ローションイベントの日には広く並べられたマットの中央で最初に講師(?笑)の男性と絡み、アルコールと暑さで意識が朦朧とする中、代わる代わるその場にいた男性の肉棒を上下の口で受けとめ、また自らも好みの男性のモノをひたすらしゃぶり挿入し続けました。

過去には、ホテルにチェックインした後、上は薄く透けて胸元が大きく開いたワイシャツ、下は黒のギリギリお尻が隠れるタイトミニ、下着は乳首の部分が開いている黒いブラに、同じく黒の紐パンに着替え、一時外出で彼の知り合いのバーへ出かけたことがありました。

その時、私と彼は別々に座り、予め彼からは

「男性に求められたことは、全て受け入れること。指示はLineでするから」

と言われていて、最初は常連客の2人の男性と会話をし、早速彼から

「2人の間に移動して、酔った振りをしてボディタッチしながらチンコを触って」

と指示があり、その通りに初めは会話の流れから肩や腰を触って軽くキスをしながら、手を股間へと伸ばし、ズボンの上からチンコを触りました。

するとまた彼からLineがあり

「しゃぶりたいておねだりして」

という内容でした。私は言われるがままに2人の男性に

「しゃぶってもいいですか?」

と聞くと、こんな格好をして自ら股間に手を伸ばし、痴女であることは明らかなことから、2人は驚く様子もなく

「いいよ。でも場所、変えようか」

と言い、一人の男性が経営する別のバーへと移動をしました。

途中で彼から

「様子を時々報告して」

とLineがありましたが、その後の展開は想像を超え、彼に報告したのは翌日のことでした。

バーに着くと時間も早く、まだ開店前で鍵を開けて中へ入り

「お酒飲む?」

と聞かれ、頷くと3人でカクテルや日本酒を大量に飲みました。しばらくして男性の携帯が鳴り

「友だち呼んでいい?」

と聞かれ、その頃にはほぼ泥酔の状態で

「いいですよー」

と答えると、30分ほどが経ち、10人ほどの同様にかなり酒に酔った男性達が入ってきました。

そこからの記憶は断片的ですが

「おー、色っぽい。エロそうだねー」

などと言われ、あっという間に私の周りに群がると、バーのマスターが

「チンコ欲しくてたまらないんだって。(私に対し) どれしゃぶりたいの?」

と聞いてきて、私は視界が定まらない中、改めて周囲を見渡すと、元々年上好きでそこにはイケメン風のおじさま達がいたことと、その場の空気をよんで(笑)

「全部…」

と答えると、一斉に男性達が脱ぎだし、あっという間に私の上下の口に沢山の肉棒が入ってきました。

その日は終電近くまで犯され、常に上下の口には肉棒かお酒が入っていて、ぐったりとしたままタクシーで帰りました。

最近では、職場の男性5人と居酒屋へ行った後、カラオケへ移動し、なぜか普段から職場が同じにも関わらず(しかも初対面の人まで) Hな行為をされることがよくあり、その日もカラオケで下ネタが始まり、私がドリンクを注文している後ろからスカートの中に一人の酔った先輩男性が手を入れてきて、私も抵抗をしなかったせいか、そのままびしょ濡れになったオマンコを触られると、思わず

「あぁー」

という声が漏れてしまい、一気に男性陣が私の体に群がってきて、本当はすぐにでも欲しかったのですが一応

「ダメ、やめて…」

と言ってみたものの、男性陣は止まらず、下着を脱がされ、唇や乳首、オマンコもビチョビチョになるまで執拗に舐められたところで男性陣の動きは止まりました。

逆に散々舐めまわされ、その気になってしまった私は、最もタイプの男性のベルトを緩め、モノを取り出すと、軽くフェラをして大きくし、自らスカートを捲り跨ると、みんながいるにも関わらず、その男性の上で腰を振り、性液を中で受け止め、最後はM字に座った状態で流れ出る性液の写メを撮られました。

ここまででも十分淫乱だと思いますが、つい最近、以前知り合ったバーのマスターと再び飲む機会があり、Hな展開を想像し自然と気分が高まった私は、コートの下に青い胸元がV字に開いたタンクトップ、下は白のマイクロミニに下着は着けず生足で出かけました。

