私は他人に裸を見せる事が大好きです。
きっかけは、高校1年の時です。
私のお母さんは銭湯が好きで毎日の様に銭湯へ行きます。
私が家に着いたのが夕方6時で、お母さんは銭湯へ行く所でした。
お母さんと一緒にお風呂に入るのは小学校の4年生以来です。
私は銭湯の前まで来た所でお母さんに裸を見られる事がとても恥ずかしくなりましたが、お母さんはそんな事は気づいていません。
銭湯のドアを開けるとびっくりです!私の思っていた銭湯と違い、昔風の番台から男女脱衣所が見渡せる銭湯でした。
番台には50代のおじさんが私のお母さんと話を始めました。
「今日は私の娘も一緒なんですよ。」
相当おじさんと仲良しって感じがしました。
さっそくお母さんは服を脱ぎ、私を待たずに「先に行ってるよ」と言って浴場へ行ってしまい、私もぬれた体操着を脱ぎ始めたんですが、番台からのおじさんの視線が気になり、タオルで隠そうと思ったのですが、お母さんはバスタオルしか持ってきてなく、あとはあかすりタオルしかありませんでした。
とても恥ずかしくて体操着を脱ぐのに時間が掛かってしまい、お母さんが脱衣所に私の様子を見に来ました。
お母さんに「タオルは?」と聞きましたが、やっぱり持ってきてませんでした。
とても恥ずかしかったんですが仕方なくシャツを脱ぎ、下着を脱ぎ捨てお母さんのいる浴場へと向かいました。
何も隠すものがなく、番台を見るとおじさんは私の裸を見ていました。
お母さんはもう湯に入っていたので、私は体を先に洗おうと思ったのですが、「先に温まったほうがいいよ」と言うので、とても恥ずかしかったのですが正面から歩いて行き、成長した私の胸と陰毛をバッチリ見ていました。
胸はBカップで陰毛はうっすらと生えていたぐらいでした。
そして20分ぐらい湯につかり、体を洗ってまた湯につかり、
「そろそろ出よう?」と言われ、お母さんは先に出てしまい、私も脱衣所へ向かいました。
脱衣所に入るとお母さんは何を隠すことなく、タオルで全身を拭いていました。
お母さんに「タオルちょうだい!」と言ったのですが、
「ちょっと待ってね。1枚しか無いから!」
私は「え!」と答え、脱衣所で裸のまま1分間ぐらい何も隠さずに待っていました。
すると番台のおじさんが「タオル貸しましょうか?」と声を掛けてきました。
お母さんが、「じゃあ貸してもらえますか!」といったので、おじさんはタオルを用意してくれました。
番台から「ハイッ!」と手を伸ばされ、仕方なくおじさんの前まで取りに行きました。
おじさんは私の顔ではなく私の体を間近でバッチリ見ていました。
帰り道でお母さんに「何で私のタオル持ってきてくれなかったの?」と尋ねると、「忘れてた。」の一言。
お母さんに裸を見られてとても恥ずかしかったけど、見られたあとはとても安心した気分でした。
その後私はなぜかお父さんにも裸を見てもらいたいと思うようになり、高校1年の夏休みに実行しました。
お父さんは毎朝7時に家を出て仕事に向かいます。
私もその日は部活で他県の高校と練習試合で朝早く起きました。
シャワーを浴び終わり、お風呂場から出ようと思ったとき、洗面所で歯を磨いているお父さんがいる事に気づいた私は決心しました。
私は裸のままお風呂のドアを開けて、お父さんに「タオルとってー」と声を掛けながらお風呂場を出ました。
お父さんはビックリした様子で、「え、おー」と言いながらタオルを取ってくれました。
裸を隠さずにお父さんの方を向いて体を拭きました。
歯を磨き終わったお父さんは私の方を見ながら、「今日は早いなー?」と言いました。
私は「うん。練習試合なんだー」と話をしました。
この時始めてお父さんに成長した胸と陰毛を見てもらいました。
もうドキドキして声が震えていました。
お父さんは洗面所から出て行ってしまいましたが、もっとみてほしいという気持ちでいっぱいでした。
その後も朝早く起きた時には同じように見せました。
