萌え体験談

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初体験

姉に筆下ろししてもらった

小6の時、何となくペニスを弄っていて精通し、今まで感じたことのない感覚が怖くて当時、中2だった姉に相談したところ、大人に近づいた証拠であると教わった。その日から姉による性教育が始まった。我が家は両親共働きで帰りが遅く食事や入浴はいつも姉と一緒だった。始めのうちは男女の体の違いを学校の教科書で教えてくれた。担任の先生が教えてくれないところまで教えてくれたので興味津々で聞いていたのを覚えている。
ひと通り教科書の内容が終わったら続いて実物を見て教わった。その流れでオナニーのやり方やペニスの洗い方まで教わって姉の膣と見せてもらった。
姉の膣は陰毛が産毛のように生えていて子供ながらエッチな感じがした。姉の膣は中までよく見えるわけではなく、広げて少し中を見ると半透明の薄い膜があった。
生理の時も経血塗れの膣を見せてもらって赤ちゃんの作り方を学んだ。その実践としてクリスマスの日に両親は相変わらず仕事で帰りが遅かったので姉の部屋で初体験をした。姉も処女だったらしくなかなか適切な位置に入らず手こずったがなんとか根本まで入れることができた。途中まで何か抵抗があったが途中に「にゅるん」という感覚があってから一気に入った。正常位では抜けるばかりだったので途中から姉が上に跨って騎乗位で動いて気持ち良くてすぐに射精してしまった。初体験で中に出したあと、姉がまだイッていなかったので挿入したままオナニーしていた。そのあとも何度かやったがその日は同時にイくことはできなかった。
そのあとも親の目がないところではコンドームを着けてやりまくった。この関係は姉が大学に入り家を出るまで続いた。

姉さんとのSEXは最高!

俺が中1、姉さんが中3の時に近親相姦で初体験した。
それまでも幼稚園の頃からエッチな遊びをしてたから、お互いに感じる場所は知り尽くしてた。
何故中学までエッチしなかったかと言うと、俺が包茎だったから。
中学入学してすぐに頑張って剥いて、痛みが引いてオナニー出来る位になるまで我慢してた。
包茎のままフェラしてもらうのと、剥いてからフェラしてもらうのでは快感が段違いだった。
姉さんも口の中に勢い良く出る精子に驚いてた。
余りにも気持ち良くて1回出しても全然萎えない。
姉さんは胸が小さいからパイズリは無理だったけど、自分から乳首に擦り付けてくれた。
初体験だからって事で避妊具は使わずに生でやった。
生は姉さんから言い出した事だから、俺は嬉しくて躊躇なく突き入れた。
想像以上に姉さんマンコは締め付けてきて、危うく入れただけで射精しちゃう所だった。
姉さんのマンコとアナルには、今まで指やソーセージ等、色々入れて遊んできたから痛みは無かったみたい。
マンコの感触をチンコで存分に感じながら、徐々に腰を振り始めた。
油断すると射精しそうになるから堪えるのが大変だった。
出す前に姉さんに膣内射精して良いか確認したら、そのつもりで生で入れさせたって言われた。
深く突き入れたまま遠慮無く膣内射精させてもらった。
念願の近親相姦をした上に、膣内射精までさせて貰えて最高の初体験だった。
姉さんも精子が流れ込んで来る感覚が気に入ったみたいだった。
俺は2回も射精したのに、まだ治らなくて体位を変えて更に突き続けた。
結局マンコに3回膣内射精して、アナルにも1回中出しして治った。
姉さんは腰が痛いって言ってた。
それから毎日姉さんと近親相姦してる。
二階のベランダから親父が洗車してる所を眺めながらSEXした事もある。
たまに親父が俺達に話し掛けてきて、それがまたスリルがあって気持ち良かった。
ベランダは柵じゃなくて完全に囲まれてるタイプだから、下からは何も見えないけど下半身丸出しで近親相姦してるんだからね。
もし近親相姦に興味がある、又は近親相姦してるって人は、親にバレないように気を付けながら目の前でSEXしてみて。
凄く興奮するし、快感度もアップするよ!

