萌え体験談

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処女

父親の借金返済のためヤクザの事務所に行った。

闇金に多額の借金があった父親の返済の為、家族5人(父親・母親・自分・妹2人)で事務所兼倉庫に行った。
事務所に到着すると父親が事務所の奥の部屋に連れていかれた。その後自分たちも奥の部屋に通された。
奥の部屋のソファーに座り部屋を見渡したが父親はいなかった。若頭の方が別室にいると言っていた。組長から借金の額の説明があった。金額は3000万円で今日は利息分の400万を支払ったとのこと。父親には2000万円の保険金があるので事故死ということで支払うと決まったらしい。残りの1000万円の支払い方法を話し合うこととなった。
自分が高校卒業して就職したら給料から天引きは勿論のこと高校卒業までは盗撮と痴漢・レイプなどのハメ撮りの裏DVDで稼ぐこととなった。
次に組長が母親と2人の妹のスタイルに目をつけてきた。2人の妹に処女かどうかを確認すると2人とも処女ではなかった。彼氏の有無も確認したが2人とも彼氏はいなかった。経験人数の確認では真美(高1)は20人以上で由美(中3)は30人以上の答え。さらにアナル処女の確認もしたが2人とも既に経験済みだった。
若頭が母親も含めて胸のカップ数とブラサイズの確認をした。母親がG75(B100cm)、真美がE70(B90cm)、由美がD70(B88cm)。服装は母親が薄手の花柄ワンピにブラは紫・紫のTバック。真美が大きめの夏用Vネックセーターにデニムのミニスカでブラ・パンティーはオレンジ。たまにブラ紐がチラリ見えていたしソファーの向かい側からはパンティーがチラり見えていた。由美はTシャツにデニムのフレアミニスカでブラ・パンティーはピンク。
組長から具体的な金額が示された。手コキ・手マン・クンニが1回100円。フェラ・パイズリが1回1000円。以降は1本につきSEX(勿論生)母親が3000円、真美が1万円、由美が2万円。AF:母親1000円、真美・由美5000円。中出し:母親2万円、真美5万円、由美10万円。と決まった。翌日から一般客相手に稼ぐことも併せて決まった。
そして私たちは倉庫の奥の調教部屋に連れていかれた。自分も母親も妹たちも全裸にされて手首・足首を器具に拘束された。母親と妹たちは首も拘束具で固定された。組員が私のチンコに黒いクリームを塗った。すぐに勃起したがいつも以上に大きく硬くなった。次に組員が媚薬カプセルの説明を始めた。青が全身性感帯&感度倍増。赤がイキ続ける&避妊効果。3人には両方マンコに直接挿入した。私のアナルにも青の媚薬カプセルを入れてきた。さらに媚薬の液体をハケで全身に塗り3人には乳首に白いクリームを塗った。マンコ・胸・乳首に電マを当ててスイッチ全快。すぐにイキ始めた。私の方はチンコに自動手コキマシーンを付けてスイッチ全快。私もすぐに射精してしまった。記憶遠のき気づいた時には家で由美と生挿入したままベッドに寝ていた。大量の性行為のDVDが置いてあった。地獄の日々は始まっていた。

父と娘の愛欲物語・続編

実の娘の処女を奪ってしまった。でも、それは娘の望んだこと。とはいえ12才は別の意味でまずい。俺は犯罪者だ。しかし、DNAは繰り返すものか‥‥
実は、俺の初体験の相手はお袋だ。もうとっくに亡くなったが、俺が高校受験で悶々としていたとき、オナニーを見つかった。親父にナイショでやらせてくれた。お袋は39才だった。その親父もとっくに亡くなったが、親父は親父で叔母(お袋の五人兄弟の末妹)29才独身と浮気していた。まあ、それをネタに高校の頃叔母とやりまくっていたが、今冷静に考えれば俺がやられまくっていたんだろう。

優奈は夏休みに入ると毎日のようにセックスをせがんでくる。俺はそのとき39才。まだまだいけたから夏休みは毎日優奈を抱いた。東京ディズニーランドに連れて行ったときは、ホテルで3回抱いた。