これが私の露出のきっかけです。
銭湯
父親が炭鉱夫で三交代をしていました、夏場は昼褌一丁で寝ていました(あそこを出して?)又食事の時も、会社の銭湯に行くにも一日中褌一丁で生活していましたので何も思っていませんでした。
周りがそうでした。
昔は夜寝る時は母、私、父と川の字の様に並んで寝ていました。
母がトイレに行くとなかなか帰って来ませんでした。
父親の方から音がしていました。
中学生になって謎がとけました。
親とは違う部屋で寝ていましたので夏の夜は暑いので戸は開けていたので、親が裸で父親が褌の前垂れを外して褌を付けたまま母の上に乗って上下前後と腰を揺らしていました。
これがセックスをしている光景を見た初めてでした、これがきっかけで褌と長い付き会いになりました、親から教えてくれた性教育でした。
小6の夏休みに母の勤める会社の保養所のプールで泳ぎ、併設されたお風呂に入った。
男一人で男湯は可哀想とおもったのか、一緒にいた母の同僚が「子供だからいいよね」、と女湯に入った。
自分としては何の違和感も無く一緒に入った。
同僚の子供である同じクラスの女子も一緒だった。
自然に隣に行って身体を洗っていたが、胸が膨らんでいるのを見てチョットだけドキドキした。
服を着るときに上半身を前かがみになってブラジャーを着けているのをみて、更にドキドキ。
自分が此処にいることに初めて違和感を感じた。
下半身のアソコの記憶は無い。
おそらく黒いモジャモジャがあったのではないかと思うが、見た記憶がない。
今ならばガンミしてそれを思い出してオカズにしていたと思うが、当時は全くそんなことは意識していなかった。
僕自身にモジャモジャの兆候が芽生え始めたのは、それから4年後の夏休みだった。
なんなんだあの外から飛びだしている黒いものと思い考えていた記憶はある。
みんな付いているので不思議だった。
おまんこの中にまたおまんこがあるのかと思っていた。
昔スリップを着ているのが普通の時代、スリップの前にパンティを脱いじまう女が多くて興ざめだった。
他の女もスリップと一緒にパンテイを脱ぐか、スカートとスリップ、パンティを一遍に脱ぐ人を含めると肩透かし食ったようなもんだ。
やっぱパンティ一枚の姿を見たいし、最後のパンティを脱ぐというところが見たいものね。
子供ながら。
子供の頃、若い女性にナイロンのカラーパンティがはやったことがあったな。
色パンだから見せなきゃ意味がないから、脱衣所でもパンティ姿になっていた割合が高かった気がした。
ただ高温多湿の日本の風土にあわなかったのか、いつの間にかみんな白の木綿のパンティに戻ってしまった。
女のナイロンパンティが流行った頃、男もナイロンブリーフが流行った。
夏はむれるので木綿のカラーブリーフ&ショーツが出現するまで結局白の木綿のブリーフ&ショーツに回帰していたな。
むれ対策でカラーのタオル地のパンツもあったけどゴワゴワするので定着しなかった。
タオル地はブリーフだけだった気がする。
パンティでは見たことはない。
クレープ地のパンティはあつたが。
カラーパンティに白のスリップだとカラーのパンティが浮かび上がる。
特にかがんだ時なんかパンティが直にさらしているのと同じ状態になっていた。
本人スリップを着ているからパンティが隠れていると思ってしゃがみこんで帰り支度をしているが下のパンティがばっちり目立っていた。
そういえば白のスリツプにパンティが透けて見えるの嫌がってか、スカート脱いだらまだ上半身の服を脱いでいないのにスリップに手を入れて速攻でパンティ脱いでいたおばさんがいた。
白のパンティだからそんなに浮き出ないはずなのに意識過剰だと思った。たぶん他の人がスリップ姿でいるのを見てパンティが透けて見えているのに気がついたのだろう。
上着を脱ぐより先にパンティを脱ぐほうがよほど不自然だと思うが。
子供の時見た女湯でスカートとスリツプとパンツを一遍に脱ごうとしていた大人は、なんか脱ぎにくそうにズルズルと脱いでいた。