指定された場所に着くと、そこは接待などにも使われる完全個室で薄暗い照明の居酒屋で、マスターの他に以前とはまた違うイケメンの男性3人がいました。

私は2人の男性に挟まれて座り、飲みが始まってしばらくした頃、両脇の男性の手をとり、膝の上に置いたクッションの下から、太ももへと誘導しました。

最初はゆっくりと私の太ももを撫でるだけであった男性も、さらにアルコールがすすんできた頃には、強引にマンコを触ろうとしてきて、私が耳元で

「あとで…」

と囁いてもその手は止まらず、クッションをどかされ、股を大きく開かれると、キスをしながら激しく両側から丸出しとなったオマンコを刺激され、別の2人の男性に見守られる中

「あぁー」

という声と共に大量の潮を吹いてしまいました。

男性の

「移動しようか」

という声に頷くと、川沿いをホテル街の方へと歩き出し、ノーパンでオマンコもびしょ濡れとなり、すぐにでも挿れて欲しかった私は、以前彼と来たことがあるSM部屋があるホテルを指差し

「ここにしようよ」

と言って中に入りました。

部屋に入るなりタンクトップとブラを取られ、股のところが開いた椅子に座って両手両足を縛られると、売っていたバイブを突っ込まれ、悶えながら

「もうダメ… 早くオチンチン挿れて」

とお願いしても許してもらえず、ひたすら道具で虐められ、再び大量の潮を吹いてしまいました。

その後も挿入は許されず、床で四つん這いとなり自らオマンコを両手で開くことを指示され、それを見ながら男性達に

「ヤリマン」

「淫乱」

「変態」

といった言葉を浴びせられ、そんな中

「綺麗な顔して、何人の肉棒を挿れてきたんだ?」

と聞かれ、小さな声で

「覚えてないよー」

と答えると

「挿れてほしかったら、ちゃんと思い出して」

と言われ、再びバイブを突っ込まれ、ようやく

「付き合ってきたのが10人くらいで、お店で100人くらい、あと職場やその日知り合った人とかを含めると50人くらい…」

と答えると

「じゃあ、サバよんでるとして軽く200人は超えてるな(実際はもっといってると思います…)
その割にはマンコはしまってるね。でもまだチンコを挿れるのは早すぎる」

と言われ、ウェルカムドリンクで開けたスパークリングワインの瓶を後ろから突っ込まれました。

その頃には私の理性は完全に飛んでいて、散々焦らされオマンコも極限まで火照っていたため、すがるようにチンコを求めていました。

それでもすぐには挿れてもらえず、代わる代わる喉の奥までチンコを入れられ、引きずられるように足を持って腰を上げられると、時間をかけて同時に何本もの指でオマンコを掻き回された後、ようやく挿入を許されました。

この日以来、自分でも益々淫乱になったと感じ、来週も彼に接待要因として、とある男性2人との宴会に誘われていますが、言われるまでもなく、極限まで露出が高い服と、下着は着けていくかは悩み中です。

病んでいる系の女を調教

U25セフレ掲示板で拾ったセフレな女を調教してる。

最近の掲示板はやんでる女が多いから拾いやすいw

最初はいつもの延長で、ホテルで縛る程度だったんだけど、酔っぱらってホテル難民になって面倒くさくなって俺のマンションに連れてきたんだが、それから頻繁に来るようになって、今やほぼ同棲状態。

何かおかしなことになってる。

とは言え、普通のカップルらしい生活をしてるわけじゃなく、彼女は俺のペット状態。

帰ってくるなり玄関で裸にして首輪をつける。

部屋の中では首輪以外身に着けるのは禁止。

首輪を付けた後は廊下に這わしたり、壁に押し付けて、クリやGスポットを刺激して逝かしてやる。

初めの頃は玄関で這わせて入れてたりもしてたんだけど、最近挿入はご褒美的なものとしてる。

その代り弄るのは頻繁にしてる。

近くにくれば抱き寄せてキスをしながらクリを指で刺激したり、壁に押し付けてクンニしたり、一緒に風呂に入れば身体を洗ってやりながらシャワーをクリに当てたりで、彼女はいつも逝きすぎてふらふらしてる。