姉がデリヘルで勤め始めたけど、ぽっちゃり体型なのでアナル出来なきゃ指名取れないよと言われたそうです

「そう言う訳だから協力して!」
「協力って何すれば良いわけ?」
「アナルが使えるようにして欲しいの」
「拡張しろってこと?」
「うん…弟に頼むような事じゃないのは解ってるけど、あんたしか頼める人がいないのよ」
「ま、俺は別に良いけど?姉ちゃんのアナルを拡張出来るなんて面白そうだし」
「本当!?拡張終わったら最初のアナルはあんたにやらせてあげるからね!」
拡張したらアナルセックスの最初の男になれると言われて俄然やる気が出た。
それから毎日姉のアナルを舐めたり弄ったりして柔らかくしていく。
一週間、二週間と経過してだいぶ柔らかくなったアナルは俺のチンポなんて簡単に入るサイズまで広がるようになった。
「ここまで拡張すれば充分だと思うよ」
「ん…じゃあ最初の相手になって…お姉ちゃんのアナルバージン貰って」
「初めての記念に生で入れさせてもらうよ、妊娠しないから中出ししても良いだろ?」
「拡張してくれたのはあんたなんだから好きなようにして良いよ」
乾き始めたアナルにローションを追加したらチンポにも塗る。
そして遂に…姉のアナルと繋がった。
「おおお…!これがアナルか…程よく締まって柔らかさもあって…めっちゃ気持ち良いよ姉ちゃん」
「アナルにチンポを入ってくるのって不思議な感じ…でも出たり入ったりすると擦れて気持ち良くなっちゃう…アナルで弟とセックスしちゃってるんだね」
「仕事でこれからは他の男も姉ちゃんのアナルにチンポ入れるのか…妬けちゃうなぁ…」
「独り占めしたいの?ごめんね」
「俺が使えるようにしたアナルだからね、出来ればこのまま俺だけのアナルでいて欲しかったよ」
「仕事の時はゴム着けてもらうから生で許すのはあんただけだよ、バージン貰ってくれたお礼にこれからも生でやらせてあげる」
不特定多数の男が使いまくっても生は俺だけなら少しは妬ける気持ちが落ち着く。
「俺だけ生の約束忘れないでよ?中出しして俺の匂い付けとくからね?」
「いっぱい出して良いよ」
初アナルが弟とで中出しもさせてくれる姉に感謝して奥に流し込む。
「アナルとは言え姉ちゃんに中出ししてるんだな…めっちゃ興奮する」
「うふふ…私も弟に中出しされてるから興奮しちゃうよ」
無事にアナル初体験を済ませた姉は自身が付いたようで、翌日からの仕事でもアナルを使って着実にファンを増やしていった。
中には巨チンの持ち主もいて拡張が足りないと感じる場面もあったそうだけど、複数の男に使い込まれていくうちにそこそこの巨チンでも余裕で受け入れられるようになったみたいだ。
俺とは約束通り生でやらせてくれてる。

姉オナニー目撃

駐煮の時、部屋でオナーニしてたら義理の同い年の姉が入ってきてもろに見られた
姉はそのまま無言で出て行って3日くらい気まずかったのを覚えてる。
その後、事あるごとにエロ呼ばわりされて鬱
でもしばらくしてこちらも姉のオナーニを目撃してしまって
「お互い気をつけよう」でエロ呼ばわりされなくなった。
その後何度も目撃しつつされつつしたが(藁
そのうち相互オナーニとかするようになって、
ある時我慢できなくなって入れようとしたら蹴られた。
それから半年くらい何も無かったんだけどまたしようって言われて、
今度は入れさせてくれたが既に処女じゃなくて軽いショックを受けたな
半年前はもしかして漏れと初体験するのが嫌でさせてくれなかったのかと。
漏れはそれが初体験だったが

三度目の正直

当時高二だった俺(以下A男)と、幼馴染にして彼女である(以下B子)は、二度にわたる初体験の『お預け』を喰らっている。

一度目は俺宅で起こった。
その日、共働きの両親はいずれも残業で、妹も塾で居なかった。そこでB子を家に誘い、以前より交わしていた『初体験の約束』を、まさに実現しようとしていた。
ベッドの上でイチャつき、気持ちを確認し合ったところで唇を重ねていった。しかも、それはいつもと違う大人のキス。我を忘れて舌を絡ませ、唾液の味を堪能し合う。
そして、服の上から相手の体を愛撫し始め、制服を脱がせていく。互いにワイシャツと下着のみという半裸になり、そのまま前戯をたっぷりと満喫した。
「B子……俺もうそろそろ……」
「うん、いいよ。来て」
だいぶいい感じに仕上がってきたのを見計らい、残っていたワイシャツにブラジャー、さらにショーツまで引き剥がす。
B子の裸体を目の前にした俺は、ズボンのベルトに手をかける。カチャカチャと音を立てながらバックルの留め金を外し終え、ビンビンになった息子を露出させる。
「す、すごい!! B男のオチンチン!!」
「じゃあ……い、挿れるぞ!!」
「ちょ、ちょっと!? ゴム、ゴム!!」
「あっ!? わ、悪い……ついうっかり……」
「もぉ……赤ちゃんできちゃったらどうするの?」
B子に指摘され、ゴムを素早く息子に装着させて戦闘準備を整える。
「じゃあ、今度こそ……」
込み上げてくる射精感を堪え、荒れ狂った息子を握りしめ、先っぽを割れ目へと近づける。すると、『ピンポーン』というインターホンが鳴り響いてきた。
慌てて服を着て玄関に出ると、そこには妹の姿があった。なんでも学校で風邪をひいたため、塾に行かず帰ってきたとのこと。
俺は仕方なしに妹の看病をすることになり、B子をひとまず帰すほかなくなった。
深夜、B子から一通のメールが届いた。
開けてみると、『来週、親とお兄ちゃん居ないから、今度は私の家でしない?』という内容が書かれてあり、俺は即行で『分かった。約束だからな!』という文面を返信した。