急いで脱ぐとパンティが残って裏返ったりするからかもしれない。
昔の女性はパンティを穿く時まるで屈伸運動みたいにして穿いていたね。
今女の人はそんなことはしない。
男がブリーフ穿くときと同じような穿き方。
昔はズロースを穿く時に屈伸運動みたいにして穿かないとしっかり穿けなかったかった時の経験からパンティに移行しても同じようにして穿いていたが最初からパンティだった世代は、そんなことをしなくても良かったので屈伸運動みたいなことはしない。
それに気がついた上の世代も屈伸運動をやらなくなった。
今でもガードルやパンストを穿く時はやっている。
ズロースてのも色々な形があるが主にちょうちんブルマーみたいなパンツたな。
これは文字通りちょうちんみたいな形で裾のゴムがぴっしりしているから屈伸運動みたいにして穿かないとピシット穿けなかった。
子供の頃銭湯でナイロン色物のブリーフ&ショーツを番台で売っていたが、ブリーフの方はそこそこ売れていたがショーツの方は売れていなかった。
やはり当時の女性は近所の人が見ているかもしれない所でナイロンカラーパンティを買うのは恥ずかしかったのかもしれない。
カラーパンティの人はやはり堂々とパンティ一枚でいたな。ゴムをパチンとはじいたりして。
カラーパンティ穿いているのにこそこそパンツを隠していたら変だものね。
俺が子供の頃の話だが、北海道は子供が異性の湯に入れるのは12歳までと余裕があった
だから小6の姉と小3の俺と父と3人でスーパー銭湯的な男湯に入った
そしたら父は途中でサウナの方に行っちゃって俺と姉が二人で入ってた
身体を洗ってる時に俺気づいたんだけど、知らないおじさんが姉の横について、耳元で小さく「オ〇〇コ」とつぶやいた
何度も何度も
姉は聞かないフリをしていた
それでも執拗に耳元で言う言葉が俺に聞こえてきた
「オ〇〇コ」
後になって意味を知ったが、なんか嫌な事を姉が言われてるのはわかって嫌な気持ちがした
それからまた露天風呂の方とか行ったが、そのおじさんは姉の方に来てジロジロとすごい見てきた
姉の身体を見に来てるとすぐわかった
姉はもう胸が膨らんでて、下の毛もうっすらと生えてたのを覚えてる
だからエッチな考えで姉を見に来てる事が俺にもわかり嫌な気持ちがした
姉はそのおじさんを見ないようにして俺に話しかけたり黙ったりしていた
移動するたびにそのおじさんが付いてきて怖かった
姉の横にすぐつくんだ
父親がサウナの方に行ってるのわかってたんだろうな
容赦なく姉を近くでガン見しまくる
姉はもう話もしなくなってた
ソワソワと動いたり遠くを見ながら黙っていた
考えたくもないけどもしかして、触られてた?湯船の中でケツやら大事なとこやら…
こういう事は聞けないし死ぬまで分からない事だな…
子供のころは家に風呂がなかったので、父親の居なかった俺は、毎日、お袋かばあちゃんに連れられて近くの銭湯に行ってた。
信じられないかもしれないが、小3まで女湯に入ってた。
昔はおおらかだったね。
いつのころからか、エッチな感覚というより単に好奇心で、自分と違うところの構造がどうなっているのか知りたくて、湯船をまたぐ大人の女性をしたから眺めるようになった。
また洗い場の鏡の下から向かい側の人の下半身を観察したりした。
まさか向こう側から覗かれているとは思わないから、大胆にM字開きでイスに座って洗っているひとが多かったね。
なかでも自分の割れ目を横に指で開いて中を確認しながら、なんどもお湯をかけているところを目撃したときは、「へえ、こうなってるんだ」と納得したわな。
生々しい肉色はいまでも鮮明に覚えてる。
あと、そのころはシャワーなんてないから、頭を洗うときには、よく両膝をついてお尻を持ち上げながらお湯をかける人が多かった。
その後ろに立って観察してたら、お袋に「そんなところ観るんじゃないよ」と怒られたが、その理由が「汚い」からだと勝手に解釈して、目を盗んでは覗き込んでいた。