飯は俺が作ってる。

彼女は料理が下手(自分でも認めてる)で、俺は得意ってのもあるんだが、なんとなく飼い主の義務感を感じてる。

飯を作っている間は、鎖でつないでおく。

これは彼女が望んだことで、俺としては緊縛の方が良くて、たまに縛って玩具を装着させて放置してる。

U25セフレ掲示板で知り合ったころは中々「入れて」なんて言わなかったけど、今じゃ俺が触るたびにせがまれる。

けど、オアズケして入れてやらない日の方が多い。

入れるのは平日4日間で一回くらいかな。

その他の日は、夜の日課にしてる膣(彼女はつい最近まで中逝きしたことがなかった)とアナルの開発をした後、フェラでごっくんさせて、後は悶々とさせておく。

一緒にベットで寝てるんだが、こっそりオナニーをしてたりする。

たまに泣きながら眠ってたりもしてとても可愛いw

朝はフェラで起こすように言ってあるんだが、彼女は朝が苦手で俺がクンニで起こしてやることが多い。

一緒にシャワーを浴びて、俺は自分の髭と彼女の陰毛を綺麗に剃り落とすのが毎日の朝の行事。

朝飯を食べて、服を着て、出かける前に膣にボールを入れて、ついでに一発逝かしてから俺が先に出勤。

彼女は抜けた力が回復するまで、うずくまってるらしい。

ちなみにボールは2~3時間だけ入れさせてる。

それが限界で、それ以上は仕事にならないということなので。

週末は金曜夜からSM。

縛られて弄られるのは大好きみたいで、乱れ方がすごい。

感度は抜群に上がってきてて、俺がコツを掴んだこともあって、クリなら十秒くらいで簡単に逝くし、乳首や耳だけでも逝く。

Gスポットはもちろんだが、それ以外の中は先月初めて挿入で逝ってから、毎回逝きまくりになってる。

逝きまくった後は過剰に敏感になってて、お腹を押したり恥骨を叩いたりするだけで逝くし、キスでも軽く逝ってたのには驚いた。

まだ浣腸に抵抗があるみたいだが、アナルもかなりよくなってるみたいだ。

毎日のようにアナルスティックで弄っている成果かな。

拡張も少しづつやってて、最近ではチンコよりも若干細いくらいのバイブが入るようになった。

「いつでもお尻でしていいからね」と言われてるんだが、なんかもったいないので取っておいてる。

とりあえずアナルで逝けるようにするのが目標。

普段オアズケしているが、週末は遠慮なく入れて楽しんでる。

朝は寝てるところをクンニで濡らしてから入れて、寝起きから逝かせまくる。

昼間は、鎖でつないであるので、気が向いたら尻を上げさせて入れてる。

椅子に座って後ろ向きで抱っこして入れておいて、電マをクリに当てて絶叫させたり、風呂に手をつかせた立ちバックで突きながらおしっこさせたりなんてのも楽しいことだ。

拘束して中にバイブ、クリとアナルにローターを入れて放置して気絶するまで責め、バイブを抜いてローター全開で突きまくってまた気絶するまで責め、なんてのもよくやるメニュー。

ただここのところ気になるのが、彼女が痩せてきたことだ。

やはりやりすぎかなと思って聞いてみるんだが、平気だからもっとやってとしか言わない。

U25セフレ掲示板って病んでいる系の女が多いからかなり遊べる。

美人女医さんは最下層アナル奴隷

私、美樹は現在28歳になる看護師です。
本当は私自身も?なのですがリアルにプレイする勇気がなくて憧れの医院長の真由美さんの
調教に参加しています。

真由美さんは現在40歳になりましたが女の目からしても羨ましい美女です。
それに知識も高くゴージャスで正に才色兼備そのものです。
お体の手入れやクラブにも通わされ体系も20代の体を維持しています。

身長は165センチくらいあって細身の体はモデルのようです。胸は小ぶりですが垂れてはいないです。
調教されて10年になりますが未だに羞恥心が残っているようでその姿は見ている人々を魅了します。

住宅街から離れた閑散とした場所に医院がありますが、10年程前に向かいに別の医院が引っ越してきたそうなんです。
詳しい説明は省きますがそこの医院長や法律に詳しい人達に騙されて医院を乗っ取られたそうです。
真由美さんは亡くなったお父様の後を継いでいたそうですが結局騙され医院の名前は残っていますが
実質は他人名義になってしまったそうです。恥ずかしい写真とかも撮られて脅迫されたとも聞いています。

そしてライバルの医院長の奴隷にされたそうです。
世間に噂がながれないよう内々で調教されておられたそうですが最近マンネリしてきたらしく
それと美しさとエレガンスの衰えない内にって思われたのか少しづつ噂は広まっています。

真由美さんは世間には秘密にして下さいって懇願したそうですが却下されました。
でも同姓の私から見ると真由美さんの本心が解かります。彼女もそうされることを望んでいるって。
だって真由美さんたら羞恥攻めされるととっても濡れるんですよ。

今は真由美さんの羞恥心を煽るために新しい人ばかりが勤務しています。
内科医の加藤先生。真由美さんより少し年下らしいですが勤務時間中は真由美さんを管理しています。
美樹さん、昔からの便りになる看護師さんですが40歳で私と同じように調教される真由美さんを羨望しています。