翌週、約束の日がやってきた。
前回と同じく学校帰りにB子宅へ寄り、ベッドの上でたっぷりと愛撫を済ませたのち、いざ挿入の段階へ移る。しかし、経験がないゆえに悪戦苦闘を強いられた。
「あ、あれ!? おかしいなぁ……」
「ちょっと早くしてよ! 乾いちゃうじゃない!!」
「分かってるって! 今、挿れるから……」
しかし、その後もなかなか挿入できず、それどころか急激な射精感に押し寄せてきて、我慢しきれずイッてしまった。
「う、うぅっ……!?」
「はぁ?!? 何一人でイッてんのよ?」
「ご、ごめん……今、ゴム付け替えるから……」
 新たなゴムを装着し、再び狙いを定めようとした瞬間、またしてもドピュッと射精してしまった。
「この下手くそっ!!」
「……すいません」
その日、B子はえらくお冠でエッチはお預けとなり、俺は絶好のチャンスをみすみす不意にしてしまった。
それから数日間はまともに口も利いてもらえず、ほとぼりが冷めた数週間後、三度目の正直でようやく結ばれた。
現在、B子は俺の元に嫁いできている。

祭り

昔住んでいた地域では子宝祭と呼ばれる奇祭があった。正式な名前は別にあったようだが、地域の人はみんな子宝祭と読んでいた。
立秋から立冬の間で晴れた日に行われていて表向きは五穀豊穣や子孫繁栄を祈る神事でその年の収穫された作物を供えて宮司と氏子総代が神前で祝詞奏上したりするこじんまりとした祭りだったが、夜は違う面が見える。
夕方になるとその年に12歳になる男子と10歳になる女子が神社に集まり、初めての性行為をする。男女のペアはくじ引きで決められるが、本人たちの強い要望があればそれが優先される。そして決まったペアは神社の裏手にある布で簡単に区切られた2畳ほどの部屋に入り、初体験をする。私たちが生まれる前は唾液や体液のみで潤滑をしていたらしいが、私たちの時はローションが用意されていてスムーズな挿入が可能だった。
私の相手は隣に住んでいた琴美という子で昔から仲がとても良く、子宝祭の時にはペアを組む事を約束していた。
子宝の後からは本人たちが良ければそのままカップルになって結婚までする場合もあるらしい。この祭りがあるのが理由かは定かではないが、集落の初産の年齢は10代がほとんどで生まれた子供は地域の中でしっかりと育てていくので母親は比較的安心できるようだ。
琴美とは子宝祭の後も最低でも週に1度は会って性行為をしていた。その結果、琴美が16歳の時、第一子を妊娠して元気な女の子を産んだ。その後も琴美の無限大な性欲のため、乳離れする頃には第二子を妊娠していた。
結局成人するまでに2人の子供を産み、成人式の時には第三子を妊娠していた。全て私と子供だった。今は琴美と子供たちと共に集落から出たが、今でも子宝祭の思い出は鮮明に覚えている。

妻の母性愛が刺激されたようで小学生の男の子に寝取られた

妻は21歳、僕は25歳で新婚1年をチョッと過ぎたところです。

僕が妻と知り合ったのは会社の入社式の時で、

僕の隣に立って居たの妻でした。

その時の妻に対する第一印象派は幼さの残る汚れ無き瞳、

ただ童顔というだけじゃない澄み切ったつぶらな瞳に程よく膨らんだバスト、

キュッと吊り上ったヒップのライン、僕は身も心も吸い寄せられるようでした。

それはただ単純に年齢の違いが感じさせるのでは無く、

それまで女性とは無縁の大学の研究室にこもっていたせいでも有りません。

女性関係で言えば、在学中にも数々の誘惑も有りましたが、

僕の研究の妨げになるほど魅力的な女性が身近に存在しなかったからです。

そんな僕が彼女と交際するきかっけは、

通勤電車が同じ路線で僕より一駅後に彼女が乗車して来る事に彼女が気付き、

挨拶をかわすようになってからです。

でも、最初は部署が違うので(彼女は経理課、僕は新薬の研究室)話が噛み合わず、

お互いに歯がゆかった事を覚えています。

しかし、相性が良かったのか仕事以外の話に花が咲き、

交際を口にするまでに差ほど時間は掛かりませんでした。

でも彼女は僕の交際の申し出に「先に両親に会って欲しい」と頼まれ、

深く考える間も無く彼女自宅へ。

そこではギコチナイ僕とは裏腹に彼女の父親は雄弁でした。

何故なら彼女から僕の履歴や仕事の内容を聞かされていたようで、

歓迎ムードでひたしく笑顔で話しかけてくるのです。

で、結局あれよあれよと言う間に僕の両親を巻き込んで

アッと言う間に結婚の段取りまで組まれてしまいました。

でも、僕としては彼女となら決して後悔しなだろうし、

逆に結婚しなかったらその事を後悔したと思いました。

それで去年の2月にゴールイン。

それこそアッと言う間の出来事でした。

でも仕事の都合で新婚旅行には行けず、結婚して直ぐ新居での新婚生活に入りました。

それから彼女は入社10ヶ月での最速寿退社の記録を作り、

新天地となる今のデザイン事務所の経理として20人余りの小さな会社に再就職しました。

ここまでは長〜い余談です!