今考えると、変態なガキだったよなあ。
でも純粋だったからできたね。
そうした記憶は、あとになってすごく貴重なものだとわかったのは十代になってから。
今では混浴できる年齢が県の条例で決まっていて店もちゃんと守っているのだろうが、私の子供のころは小学校の制服を着ていると6年生でも許されていた。
父親について銭湯にゆくときは姉が小学生のあいだは一緒に男湯に入っていた。
姉は成長が早く、すでに5年生で大人並みに胸も成長し陰毛もジャングル状態だったが、平気で男湯に入っていた。
風呂で私のクラスメートと出会うこともあり、姉の剛毛はクラスでも有名だった。
姉が中学に入って女湯に行くようになると、私は男湯には行かず姉について女湯に行くようになった。
6年生になる頃には私も陰毛が生えてきた。
包皮もむけるようになり勃起すると亀頭が半分露出するので、女湯では勃起しないように気を付けていた。
しかし、いつも半分勃起状態で、よく見知らぬおばさんから
「あら、あなた、立派なチンチンしてるわね。まあ、チン毛もはえてきてるじゃない」
とからからかわれた。
女湯ではクラスの女子に出会うこともあったが別にどうと言う事もなくお互いに隠しもせず言葉を交わしていた。
それに小学生はひとりでは入れてくれなかった。
だから一緒に来たのが父親だったら男湯、母親だったら女湯に入るしかなかった。
母親と一緒で女湯に入っていて、母親が着替えるときなどにお尻を突き出したら、和太鼓みたいに連打したものだった・・・
おばさんたちは脇毛は生やしぱなし、陰毛も生やしぱなしだった。
夏場は銭湯の脱衣場の窓が開けっ放しだから隙間からも見えた。
何十年も前の話だけど 今だから話せる危ない話をしたいと思います。
といいますのは、若い頃というのは とにかくスケベな思いばかりで朝から晩まで過ごすことが多くなります。
そんな中、今で言うところのストーカーのようなこともよくしました。
ストーカーとは言っても、相手の女性には知られずに後を着けるのです。
駅から出てきた若い美人のOLがいれば 後を着けるのです。
そして、アパートの扉には郵便受けの細長い穴があります。
そこから 覗くのです。
そうすると、驚きの光景が目の前に飛び込んできます。
仕事帰りのOLが 2m先くらいのところで ストリップショーをするのですからね。
おまけに、プロの女ではないので それがまたそそられるのです。
あるいは、お風呂覗きもよくやりました。
ある意味 エッチをするよりも 興奮しましたね。
毎日 毎日 違う女性の裸やストリップショーを拝めるのですからね。
あの頃は、今のようにデジタルカメラとかデジタルビデオなどがない時代だったので、
証拠として何も残ってはいないのだけが 残念で仕方がありません。
オレの記憶の中にあるものが 全てです。
最近 記憶力が衰えてきたので それらも全部忘れてしまうかもしれません。
その代り 強烈な記憶だけは中々忘れることはできません。
ある時などは、お風呂覗きをしていたら 感ずづかれたのでしょうね。
追いかけられたこともありました。
徐々に追いかける人が多くなってきて、どぶ川の橋の下でホトボリが覚めるまで過ごしたこともありました。
あるいは、団地の屋上に逃げたこともありました。
そしたら 覗かれた家のオヤジが 長い鉄パイプを持って屋上に上がってきたのです。
そんで 見つからないように 別の出口から一目散に退散しました。
またまたある時には、キレイな女性がストリップをしている最中に
「Oh すごいね」と思わずいってしまったこともあります。
そしたら 彼女が 男を呼ぶのです。
「〇〇ちゃ?ん」と
これはヤバイと思い、 慌ててその場から退散したこともありました。
郵便受けとかお風呂場覗きは 何日もやっていると
ルートが段々決まってくるのです。