二年生になると優奈はかなりセックスを楽しむようになった。大人の女と変わらない。ちゃんと性の悦びを感じようとするし大いに乱れてちゃんとオーガズムを得て最後はいく。二年生の夏休みは浅虫温泉に行った。水族館目当てだ。みんな両親と一緒だがウチは父娘二人。でも少しも寂しくない。親子でも恋人だから、腕を組んで歩いた。優奈の肩や腰に手を回して歩いた。優奈はとても楽しそうだった。旅館の仲居さんには、女房は死んだと言った。仲居さんはお父さんと仲がいいのねと微笑んでいた。旅館でも、夜と朝の2回優奈を抱いた。翌日、仲居さんは、明らかに性交した痕跡を残す布団を見て何を思ったであろう。

優奈は片親でも勉強を教えてくれる恋人と同棲しているようなもの。進学校に合格できた。勉強とセックスを両立できたよい子である。中学を卒業する頃には、大きくは無いが胸も膨らんだ。どちらかと言えば華奢な方で、同級生が処女太りする中、なかなかのスタイルを維持した。処女じゃないと処女太りしないことを我が娘で実証する父親は俺ぐらいか‥‥

優奈には基礎体温を管理させ、生理日前後以外は中出ししていない。基本生外出しでヤバそうな期間はコンドームを使っていた。高校生になった優奈は、ゴムは嫌だとごねるようになった。妊娠させたら、まして父娘ではマズ過ぎる。優奈はピルを望んで病院にいったらしい。医師に保護者の俺が呼ばれた。俺は、娘には幼馴染のいいなずけがいるとウソを言った。娘が16才になったら性行為を解禁するつもりだと言った。ただし、高校くらいは卒業させたいからそれまでは妊娠させない約束だと言った。優奈は診察を受けていたので、後に医師から釘を刺されたそうだ。診察した医師は、優奈が処女で無いばかりか、既にかなりの性体験があることを知り得ていた。性器の着色具合をみれば分かる。お父さんには言わない方がいいと言われたそうだ。まさかお父さんとしていたとは言えまい。しかし、ピルの入手が叶った。高校生活は、いや高校性活は生中出し三昧となった。

しかし、父娘というのはどうなんだろう。セックスの相性が異常に良いように思う。私も42才になり、毎日はちょっときつくなっていた。しかし、優奈も勉強と部活とセックスを両立しなければならない。進学校の勉強は中学の比ではなく難しいので、俺とのセックスも週3~4回になった。ただし、一回の内容は濃くなっていた。いわゆる前戯というかオーラルに二十数分かけるようになった。父娘がお互いの性器を弄り、舐めあうのは異常な光景だが、二人を繋ぐ絆は強い。とにかく優奈の、娘の性器は愛おしくてたまらない。何時間でも舐めていられる。優奈も、俺のチ○ポが愛おしいと言う。やはり何時間でも舐めていられるという。先に優奈がフェラを3~5分する。その後おれがクンニを10~15分する。そして優奈が一度いったあと、(いかないときもあるが)69で数分。舐める方はいくらでも舐めていたいが、舐められる方は我慢の限界が来るので挿入と相成る。それからは貪るように交わる。42才のオヤジに全身弄られながら、中年チ○ポで抉られる高校生の少女の華奢な体がくねる。これだけでも異常なのに、二人は父娘。性欲だけで交わっているのではない。そこには愛があるのだ。異常な愛だが‥‥