新婚旅行をお預けになった僕たちは、

1月の3連休を利用して信州でスノボーを楽しもうと計画をしていましたが、

それを妻の勤める会社の社長が聞き付け妻にこう頼んだのです。

「私の妻は7年前に、私と小学校1年の一人息子を残し他界しました。

それ以降私は再婚もせずに息子と二人で頑張って来たのですが、息子には何一つ親らしい事をしてやってません。

以前から他の家族のようにスキーやスノボー、海水浴にも連れて行ってやろう思うのですが、

私も55歳という年齢で決して息子とスポーツ楽しむ体力など残っていません。

せめて私が死んだ後に息子が苦労しないように、切り詰めてお金を残してやる事ぐらいしか出来ないのです。

しかし、それでは息子が余りにも可哀相に思うのです。

何故なら息子は妻が亡くなってからは一言もお母さんの話をするどころか、私の前では涙一つ見せず、

自分の事は全て自分でして、決して私に負担の掛からないように気を使って来てくれたのです。

それどころか、最近では掃除・洗濯だけじゃ無く、料理まで作ってくれるのです。

でも、中学2年になった今でも成績はトップを維持して、親孝行な子なんです。

だからお願いです。ご迷惑なのは百も承知でお願いします。息子を一緒にスノボーに連れて行ってやって下さい」

人の良い妻はそれを気持ちよく承諾して僕に報告しました。

ん〜僕としては新婚旅行の変わりのつもりでいたので少し残念でしたが、

でも妻の気持ちがよく分かり快く承諾しました。

旅行当日、僕たちは仕事を終えると直ぐに準備をして社長の息子M君を家まで車で迎えに行き、

社長に見送られながら後部座席にM君を乗せて一路信州へ車を走らせました。

車中では緊張しているのかM君は僕達の話し掛けに

「はい・いいえ」

としか答えず、ぎこちない時間をしばらく過ごしましたが、

パーキングで休憩した後に妻が気を利かせて後部座席のM君の横に座った事で3人の距離が縮まり、

M君も重い口を開くようになりました。

最初、僕たち夫婦は亡くなった母親の事や、その後の生活の事は触れないように気遣いましたが、

次第に話題がその方向に向かってしまい、気まずい思いをするかと思ったら、

逆にM君から、私生活の失敗談、例えばお父さんのセーターを普通に洗濯機で洗って縮めてしまった事、

ご飯が上手く炊けずに、おこげやオカユを連日親子で食べた事などを面白おかしく話してくれるので、

僕たち夫婦はM君の繊細な気遣いと頭の良さに感心しました。

そんなM君も深夜3時を廻ると眠気が襲ったのか妻の膝を枕に、

結局ゲレンデに到着するまでグッスリでした。

でも、そのお陰でゲレンデに到着すると初めてのスキー場に大喜び!