今日はこのルート 明日はこのルートといった具合にね。
覗きながらシコったこともありました。
若かりし頃なので ビューンと よく飛ぶのです。
今では 考えられないことです。
ある時、お風呂覗きをして歩いていたら、大きな豪邸のようなお家のお風呂の明かりがついていました。
そんで さっそく覗こうとしたら 窓を開けっぱなしにしているのです。
何せ、田舎の9時以降なので 2人の女性の声が 大きくひびき渡っているのです。
その代り、窓を覆う金属製の壁のようなものがありました。
ただし、その壁には小さな穴が5㎝位の間隔であいているのです。
そのため、向こうからは覗かれていることは分からないのだけれど
こちらからは お風呂の中が丸見え状態になるのです。
しかも 若い娘さんとそのお母さんとが2人で仲良くお風呂に入っているのです。
若い娘さんとはいっても、娘さんが30代で お母さんが50代くらいでしたかね。
熟女好みの私にとっては どちらを見ても 興奮します。
ちなみに 娘さんの方がオッパイが ツーンと上を向いていました。
一方、お母さんのほうはというと オッパイが少しタレ気味でした。
それでも お母さんはほっそりとスリムな上に 美人でしたね。
もちろん 娘さんのほうも 美人でした。
それこそ今の時代であれば、ビデオカメラで撮影でもしておきたいくらいですね。
あるいは、今でこそ銭湯というのは 少なくなりましたが、
昔は街の彼方此方にありました。
中には、節穴だらけの塀に囲まれた銭湯もありました。
そのため、その節穴から女湯が丸見え状態なのです。
近所の奥さんが 数メートル先でストリップをしてくれるのです。
それも 何十人もの奥さん達が!
これも 忘れようにも忘れることのできない よき思い出です。
花金になると 彼方此方でおっぱじめるのです。
お風呂の中とか あるいは部屋の中
部屋の中も カーテンを閉めているものの
僅か3㎝程の隙間さえあれば 外からは丸見え状態です。
おまけに カーテンを閉めているために
まさか覗かれているとは思わないし こちら側は真っ暗なので
まるで透明人間状態なのでしょうね。
まさに ストリップショーでいえば まな板ショーのかぶりつきです。
アンアンアンと気持ちよさそうに 女性の喘ぎ声が聞こえるのです。
今日は 3回も いっちゃったわ! なんて 彼女が言っているのです。
大昔は「三助さん」って言って、女湯の客の背中を流す仕事の男性がいたそうです。
もっと昔、江戸時代は、お姫様も町人の入る銭湯に行っていました。
当時は銭湯は男女混浴でした。
腰元の女性を数人したがえて入っていたそうです。
さすがにお姫様は全裸にはならず、腰巻のような薄い衣類をまとって入っていたそうです。
湯の中に入る時は、町人のスケベ男からお姫様を守るため、腰元の女性数人が、お姫様を囲むようにして入り、「やられ役」もこなしたそうです。
男たちは腰元の腰巻をめくってバックからグイグイ挿入したそうです。
江戸の町人文化って自由奔放だったんですねぇ。
今、混浴の銭湯があったら、こんなことって起こるかなぁ?
って言うか、そんなところには女性はこないか・・・。
北海道編
あれは俺が北海道をあてもなく旅していたときのこと
北海道は良い、飯も美味いし空気も美味いし(本当に空気が全然違う)、九州のようなジメジメした暑さとは違う
カラッとしていて、日中は太陽が気持ちよくて、日が暮れるとちゃんと涼しくなる
夏の北海道はオススメだ!
スイカにメロンにトウキビにジンギスカン!
スープカレー!旭川のしょうゆラーメン!
グルメツアーに夏祭りにひまわり畑、見どころ満載で1ヶ月くらいじゃまわりきれない
本当は北海道の良さ・夏の旅をもっと赤裸々に語りたいのだが、それは萌え体験の趣旨と変わってしまうのでここいらで割愛させてもらいます。
ある夏の日の夜
その日、俺はアイヌの集う祭りに参加していた
会費は千円くらいだったかな?