優奈は可愛い。父親の欲目でもなさそうなのだ。優奈に言い寄る男がいた。悪いが優奈は俺のオンナだ。誰にもやらない。そう思っていた。しかし、私は優奈が高校2年生の夏休みに水族館好きの優奈と家族旅行(といっても二人だが)で行った鴨川水族館で、ある女性に目撃されており、後日、忠告されたのだ。泊まったホテルもその女性と一緒だったらしい。その女性とは、優奈が初潮を迎えたときに世話になった当時新卒の新人部下だった理緒である。いま、26才である。この春異動して総務にいる。彼女は2年付き合った彼氏(私の部下で某支店に異動後支店の年上女性と出来婚した。理緒は捨てられた。)と別れた後で、大学時代の友達と傷心旅行中であった。その理緒の友達が、水族館で親子ほどの年の差カップルを見て援助交際を疑っていたのでよく見たら元上司父娘だった。その後のホテルでの行動も含め、親子に見えなかったと言われた。仕事の帰り、駅に向かって歩いていたとき理緒に呼び止められて言われたのだ。
「まさかとは思いますけど、娘さんと男と女の関係ではありませんよね?」
「君は凄いこと言うねえ。あー驚いた。」
「娘さんが課長を見るとき、オンナの目をしてたものですから。」
「どちらかと言うと、娘からは汚がられると思うんだが‥‥」
「うーん。もうその時期は過ぎてると思います。」
俺は焦った。理緒とは二駅違いの場所に住んでいる。
「じゃあな。お疲れ。」
俺は逃げるように電車を降りた。

二、三日後、優奈を抱いた後、優奈は私にボソッと言った。
「初潮のとき助けてくれたお姉さん、私とパパの関係を疑ってた。」
「え?」
「この間コンビニで会ったの。お父さんとは止めなさいって言われた。」
私達は、そろそろ将来のヴィジョンを考える時に来ているのかもしれないと思った。

今年、優奈も高校三年生。東京の大学へ進学を希望している。理緒の母校である。優奈は、理緒に俺との関係を認めてしまった。優奈は、理緒がなぜ気づいたかを聞き出していた。理緒は母子家庭でファザコンらしい。就職したときの上司にあこがれた。でも、同じ職場のチャラ男に上手いこと乗せられ付き合った。が、捨てられた。で、過去にあこがれてた前職場の上司に接近した。異様に仲の良い父娘。向かいのビルの非常階段から部屋を覗くと‥‥父と娘がキス、そして‥‥
レースのカーテン越しではっきり見えなかったが明らかに性行為をしていたことはわかったらしい。
「理緒さんパパのこと好きなんだって。私が大学に行ったら再婚したら?」
「理緒さん幾つだと思ってんの?27才だよ。17才も違うんだよ。」
「私は17才。27才違うよ。パパに年の差を語る資格は無いわ。」
「優奈‥‥パパを論破したな‥‥今のはパパの負けだね‥‥」
「やっぱり父娘はヤバイよ。生物で習った。遺伝的にヤバイ。私はパパの子供は産めない。パパの恋人は高校卒業までね。それまではいっぱい可愛がってね。」
そう言うと、優奈はパンティを脱いで開脚して性器を晒した。クンニのおねだりである。俺は優奈の性器を改めて眺めた。よく見れば、優奈の性器は高校生のものではない。結婚10年目の主婦のようだ。荒淫の結果である。中一から今まで、多分1、000回くらいセックスしていると思う。全く飽きない。父娘で遺伝子が似ているからか?俺は優奈のリクエストに応えた。
「あふうう、あうあううー」
いくまでクンニし続けた。覚醒した優奈は、うれしそうに俺のチ○ポにしゃぶりつく。可愛い。実に可愛く俺を見る。入れて欲しいの目付きだ。俺は優奈を抱いた。いつもより激しく、そして切なく‥‥やがて来る優奈との別れを思い優奈を抱く。優奈が恋人から娘へ戻るとき‥‥そう考えると果てるのがためらわれた。今日は粘ろう。限界まで我慢して少しでも長く優奈の中に滞在しよう。やがて優奈は俺のチ○ポを子宮の中へと引きずるように動く。亀頭の先に何かが当たる。子宮の中で誰かが亀頭を舐めている。あ!!!まさか!!女子高校生が?17才の少女が?いや、間違いない。ポルチオだ。優奈は意識があるのか無いのか本能で動いている。優奈が痙攣し始めた。弓なりに反っている。
「クアアー!」
今、優奈は余韻の中で寝息をたてている。理緒のことが気になる‥‥どこまで知っているのか・・・