その時僕たちは初めてM君を連れて来て良かったと心から思いました。

僕と妻はまだ朝の5時過ぎで、まだリフトも営業していないので車で仮眠を取る事にしましたが、

M君はお父さんに買って貰った真新しいウエアーに着替えると、

僕たちが仮眠から目覚める8時頃まで一人で雪の上で遊んでいたようで、

車の周りは小さな雪だるまが沢山並んでいました。

僕はそれを見て妻が一粒の涙を流したのが印象的でした。

その後、僕たちはウエアーに着替えると、M君のボードをレンタルで借り、ゲレンデに向かい、

初体験のM君に手取り足取り滑り方を教えていたのですが、

やはり妻の教え方が上手いのか僕は蚊帳の外になり、

気を利かせた妻は僕に

「M君は私に任せて、あなたは滑って来て」

と言われ疎外感は有った物の、

僕もその方が助かると思い自分の上達を目指して頑張る事にしました。

結局一日僕は妻と別行動を取り、夕方に合流して旅館に向かう車の中では、

M君と妻は本当の姉弟のように打解け在っていました。

旅館に入り、夕食を済ませ温泉から揚がり寝床に入ると、

先ほどまで元気だったM君は疲れが出たようで蕩けそうな目で妻に

「ありがとう御座いました、今日は一日楽しかったです」

と言いながら頭から布団をかぶり、

寝たのかなぁ〜と聞き耳をたてると布団の中からすすり泣く声が聞こえ、

妻が布団をめくるとM君は目を真っ赤にして涙を流していたのです。

それを見た妻が

「どうしたの?」

と聞くと、今日の事がとても幸せだった事、

残してきたお父さんが心配であること(別に子供じゃないんだから・・・と僕は思うけど)そんな事を語り始めたのです。

そんなM君の優しさに当てられた妻はM君の布団に入り添い寝をすると

「今度から私の事をお姉さんだと思って、いつでも何でも頼って良いよ」

と慰め、

「今夜はお母さんになってあげるから、私に甘えて寝なさい」

と言いながらM君の頭を自分の胸に抱きめたのです。

僕は何とも、そんな状況に男としてどう振舞ったら良いのか分からず、

体裁が悪くて寝たふりを決め込みました。

するとしばらくして隣の妻とM君の寝ている布団から

小さな聞き取れない位の小さな声で話し声が聞こえ、

その直後にM君が枕元のバックからパンツを取り出し、

布団の中で穿き替えたのです。

そうつまり、まだまだ子供だと思っていたM君が

パンツの中に射精をしていたのです。

いや、僕が思うに始めての射精、

つまり精通だったのんじゃないかと思うのですが未だにそれは不明です。

でも、その情況を寝たふりをしながら薄目で見ていた僕には

滑稽で愉快に思えた反面、自分より早い年齢で女性の胸元に抱かれ

我慢汁を出したM君に少し嫉妬しました。

そんな事を感じながらM君が妻の胸元に抱かれ

小さな寝息を立てるのを薄目で確認した僕は、いつしか眠りに付いていました。

それからどれ位の時間がたったのか、

僕が小さな物音に目が覚めると横で寝ている妻の上にM君が覆い被さり、

大きく広げられた妻の股間に腰を深く沈め激しく妻を攻め立てているのです。

僕は驚きと言うより半分金縛り状態のまま、

その光景を薄目ながら目に焼き付ける羽目となったのです。

その時の情景は僕に取って意外な光景でしたが、

いったい妻はどのような心境だったのか、

その答えは妻が全裸であった事、それが答えだと直ぐに気付きました。

それは決して暖房の効きすぎていた事など理由にはなりません。

捲れ上がった布団を気にせず大きく足を開き、声を噛み殺し、

汗ばんだM君の背中に手を廻した妻のその体位は明らかに

M君の欲情に答えたもので言い訳など出来る性行為では無かったのです。

でも僕は二人に怒りは感じません、僕もM君に同情していたし、

精通している男ならたとえ中学2年生であっても

欲情に走っても仕方ない情況だったからです。

でもやはり多少の嫉妬は有りました。

それに箱入り娘の妻に取って僕以外の初めての男性がM君だった事に他有りません。

そんな荒れる心境の中で僕は妻とM君の寝息を聞きながら眠りに付いたのです。

次の日、朝食を済ませると妻とM君は早々に着替えると

ゲレンデに飛び出して行き、

「先に行くわね」

の一言で一人残された僕は、

昨夜の出来事を思い浮かべながら一人自分を慰め、

スッキリしたところでゲレンデに二人を追いかけました。

ゲレンデに出ると、昨日の朝までのぎこちない滑りのM君とは違い、

驚く程の上達ぶりを僕に自慢げに見せてくれたのです。

妻の

「やっぱり私のコーチが良いから」

と言う自慢よりも、

上手く滑れる事を僕に見て貰いたいというM君の子供っぽさが可愛くも有って、

昨夜の出来事が嘘のようでした。

そして、その日の晩も、食事を済ませ、温泉に浸かり、

寝床に入ろうとすると妻が自分から僕とM君の間に寝床を陣取り、

そそくさと寝息を立て始めたのです。

僕はその行動に意味ありげと感じつつ、

M君が寝たのを確認した後に眠りに着きました。

でも昨夜と同じ物音に目を覚まし妻の様子を伺うと、

M君は妻の背後にかまぼこと板の様にくっつき、

後ろから妻を攻めたてていたのです。

その情景を簡単に説明すれば、妻はM君に完全に身を任せており、

喘ぎ声を噛み殺すに精一杯という感じで、

胸元の布団は胸を弄られているだろう事を分からせる位に波打っていました。

結局、二人の行為は10分と続かなかったように思いますが、

M君の動きが止まった後に妻が立ち上がり、

枕もとのバックからポケットティッシュを取り出すと、

溢れ出したM君の愛液を丹念に拭い去っていたのです。

そして今度は布団に戻るなり、

布団に深く潜りM君の男根を口で綺麗にしていたのです。

それは勿論、M君の虚ろな目つきと、

その場所で有るだろう所の布団が妻の頭の動きに合わせて

浮き沈みしていたことで察しが付きました。

後の事は後日に書き込みますが、

僕がその二人の様子に気付いていたことは、

妻は知っていたようで、帰りの車の中で訳もなく

「・・・ごめんね」

の一言が全てを物語っていたのです。



妻は帰り車の中で、M君が寝たのを見計らって「ごめんね」の一言を言うと

運転で疲れている僕を尻目にM君と寄り添うように眠りました。

その後、僕の頭の中で、色々と今回の出来事に付いて整理をしてみました。

今回の妻の取った行動は、道理的は決して許されるものでは有りません。

しかし、もし自分が妻の立場だと、自分が女だったらと仮定して考えると

きっと妻と同じく情に絆されてM君を受け入れて居たと思う。

逆にM君の立場になって考えてみると、

母親みたいに甘えた胸が若い成熟した女性の体であった。

それに対して善悪の判断を越えて本能のままに行動を起こしてしまう。

しかも咎められずに受け入れてくれるなら尚更に。

では、自分の立場で、あの時の事を回想すれば確かに驚きはしたが怒りは感じなかった。

それは二人の情事を横目で見ながら過去の自分、

つまり自分の初体験を思い出していたのです。

僕は結婚前に、妻に対して童貞だと嘘を付いた事が有ります。

でも、それは決して妻が童貞を望んでいたからでは有りません。

ただ自分が軽い気持ちで恋愛をして、女性の体を求める男ではない。

早い話、硬派を気取って居たかった。それだけの事なんです。

でも、現実はM君と同じ、いや近い立場で初体験をしたのです。

それは僕が16才(高校1年生)の時、

隣に住んでいた22才のお姉さんが初体験の相手だったのです。

お姉さんは当時、大学の理学部、分子工学醗酵学科に籍を置く4回生でした。

(僕は、そのお姉さんに憧れて同じ道を選択)