ちなみに私は学生時代にアルバイトしていたsmラウンジで向かいの医院長に連れてこられた真由美さんと
知り合い2年前からここで働いています。

難しい事務は向かいが処理しますので受付、事務が二人。看護師も後3人いますが全て20代前半です。
プレイボーイの医院長が事情を話して集めて来た興味を持った女の子ばかりです。
みんな口が軽いので世間にばれるのは見えています。それにかん口令も出てないし。

毎週一度金曜の夜8時、その日の外科の診察が終わった時に露出調教は始まります。
診察室の配置とかも変えられ一部改造されました。壁やドアは一部だけ残され殆どカーテンで
仕切られています。

外科と内科の間は処置室になっています。5人の人が点滴とか受けてベッドに寝ています。
今日も事情を知ったのでしょう、付き添いの方も大勢ニヤニヤしています。

待合室への開閉式のドアも大きく開かれ清算の済んだ人や未だの方もドアの近くに集まって来ています。
やっぱり付き添いといってみんなで20人程おりました。

真由美さんは上気した顔でベッドから目の先の内科の診察室のカーテンを開けて入ります。
若い看護師がカーテンを閉めるのですが不自然なほど閉まりきってません。
「あれから便通はありましたか?医院長。」「、、、、。いいえ。」

実は真由美さん、排便まで管理されてるんです。そしてアナルも10年間拡張され続け単なる奴隷でなく
ウンチや惨めに拡張され無残な形になったお尻の穴を他人の目に晒す最下層の奴隷に
なることを宣言されたんです。

「エコーの結果を見ると重症ですねえ、腸閉塞になりますよ、今すぐ出さないと。」
真由美さんはこの日のため1週間排便を禁止されてたんです。
「ドナン浣腸。」
これは浣腸の中でも重症の患者に使うもので大変苦しいものです。
量が多すぎるといつまでも排泄感が残り腸まで出てしまう感じがするそうです。
私も立ち会ったことありますが普通の方でも便を出した後いつまでもお尻の穴が広がったままなんです。

拡張され続け緩み切ったアナルの真由美さんの心境はどうなんでしょう?j
年下の意思、20代前半の看護師たち、そして色んな年代職業、中には学生も。
数人のヤンキー風の男女も。みんな耳を澄ましています。

カーテンから看護師が出てきてドナンの準備をします。
準備が終わった頃には処置室での点滴も終わり起き上がって診察室を見つめています。

今度は二人の看護師が診察室に入りますが後に入る子は片手に道具をもっていたので
もう片方の手でカーテンを閉めましたが先程より大胆に覗けるようになりました。

中の4人は覗かれているのを知らないふりするため真由美さんも含め全員処置室には振り返りません。
「脱いで。」
「少し多めにします。危険なので付いていますがいいですね?」
「はい。」

カーテンの下は元々床まで届いていず膝の下までこちらから見えています。
床に置かれた籠に白衣が置かれるのが見えます。
「ついでにもう一度エコーを取りますからゼリーも塗っておきます。上も」

籠にはブラウス、スカート、パンスト、そしてブラ。
その時、棒状の医療用道具の先がカーテンに引っかかって【もちろん業とです)カーテンがせり上がります。
真由美さんの綺麗な細い太ももの後ろが見えます。

パンティーが下りてきて膝が曲がるのと同時に真由美さんのお尻が見えました。
時間を掛けてパンティーを足首から抜いています。
その間お尻は突き出されたままです。真由美さんのお尻は細くてキュットして無駄肉はついてません。
ですから少し屈んだだけで尻タブが開いてお尻の穴が丸見えになってしまうんです。

みんな驚きと笑いを抑えられません。若い子が「しっ、」っていって笑っています。
前の毛は永久脱毛されているしあそこは丸見え、そして外見からは考えられないダラシナイお尻の穴。

パンティーが置かれるとベッドに上がり真由美さんは一旦見えなくなります。
この間を利用して患者さんは清算のため受付に行きます。

待合室は混んでいるので処置室にまた何人か入ってきますが私たちは知らないふりしています。
ドナンの効果はすぐ表れたようです。オマルは処置室にお尻が向かうように床に置かれていました。
真由美さんが跨ります。

凄い勢いでお尻の穴を大きく開けてドナンの塊が飛び出たかと思うと閉じる間もなくウンチが。
腸壁まで覗かせたまま真由美さんは苦しんでいます。
凄い臭気にも立ち去る患者さんはいません。