父と娘

私の妻、靖子38歳は現在、総合病院の看護師をしています。月2回夜勤があり、今夜はその日でした。 私の気持ちはいつになく弾んでいました、なぜなら娘の理紗16歳を抱ける日なのです。                                                                    理紗と関係が始まつたのは2年前、娘が中3の時でその日もやはり 妻の夜勤の夜で酒に酔つた  私が風呂上がりの理紗に欲情し、半ば強引に処女を奪いました・・・・                    日毎に胸も膨らみ お尻が張つてくる娘の肢体に私の股は疼いていたのでした・・・・                                                                         月2回は必ず性交を行い たまにラブホで娘とハメまくり、もう理紗無しではいられない私でした    今夜も娘は私の上に乗り 叫びまくります・・・                                                                                                  「 パパァ・・・ヤバいよ・・ヤバいよ・・もう 理紗逝きそう・・」                                                                                         2年の間にすっかり、逝く事も覚えた娘は貪欲に私のチンポをしゃぶり、自分の手でマンコに導き   腰を振り、快楽を求め続けて中出しをせがみます・・・                                                                                             「 今日は安全日だから、パパ、中にだしていいよ・・・」 排卵日の後は妊娠しにくい事を知つていました。 私は堪らず 理紗のマンコにドクドクと精液を流し込み ぐつたり放心状態の娘を抱きしめ    これからの事を考えていました・・・・・・・ 

浮気してほしいんだよね?

私は大学に通い、彼女の愛子は高校生です。
彼女とは2年付き合っていますが、未だにセックスをしておらず処女のままです。
普段は手や口で抜いてくれます。愛子に見つめられながらEカップの胸に射精します。
笑いながら「いっぱい出して」といってしごいてくれるのです。


そんな愛子にいつものように手で触られているときに、
私は今までずっと隠していた性癖を伝えました。

「愛子は浮気とかしたことある?」
「ないよ!あるわけないじゃん!」
「他の人のちんこに興味あったりする?」
「ね~、なにいってんの?怒るよ?」
「ごめん。でも実は俺、
 愛子が他の人の触ってるところ想像すると興奮しちゃうんだ」

愛子はそのとき、 え?と呟きながらそっと目をそらしました。

「だから、作り話でいいから
 愛子が他の人にした話をしてほしいんだよ」
「え~変態じゃん」

それから愛子は黙ったまま、ゆっくりとしごき続けます。

「ごめん。ひいた?」

「ううん、ひいてないよ。」
「俺が浮気してほしいって言ったら愛子はどうする?」
「わたるが言ったら?わたるがしてほしいなら・・・」

「誰としちゃうの?」
「年上の友達・・・」

「そんな相手いるの?」
「うん。
 ・・・実はこの間そのひととデートした」

「え?いつしたの?どこで?」
「一週間前くらい?一人暮らししてるひとだったからその人の家いった」

私はこれが、愛子が私のためにしている 作り話だと思っていたのですが、
天然な愛子の割りにははっきりした設定を持った話だったこともあり、
本当の話なんじゃないかと思い始めました。

「家なんか行ったらなんかされちゃうんじゃないの?」
「うん、されちゃった・・・」

「なにされたの?」

「ソファ座って映画観てたら
 おっぱい触られた」

「愛子のこのおっぱい触られちゃったの?」
「うん、おっきいって喜んでた。」

「なんでそんな・・・」
「おっぱいが上から見えてたから触りたくなっちゃったんだって」

「それで触るの許したの?」
「だってしょうがないじゃん、
 私がみせちゃったんだもん」

「そのあとは?」
「なんもしてないよー」

「そんなわけ ないでしょ?
 おっぱい触られておしまいなわけないじゃん」
「えー
 ちゅーされたくらいだよ」

「ちゅーしたの?」
「うん、私がズボンの上からさすってたら・・・
「え?愛子さわったの?」

「だって触ってほしいっていうからー」

そういいながら愛子は俺のちんこをゆっくりとしごき続けます。

「触ったの?こんなふうに?」
「だって私も気持ちよくしてもらったから
 ねえ、想像してる?興奮しちゃう?」

「興奮してるよ。ねえこれほんとの話?」
「ごめんね?でもわたるはしてほしかったんだよね?」

「ほんとにしてたなんて・・・。
 手でしてあげたの?」
「うんー。
 それからなめてって言われたから」

「口でもし たの?」
「口でしてたらイキそうっていうから」

「どこに出したの?おっぱい?」
「そのまま口に出したよー」
「え?俺のは口に出させてくれないのに?」

愛子は口に出したのは一度きりで
いつも苦いからといって許してはくれませんでした。それなのに・・・
愛子ははやくしごき始めました。
私も射精したい、愛子の口を汚したい、