周りからは大人の色気を持った官能的な女性と絶賛され、

お姉さんに言い寄る男は数知れず。と巷では有名でしたが、

当人は外見だけで評価される事を嫌がり周りの男達のプロポーズを無視し続け、

大学を卒業するまで決して誰にも心を許さず、気高い女性として定評も有りました。

しかし、そんなお姉さんも親の命令には従順で

大学の卒業と同時に、父親が勤める市民病院の後輩医師、

つまり父親の部下と結婚する事になったのです。

お姉さんと僕が結ばれたのは、お姉さんが挙式を控えた一週間前です。

子供の頃から、お姉さんも僕もお互いに一人っ子だったので、

お姉さんは僕を実の弟のように可愛がってくれ、僕も実の姉のように慕っていました。

そんなお姉さんが、結婚前に荷造りして荷物を運びたいので手伝ってと言われ

二つ返事でお姉さんの部屋に行くと、

目に涙を浮かべたお姉さんが僕に、

「私は恋愛に夢など持って無い、だから結婚しても相手を好きになれないと思う。

だから私の最初の相手に、思い出の相手にサトル(僕の名前です)がなって欲しい」

そう言って荷造りされた段ボール箱だらけの部屋のベットへ僕を誘ったのです。

しかし、お互いに処女と童貞で上手く結ばれるまでに時間が掛かりました。

僕に取ってもお姉さん取っても初めての情事、興奮して激しく動く僕の下でお姉さんは涙を目に浮かべ、

優しく首に手を廻し口づけしてくれました。

僕にはそのお姉さんの涙が、これから迎える不本意な結婚への悲しみ証か僕と結ばれた歓喜の涙か、

処女を捨てる痛みせいか判断出来ず本能のまま頂点をお姉さんの中で迎えました。

情事が終わり、僕がお姉さんの脇に横たわると、お姉さんは僕の顔を覗き込み

優しく顔を撫ぜながら

「サトルが社会人になるまで待つから私を貰って」

と耳元で呟いたのです。

僕は大好きなお姉さん言葉に喜びを感じた反面、責任を追求されているのかと、

しばらく呆然としていると

「冗談よ!ありがとうサトル」

と言いながら僕に優しく口づけしてベットを降りてシャワーを浴びに浴室に向かいました。

それが僕の最初で最後のお姉さんとの関係でした。

お姉さんはその後、予定通りに結婚はしましたが一年後に白血病を患い、

その半年後にはこの世と別れを告げたのです。

僕に取っては悲しく切ない思い出です。

もし、あの時に・・・・と何度後悔した事か。

でも、そんな経験が僕の女性へ対する理想像を高くし、周りの女性を退けるようになったのです。

話は自分の思い出話しに反れましたが、あの当時の自分と今のM君とが重なり

彼を攻める気持ちなど微塵も起こりませんでした。

それより妻との事を良い思い出に変えて、女性に対す理想を高く持って欲しいと願いました。

妻の元彼は同級生

2019年夏、現在進行形の話です。
私達夫婦は中学校からの同級生です。
22歳で結婚してはや30年経ちます。
結婚を機に東京で暮して30年が過ぎ、子育てもひと段落したので、思い切って地元に帰って来ました。
仕事も決まり、小さい借家を借りて暮していました。
そんな時、高校の同窓会の案内が届きました。
懐かしい友達、卒業以来会って無かった友達の中に、悪友の貴志を見つけました。
高校時代は同じテニス部でキャプテンと副キャプテンで、良く遊んでました。
高校3年の夏休みにはキャンプ先でお互いに、初体験を経験し、その時の様子や感想を話したり、上手くいれられなくて焦った事や、めちゃくちゃ興奮した事など色々と話し合う親友でしたが、卒業後はまったく交流はありませんでした。なぜなら貴志は卒業後直ぐに交通事故で相手が亡くなり、そんな事もあってかチンピラみたいな少し荒れた生活をしてると、噂では聞いてました。
「よう?久しぶり」
貴志が僕を見つけて話しかけて来ました。
「元気、貴志」「元気だよ」
それからは懐かしい話などで盛り上がり、2人で二次会に行く事になりました。
何と直ぐ近くに住んでると知り、家で飲もうと私の借家に向かいました。
その時、忘れていた事をハッと思い出しましたが、時は遅く家に着いてしまいました。
そう、貴志の初体験の相手こそ、うちの奥さんだったんです。
あれから2年私達夫婦と貴志の不思議な生活、ここまでの経緯…続きはまた描きます。