アイヌ民族の伝統舞踊、力強い演目に目を奪われる
最近出来たウポポイなんちゃらとはワケが違う
観光客向けのものではなくて、正真正銘のアイヌ人たちによる、アイヌの間でだけ伝えられてきた伝統舞踊
アイヌには文字の文化がない、厳しい北の大地では紙が作れなかったから、そのためアイヌの伝承は歌と踊りによって受け継がれてきた
中には三日三晩かけて歌われる伝承もあるのだとか
美しい…純血のアイヌ人たちの舞踊はこうも様になるものか
そしてハーフの2世3世たちはメチャクチャ美形が多い!
整った顔立ちのアイヌと、童顔の日本人が合わさると物凄い美形になる
正直結婚して欲しいなぁーレベルの女性たちに囲まれて、しばし宴を楽しんでいた
舞踊が終わるといよいよ交流会の始まりだ
立食形式の交流会、特に知り合いのいなかった俺は、適当に近くにいた女の子に話しかけてみた
俺「こんばんは」
女「こんばんはー」
俺「学生さんですか?」
女「そうです。お兄さんは?」
俺「拙者無敵の旅鴉!今は北の果て北海道から、北風に合わせて南下している渡り鳥であります」
女「渡り鳥さん!? 楽しそうですねー^^」
えっ何々、渡り鳥?
どこから来たんですかー
いつもどこで寝てるんです?
っと気づけばまわりに人が集まってくる
俺はお決まりの旅エピソードと写真を見せてさらに盛り上げる
どうやら話しかけた女の子は札幌の女子大生
女子大生4人で旅行中だったらしい
そのうちの1人がアイヌの血を引いてるらしく(とはいってもハーフのハーフのこれまたハーフのでほとんど日本人なのだが)、それで興味を持って遊びに来たのだとか
そして残り3人の女の子のうち2人は台湾からの留学生、2人とも流暢に話すからわからなかった
そんな女子大生の4人組と仲良くなれた!
さて夜も8時をまわり、そろそろお開きムードが漂い始めた頃、彼女たちにどうやって帰るのか聞いてみた
タクシーを呼ぶと1万近く取られてしまうよ?
だったらまたヒッチハイクしようよ!
こんな夜中にとまってくれるかなぁ?
じゃあ歩く?
無理だからw
ヒッチハイクするなら俺の車乗るかい?
良いんですか!?
うん、ちょい窮屈だけど荷物奥に仕舞えばなんとか乗れると思うよ
ならお言葉に甘えて♪
そんなこんなで夜のドライブを楽しむことになった
車は車中泊用にフラットにしていた後部座席を起こして、布団や着替えを奥にやってとちと手間取ったが、女の子たちにも手伝ってもらって何とかまとめれた
道中は旅の話題で盛り上がる
女の子たちは2グループに分かれて電車に乗ったり、バスを乗り継いだり、時には車に乗せてもらいながら旅行を続けていたらしい
一方の俺は船旅や車中泊での移動に、海外旅行、登山、キャンプの話しで盛り上がった
特に台湾人の女の子とは仲良くなれた
まさか留学先の夏休みで故郷の話ができると思わなかったのだろう
また彼女たちもキャンプ場に泊まる予定だったらしく、キャンプ用品や車中泊の仕方に興味津々
一緒にキャンプ用品見に行って、登山しようという約束まで取り付けた
夜のドライブでテンションも上がり
心の距離もグンと近づいたことで気も大きくなったのだろう
あえての寄り道を提案する
ラベンダーの丘(?)
青い湖
白い滝
電車やバスでの旅行も悪くはないが、車だからこそ見れる景色というものがある
特に夜の湖は圧巻だ、女子大生たちも感動してくれたようだった
…さぁて準備は整った
時刻は深夜10時をまわったところ
俺は彼女たちを『温泉』に誘ってみる
温泉、これは日本古来から伝わる文化である
大衆浴場の銭湯とは違う、地下から湧き上がる天然の源泉を溜めた池…これを『野湯』またを『秘湯』と呼ぶ。
そうあるんだよ、ここにはとっておきの秘湯が
ええ、そんなのあるんですか!?