そう伝えると愛子は

「わたるはおっぱいに出すのが好きなんでしょ?
 口は先週出されちゃったからやだー」

私はイキそうになるのをこらえながら
「俺のは口に出させてくれないの?」
と問うと

愛子は微笑みながら
「わたるはだめだよ
 これから他のひとに出してもらうことにしたから
 わたるもそ のほうが嬉しいよね?」

といって
激しくしごき、
ねえ?いっちゃうの?おっぱいに出して
といって私を射精させました。

夫婦交換、その1、初体験

"

夫婦交換で何が楽しかったですか。

と聞かれれば、夫婦交換を初めて体験なさる初心者と

交わった時です。と私は答えます。

”まだ未経験です。長く夫婦で話し合い、ようやく妻の同意を得て

この世界に入ることを決心しました、

ご経験ある貴方様に私達夫婦を優しく導いていて下さることを

望みます”

 こんなメッセージを読むと、

世界の何処えでも飛んで行きたくなります。

 そんな私を妻の静香は不思議らしく

”初心者と言っても、子持ちであったり再婚者であったり、性に対して

熟練した奥様でしょう。どうして”

と尋ねられたことがあります。

 その時、これからお話しをする、初心者はるみさんを思い出しながら

妻静香に話しました。

”たとえ子持ちであっても、あの時のはるみさんのことが忘れられないんだよ”

と話しました。
 好奇心に満ちているものの、初めてなだけにはにかみ、何を要求されても

ボウーとなさって、私の意のままに身体を開かれる、

まるで半処女みたいだった。

その様子はいかにもいじらしかったのです。

恥らっていられるはるみさんの身体を抱くと、

身体はもう濡れそぼっていられるのに震えていられるんです。

慣れていられる奥様では到底味わえないものがあるのです。

私は山下太郎、妻静香[45歳]同年代の夫婦です。

早いもので夫婦交換の世界を体験し今年で10年、もうベテランです。

過去に体験したご夫婦の数は忘れましたが、

現在5組のご夫婦とお付き合いさ

せていただいています。私たちを含めて6組12名で交互に

交換を楽しんでいます。

私の場合、妻を説得するのに大変な労力が必要でした。

説得しようやく納得

させた妻に、行動を起こさせるにも時間が掛かりました。

”何よこれ、人妻の交換じゃないの”

 相手を選ぼうとして見せた、コンタクト雑誌のすごさに

怒り狂ったのです。

それまで私が偉そうに、夫婦相和して性を楽しもうと

説得していたのです。

正直、私もコンタクト雑誌を見せたら怒るだろうなと思っていました。

男の私が見てもコンタクト雑誌は、

妻に飽きた夫が自分の妻を代償に、他人の妻を

抱こうとする夫婦の募集のような雑誌だからです。

が一歩前進するには必要なことですから。

静香はそれでも雑誌をめくり、写真を見、メーセージを読みました。

雑誌に記載されているのは、

男の助平こころを満足させるためのすべて女性の

ヌードばかり、添記されているメーセージは、

夫の言葉で愛液豊富、フエラチオ抜群の妻です。

など自分の妻を売りに出してるいるような文句ばかり。

 妻は怒りました。

”女を馬鹿にしている、これじゃ女に他人の夫を選ぶ権利は

初めからないじゃないの”

これをなだめるのは大変でした。

""常識で考えろよ。女性のほうが男性より異性体験は少ないはずだ。

だから女のほうに希少価値があるんだよ”

”じゃ、あなたも私以外の女と浮気したの”

”そうじゃないだろう。女の心の中にも夫以外の男性に抱かれたい

と言う、願望があるから夫に奨められて、自分のヌード写真を掲載

しているんだよ”