妻の恵美子の初体験から僕と結婚するまで2

妻の恵美子は5月26日で42歳になりました。
恵美子が中3の15歳の時にペッティング間でして、別れた田中隆史からは女子高に通っています。
友達で妊娠と中絶をした清美ちゃんも同じ女子高でエッチの恐怖感も有り女子高時代は男との接触は無かったとの事です。
それでも、隆史とのペッティング行為で1人エッチを覚え逝く事を知った恵美子の身体は生理前に成ると疼き始めて1人エッチをしていたとの事です。
恵美子の初体験は就職して間も無くの5月24日の金曜日との事です。
相手は会社の2つ年上の草木光司です。
会社の同じ秘書課で色々と教えて貰って好意が湧いたと言っていました。
就職してゴールデンウィークが終わった5月7日に光司からの告白で付き合い出した。
7日からは光司の車で住まいとは逆方向なのに自宅まで送ってくれたとの事です。
光司との初キスとペッティングは10日後の5月17日の金曜日だと言っていました。
その日は、光司は直帰の仕事で恵美子は残業で遅くなり会社から帰る時間は21時を過ぎて居たとの事です。
会社の門を出ると直帰した筈の光司の車が止まっていて恵美子を見付けて運転席から助手席のドアを開けて暮れたとの事です。
なぜ居るのか聞くと逢いたかっし遅くなり心配だからと言っていたとの事です。
途中ファミレスで食事をしたから恵美子の自宅近く23時頃に付いたと言っていました。
自宅近くの河川敷駐車場が有り其所の1番奥に車を止めて光司とキスとオッパイを露にしたと言っています。
駐車場に車が止まったと同時位に光司の左腕が恵美子の首に回され口唇が近付いて来たとの事です。
恵美子も心を踊らされて目を瞑って光司との口付けを合わしていたと言ってました。
田中隆史の時とは違う初めから大人のキス で舌を絡まされ、口の回りが互いの唾液で濡れる程に夢中に成ったキスだったと言っていました。
キスをして居ると光司の手に依って恵美子のブラウスのボタンが外されブラジャーのホックも外されたとの事です。
BからCカップに成長したオッパイが光司の目に露に成って、興奮した光司の手で乳房を揉まれ乳首は舌で転がされて吸われて4年前よりも喘ぎ声を発していたと思うと言っていました。
オッパイえのペッティングをしながら、スカートもホックとジッパーを下ろされて脱がされたとの事です。
まだ、男との経験が無い恵美子だったがパンティーには大きいシミが出来て居たとの初体験をするんだと思ったとの事です。
スカートを脱がされてパンストを脱がされる時に見回りのパトカーが手前の車に拡声器で注意をしているのが聞こえてブラジャーは着けずにブラウスとスカートを履いて家に帰ったとの事です。
23時30分頃に家に帰って風呂に入る為に服を脱ぐとオッパイには無数のキスマークが有ったと言っていました。
翌日から生理が始まったと
18日の日曜日から19日の月曜日には1人暮らしの光司のアパートに泊まりに行ったと言っていました。
最寄り駅まで車で迎えに来てもらってスーパーで食材を買って10時45分頃にアパートに行ったと
玄関の扉から入ると服を脱ぐ生活をしていると言われて居たため生理の為パンツだけば脱がずに過ごしたと言ってました。
光司も全裸になり4年振りのチンチンで田中隆史よりも大きかったと言ってました。
光司のアパートでは、キスから乳房やお腹に背中までもキスマークが付いたとアパートだから喘ぎ声も大きいく喘いだと言っていました。
光司からチンチンをシャブって欲しいと言われて初めてフェラチオをして口の中に出されたと言ってました。
処女なのを知らないのと聞いたら言って無かったとの事です。