漸く出すものがなくなりオマルが下げられます。命令されてるのか真由美さんの意思なのか立ち上がれないまま
両手でお腹を押さえるため頭を床に着けます。
それで真由美さんのお尻は持ち上がりグロテスクに腸の内部まではみださせた恥ずかしいお尻の穴を晒しています。
でも前からは恥ずかしいお汁がどくどく出ていました。

そんな真由美さんを自分に置き換えて今日もオナニーする私です。

美人妻の壮絶な生い立ち

私は結婚して6年の41歳、妻は35歳で、本人も意識して似せているほど深田恭子さんソックリの美人妻です。
私達は、今時珍しいお見合い結婚です。
7年前、30歳過ぎても独身の私と、アラサー独身の妻が無理やりお見合いさせられました。

私は、27歳の時に4年間付き合った女性にプロポーズして、まさかの振られを味わって以降、結婚への希望を失い、手近な人妻を次々口説いて不倫ばかりしていました。
一方、母子家庭で貧しかった妻は、その美貌と豊満な肉体を活かして、大物政治家の愛人をして、支持者への性接待もこなしていました。
27歳の時に政治家の政界引退で、妻も8年間の愛人生活に幕を下ろしたそうです。

「お前のような遊び人には勿体ないくらいの美人だぞ」
伯父の勧めで見合いして、見合いの席で驚いたのは妻の母親を見た時でした。
妻の母親は私の不倫相手の一人でした。
オロオロする私を見て、ニヤニヤしていたところを見ると、妻の母親は初めから私と知っていたようでした。
妻と二人きりになった時に、愛人経歴を聞かされました。
「男は、多分20人以上は知ってるかな。でも安心してね。相手が相手だけに生では絶対しなかったし、定期的に検査も受けていたから。」
と言われました。

お見合いから一週間後の初デートで、妻から、
「どうします?味見なさいます?私と母を比べてみますか?」
完全に全てが仕組まれたお見合いだと気づいて、覚悟を決めて妻とホテルへ行きました。
初めて見た妻の裸体は、思ったよりも豊満ではなくなかなかのスタイルで、ただ、乳房がDカップあるからそう見えたのだと気づきました。
妻は恥じらいも無く股を開き、
「かなり使い古されてますけど・・・・」
と言ったとおり、陰唇は割目からハミ出て灰色に近い紫でした。
陰唇を開くと、ピンク色の陰核はプックリ膨らみこれまた皮からハミ出ていました。
膣口の周りの小陰唇は、まるで花びらのように開いていました。
まるで人妻のような陰部をクンニするとたちまち濡れて、敏感そうに膨らんでいる陰核を転がせば、色っぽいこえで喘ぎ、
「クンニ、お上手ですね。母が言ったとおりだわ・・・あ、結婚してくれるなら、生でもいいですよ・・・」
母娘にロックオンされた私は、観念したように生挿入で妻を抱きました。
私の腰をグイグイ引き寄せながら、可愛い顔で大喘ぎして乳房をプルンプルンさせました。

妻は高校卒業直後に政治家に100万円で処女を捧げ、8年間で20人以上の大口支持者の慰み者になっていました。
毎週2、3回、金で男に若い身体を弄ばれ、凌辱し尽くされ、変形して変色した妻の陰部は、いろんな男の陰茎を咥え、掻き回されたのです。
吸い尽くされた陰核は、肥大してプックリと皮からハミでています。
妻の陰部をしゃぶる時、妻を慰み者にした男たちは、妻の陰部の味、ハミ出した陰唇の色、陰核の具合を覚えているのか、もしかしたら写真に収めていまでも楽しんでいるのではないか、などと思っています。
「23歳くらいまでは、セーラー服を着せられて縛られたり、輪姦されたり、写真を撮られたりしたわよ。ほとんどAV女優と一緒ね。素晴らしい出来だと言われてもらった写真、何枚かあるわよ。」
そう言って見せてくれた写真は、セーラー服がとても似合って本物の女子高生のように可愛い妻が、縄で足を青竹に縛られて陰部を全開にし、膣口に数本の花を生けられている「セーラー服マンコ生け花」や、全裸のまま大の字に縛られた妻に背後から立ちバックで男の巨根が突き刺さる「オブジェ風緊縛」など、こんな美形の女がなぜ?と思える写真でした。

そんな妻は、今では可愛い美人妻と評判です。
でも、夜は歪んだ変色陰部で淫乱に咲き乱れるのです。
そして、来年還暦を迎える義母も私の精液を欲しがるので、私は毎日休む時間が無いのです。
私の陰茎を取り合う母娘、そんな写真でも撮ってみようかと思います。

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