これでやっと納得してくれたのです。

妻の静香も、平凡で刺激の少ない夫婦間だけのセックスより、

私の公認のもと戸惑いがあっても、

未知の世界に足を踏み入れることに

魅力を感じて、夫婦交換を承諾したのですから。

こんな経過を得てコンタクト雑誌に、掲載されているご夫婦に申し

込みました。最初は無視され返事もありませんでした。

選ぶ権利は相手側ご夫婦にあるのですから当然ですよね。

何か工夫をしなければと考えました。

それからの回送文に初心者で

あることを強調しました。

初めて体験する夫婦交換を、成功に導いて

ください。と初体験を強調し、

神に祈る思いで投函したのです。

このときの苦労が、今の私が初心者に関心が有るのかもしれません。

ある程度、経験をしてみると、夫婦交換に2通りの方法があることを

知りました。

一切の感情を交えず、(さあ~やりまくりましょう)と

羞恥をかなぐり捨て、やりまくる性殖器の貸借のような、

肉欲のみの快感の求め合いと、

末永くお付い合いを願い性の交換だけでなく、

日常生活にまで踏み込んで

お付き合いをしていただく方法です。

ハプニングバーや同伴喫茶で行われている、生殖器の貸借のような

セックスは若い方々に適しているかも知れませんが、

年齢的にも中年の私達夫婦には、圧倒されるだけで向きません。

でもコンタクト雑誌を通じると、どちらも手紙での連絡や電話での打ち

合わせが必要なだけに、プライバシーの開示が求められ、それだけに安心が

もてるのです。私達夫婦もはじめは興味本位から体験しましたが、その時の

ご夫婦となぜか気が合い、自然に2度が3度になって行ったのです。

 最初に記しましたが、私達夫婦を含め現在6組12名で楽しんでいます。

こんな素敵なご夫婦をあのご夫婦に、紹介してあげたら喜ばれるかもと発展し

互恵平等の精神で夫婦交換を楽しんでいます。

今では2組で旅行に行ったり、たまに3組が集まることが出来た時は、

乱交に発展させたりして楽しんでいます。

仲間に会則があるとすれば、この3点が暗黙の約束事です。

(1)約束事は、必ず守る。

   特に時間と金銭の間違いは困りますから。

(2)男性は性の労働者になりきること。

   精液はすべてを使いきり、余力を残さない。

(3)女性中心で、嫌われることは一切しない。

   中出しや口内発射は許可を得ること。



     続き・・・・・・・


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夫婦の卒業式

 私は昭和(あきかず)49歳、元妻は千秋45歳で、今年の3月末日をもって完全に離婚しました。戸籍上の離婚は昨年の4月1日でした。昨年、一人息子が大学を卒業して就職したので離婚したのです。しかし、1年間は事実婚を続けました。
 私は今年4月1日、31歳の裕子と再婚し、11歳の娘と3人で暮らしております。娘は私と裕子の子供です。
 元妻千秋も今年4月1日、57歳の幸造さんと再婚しました。裕子と幸造さんは父娘です。