妻の恵美子の初体験から僕と結婚するまで

妻の恵美子は5月26日で42歳になりました。
付き合って1ヶ月頃に恵美子から聞いた初体験から僕と結婚する迄の話です。
恵美子の初体験から僕と付き合うまでに5人で初体験が18歳で結婚したのが 25歳です。
7年間に僕を入れて5人との関係が有りますが、1番最初の元彼はペッティングだけで最後まではしなかったとの事です。
1番最初の元彼(田中隆史)とは中学2年の終業式の日に告白されて恵美子も隆史に好意を持っていた事から迷うこと無く付き合ったとの事です。
暫くは手を繋いで登下校する健全な付き合いをしていたとの事です。
ことの始まりは5月26日から28日までの奈良と京都の修学旅行との事です。
修学旅行の初日が恵美子の15歳の誕生日で奈良を隆史と一緒に手を繋いで歩いたとの事です。
生徒会長の隆史を先生も信用して健全な付き合いだと思っていた為に疑う事もなく見過ごしていたとの事です。
奈良の宿泊ホテルでお風呂と夕御飯を食べて、後は寝るまでの自由時間に隆史呼び出されて恵美子は非常階段の角で隆史と話をしていた時に誕生日プレゼントにベアリングを貰ったとの事です。
中学3年生だけどお年玉の2万円で買ったとの事です。
結婚指輪をはめる左手の薬指に隆史が指輪をはめてくれたとの事で恵美子も舞い上がり隆史の左薬指に指輪をはめて、嬉しさの余りに恵美子は隆史の首に両腕を回し抱き付き恵美子から隆史の口唇にキスをしたと言っていました。
キスと言っても2人の口唇をくつけ会うキスで30分位してたとの事です。
その頃はBカップのオッパイをティーシャツ上から揉まれたとの事です。
寝る前だったからブラジャーは着けてい無いとの事で、気持ちよくなり乳首が固くなり大きくなり控えめに喘ぎ声が出ちゃったと言っていました。
恵美子の喘ぎ声を聞いて隆史も興奮してティーシャツの中に手を入れて直接オッパイを触る時に先生の見回りが始まりこの日は個々までで終わったとの事です。
部屋に戻って話をしてる時に友達の清美ちゃんが初体験を済ませたと言って超痛かったと無意識に上に逃げていて痛くって入って来る時に泣いちゃったもんと言ってのが有って、隆史くんとのエッチが恐怖になっていたと言っていました。
昨晩の恵美子からのキスやオッパイを触られた事えの喘ぎ声に27日の朝に隆史の顔を見るのが恥ずかしかったと言っていました。
ペアリングは2人の時だけはめる事にしているとの事です。
27日は京都で班に別れて自由行動に成っていて恵美子と隆史はペアリングをはめて隆史と手を繋いで京都観光をしたと言っていました。
京都の宿泊ホテルで昨晩と同じ用にお風呂と夕御飯を済まして非常階段の角で隆史からキスをしてきたとの事です。
その時のキスは昨晩と違い大人のキスだったと?
隆史は昨晩キスの仕方を友達から聞いたとの事で隆史の舌が恵美子の口唇を割り口の中に入って来たとの事です。
隆史の舌と恵美子の舌が触れ逢う事で恵美子も隆史の舌を絡める用な大人のキスをしたと言っていました。
恵美子も大人のキスに戸惑いながらも隆史に恵美子の唾液をを吸われて2人は興奮して居たとの事です。
隆史が恵美子のティーシャツの中に手を入れて生オッパイを触られてた事さえ知らなかった程に興奮して居たとの隆史の口唇が恵美子の口から首筋えと移り首筋に2ヶ所キスマークが付いたと言っていました。
恵美子も興奮と気持ち良さに時折に喘ぎ声を上げて居たとの事です。
隆史も興奮して恵美子の首筋からティーシャツを捲り上げて生オッパイをガン見していたと言っていました。
恵美子も大好きな隆史にオッパイを見られた事で恥ずかしさで隆史の頭を両腕で胸に押し当てて喘いで居たとの事です。
隆史はBカップのオッパイにしゃぶり付きながら舌で大きく固くなった乳首を転がしたり去れてオッパイやお腹にキスマークが10個以上出来たと言っていました。
隆史はオッパイを左手や口でペッティングをして右手はジャージのズボン中に入っていたとの事です。
恵美子が言うには初めての気持ち良さと興奮でパンティー愚かジャージのズボンにもシミが出来て居たとの事です。
隆史の指先がパンティー越しに割れ目やクリトリスをまさぐっている時に初めて逝っちゃったと言って崩れ落ちたと言っていました。
そこで先生の見回りが始まり隆史と別れて戻ったけどパンティーが濡れていて気持ち悪くって替えのパンティーが無いから生理ナプキンを着けて寝たとの事です。
その後は、修学旅行から帰った2週間後の日曜日に隆史の両親は17時まで帰って来ないとのと2歳上のお姉さんもバイトで居ないとの事で10時に隆史の家にお邪魔してキスもそこそこにティーシャツやスカートを脱がされてブラジャーとパンティー姿に成ったとの事です。
そこまで5分位で隆史と結ばれるんだと思ったとの事です。
ブラジャーを脱がされて2回目のオッパイが露に成って、この時には恥ずかしさと云うよりは興奮の方が強くて乳首が固く大きく成っていたとの事です。
最後の1枚パンティーが6分位で脱がされてオッパイの時よりも恥ずかしかったと言っていました。
恵美子のマンコは大陰部が左右とも大きく僕との初セックスでも気にして居ましたが僕は恵美子の嫌らしいマンコを見るだけで興奮してチンコが降る勃起してしまいます。
そのまだ誰にも触れられていないピンク色のマンコを隆史は初めて拝んだとの事です。
仰向けに寝る恵美子のヒザ裏を両手で持ち上げてマンコをアップにして隆史が大陰部を左右に開いて10分位見てたとの事です。
恵美子は恥ずかしかったけど隆史の息がマンコに当たって濡れ来たのが分かったと言っていました。
隆史がクリトリスの皮を剥いて指先で転がされて気持ち良さに喘ぎ声が出ちゃったのを覚えているとの事です。
クリトリスと割れ目を擦られている時に隆史の指先に赤い血が付いている事に築き生理が始まったとの事です。
隆史は生理でもエッチがしたいと言っていましたが恵美子は生理痛が激しいので嫌と言うことで恵美子が隆史のチンコを敷いて上げると言う事で男のチンコを初めて見たとの事です。
隆史のチンコは体験人数5人の中で2番目に小さかったとの事で皮被りで剥くと亀頭の半分位出るとの事です。
男のチンコの仕組みが分からなかった当時は大きさも形も人それぞれだとは知らなかったとの事です。
隆史のチンコの先から透明な液が出ていて5往復位手で敷いたら逝き良いよく白い液が出たとの事です。
この日は4回も隆史は白い液を出したとの事で2人とも全裸で1時間休んで2回目も恵美子がチンコを扱きながら大人のキスをしてオッパイを舐められて10分で白い液が出たとの事です。
また1時間休んで3回目はお互いが体育座りで向き合い2人してオナニーをして恵美子も初めての1人エッチで隆史に見られて居るのに興奮して恵美子が10分で逝き仰向けに寝る恵美子の腟口や胸に目掛けて白い液が2か3回くらい発射したとの事です。
4回目は恵美子が寝息を経てている時に顔に出されて居たとの事で目覚めて顔から胸に腟口まで隆史の白い液まみれ身体を見て、ちょっと隆史の気持ちが分からなく成ったと言っていました。
それから間も無くして同級生のエッチ経験者の清美ちゃんの妊娠と中絶を知って隆史とは別れたとの事です。
2ヶ月半の付き合いです

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