見たい見たい!!
それ入れますか!?
○○さんいきましょう!
よし、しっかり段取りを踏んだ甲斐があった!
彼女たちのテンションが最高に跳ね上がってる
普段だったら、こんな夜中に男と一緒に温泉なんてありえないだろう…しかし、そんな常識を旅のテンションが跳ね除ける
旅の恥はかき捨てってやつだ
さぁついた、山の中腹からコンコンと湧き出る源泉、開放感100の温泉!
まさかこんな山奥で入れる温泉があるとは知らなかったのだろう、女の子たちは大はしゃぎでカメラをまわしてる
そして俺は服を脱ぐと湯に入る
ふぅーー極楽極楽(温泉)□
えっ…と固まる女の子たち
あれ、ちょっと待ってコレって……混浴!!?
明らかに動揺する日本人2人
意外にも平然としてるのが台湾人の女の子
流石肝が据わってる
台「気持ちいいですか?」
俺「うん、最高だよ」
台「暑くないですか?」
俺「ちょい暑めの湯に、山からの冷たい風があたって最高に気持ちいいよー」
日「コレって私たちも入れるんですか?」
俺「もちろん!無料の野湯だよ、せっかくなんだし入ってみれば^^」
えーーどうするーと話し合う日本人2人
台湾人の2人はサクッと入ってきた
台「うわ、すごい広いね!」
俺「暑かったらこっちのホースから水でてるからね」
台「この水も温泉ですか?」
俺「いや、これは川の水を引っ張ってるんだね」
台「冷たいねw」
そうこうしてるウチに残りの2人も入ってきた
女子大生4人と混浴タイム
この世の楽園があるとしたら間違いなくココだろう
俺「真っ暗だから足元気をつけてね、ライトはコレ使って」
日「ありがとうございます…あんまり見ないでくださいねw」
あまりに堂々と見てたから怒られた
俺「はい、こっちはヘッドライト」
日「あ、ありが……○○さんエッチなこと考えてるでしょww」
そしてあまりに堂々とした『モノ』を見せてるから怒られる
いわゆる""もっこりライトルーン“
真っ暗闇の中、ライトでもっこりを照らしだす遊び、昭和時代に流行ったゲームだ
女の子たちのもつライトに『わざと照らし出される』位置に立ち、もっこりを見せつける
女の子たち爆笑
次第に話題が俺のことに移ってゆく
○○さん良い身体付きしてますねww
何かスポーツでもされてるんですか?
登山だけ?自転車も?
彼女はいるんですかーw
そうこうしてるウチに次のお客さんたちが来たので撤収
次の日、4人と一緒に北海道観光
さらに次の日は台湾人2人と登山も楽しんだ
LINE交換して、札幌でパフェ食べる約束もした
人との出会いこそ 旅の醍醐味ですよね
"子供の頃、銭湯に行くと母親と一緒に女湯に入るのだが、女の股間を見ると子供は縦スジ一本だが、大人はマン毛が生えている。たくさんの大人の股間を見ると毛の生えている範囲の広さや形、そして毛の濃い薄いとか毛が直毛か縮れっ毛か、毛が長いか短いか等に個人差が有りなかなか奥が深いと思った。小学6年生は毛が生え初めているが、濃くはなくて割れ目が見えてエロかった。中学生のマン毛もなかなかエロかった。大人はマン毛が性器を隠していてあまりエロく感じなかった。父が家を建てて引っ越し母親と二人で自宅の風呂場で初めて母親の股間をガン見して判ったのが・毛の生えている範囲が広い。・毛が下向きで長い。・毛深い。という事だった。母親のマンコが見たくて、よく立っている母親の股間を下から覗いて怒られた。母は手やタオルや脱いだパンティーで股間を隠していた。子供の俺に見られて恥ずかしいというよりは、教育上、女性器を男の子に見せるのはいけないと考えていたのだと思う。母親がマンコを洗っているのを真正面に移動して見て勃起していたら激しく怒られた、9歳の頃だ。
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