 今から16年前、マンションの隣室の幸造さんの奥さんが41歳の若さでお亡くなりになりました。幸造さんと奥さんは高校の同級生夫婦でとても仲良しでした。当時、一人娘の裕子は15歳、高校1年生でした。私は当時33歳、妻千秋は29歳、息子は小3で9歳でした。
 私達夫婦は、あまりに気の毒で幸造さん父娘のサポートをしていました。妻は平日の夕食や洗濯を手伝い、私は、裕子の高校が通勤経路途中にあったので車に乗せてあげていました。裕子は、帰りはバスを利用していたのですが、私が残業でない時は帰りも乗せていました。裕子は、私達夫婦がデートするとき息子の面倒を見てくれるなど恩義がありました。しかし、このサポートが私達を変えていきました。
 私は土日休みという平凡な勤務形態でしたが、幸造さんは出番と非番がある勤務でした。幸造さんの奥さんの三回忌が終わった頃、私は珍しく外回りをしており、時間が2時間ほど空いてしまったので帰宅して昼食をとろうとしました。玄関に近付くと手前のキッチンの窓の隙間から二人の影が見えました。千秋と幸造さんでした。二人は抱き合ってキスしていました。そして、奥のリビングに消えていきました。私はショックで目眩がしました。玄関からそうっと入り、リビングを覗くと、ソファーに仰向けになった下半身だけ露出した千秋の恥穴に全裸の幸造さんの男根が生で挿さっていました。繋がりながら千秋は少しずつ裸に剥かれ、やがて全裸にされました。千秋の秘穴は愛液で溢れ、幸造さんが腰を振るたびクチュッと音を立て、千秋は、「ふうんふうん」と甘く喘いでいました。やがて、幸造さんは「千秋さんイキます。」というと、千秋の乳房に精子を放ったのです。私は、またそうっと部屋を出て行きました。
 その夜、私は千秋を求めました。千秋は応じてくれました。クンニするとき千秋の恥穴を凝視しました。千秋は私に19歳の処女を捧げた女です。恥唇の褐色の色付きは、処女喪失以来13年間私だけとの性交によるものと思っていましたが、一体何人に身体を開いたのかと疑ってしまうようになりました。私は千秋に男根を挿入し、千秋の好きな内襞奥をいつもよりしつこく、苛めるように擦りあげれば、息子に声が聞こえてはまずいと必死に声を押し殺してヨガりました。そして、幸造さんと同じく乳房に精子を放ちました。
 私はリビングに8ミリビデオを仕掛けました。サイドボードのカメラを収納している場所に置けば全く不自然さはありませんでした。画面いっぱいにソファーが写るよう調整し、180分テープを2倍モードで仕掛けました。6時間撮りきると巻戻されて音がするので、5時間ほどで電池が切れるように小細工もしました。朝、出掛けに仕掛けました。息子が帰ってくるので絶対午前中に済ますはずです。
 2週間撮影しました。10本のテープのうち、4本に千秋と幸造さんの性交画像が写っていました。中出しも1本ありました。私が中出しした翌日でした。週に2回の性交は、幸造さんの非番の日でした。会話も音量は小さいですが録音されていました。「一回り年上の中年チ○ポはいかがですか?」「ハアハア、美味しいです。」「チ○ポの周りに白髪も出てきましたが、まだまだいけるでしょう?」「凄くいいです。アアッ!中にどうぞ!主人も昨日中に出しましたから。アアアー」幸造さんは腰をブルブルさせながら千秋の子宮めがけて精子を発射したようでした。私は震えが止まりませんでした。
 仕事が定時に終わったので、もうすぐ社会人になる裕子を乗せて家路に着きました。裕子も2月に18歳を迎えましたので、私は思い切って裕子に千秋と幸造さんのことを打ち明けました。8ミリビデをで中出し映像を見せたところ、「ごめんなさい。」を何度も繰り返し、「もうダメね。」と言って泣き出しました。裕子は、幸造さんが非番の明後日の金曜日、二人で休みを取って踏み込もうと言い出しました。そして、「私はオジサンの味方よ。」と言って私の胸でシクシク泣きました。可愛くて思わず抱きしめてしまいましたが、すっかり大人の女性で、もう、隣のお嬢ちゃんではありませんでした。
 決行の日、私と裕子は自宅マンションを張り込みました。私の部屋のリビングにはワイヤレスマイクを隠して来ましたので、中の様子がFMラジオで確認できました。幸造さんが私の部屋に入りました。暫くすると、千秋の色っぽい声がFMラジオから聞こえてきました。踏み込み時です。慎重に解錠して、自分の家なのにそうっと侵入します。リビングの扉は空いていて、モロに声が室内に響いてます。「千秋さん、私は切ない、あなたを愛してしまった。」「アン、アァ、幸造さん、私もあなたに心を奪われていく…」私はガクッと跪いてしまいました。そんな私を見かねて裕子は、「お父さん!自分が何してるかわかってるの?」そう言ってリビングに踏み込みました。「うわあ!ゆ、裕子?何で?」「ええっ?裕子ちゃん?学校は?どうやって入ったの?」幸造さんと千秋がパニックになっていました。裕子が、「オジサン、大丈夫?」と腕を抱えてくれて、やっと私は立ち上がりました。「ああ!あなた…」「昭和さん…」私は、「千秋、幸造さんに心奪われてしまったのか…いいよ、離婚するよ…」裕子が「オジサン違うでしょう!お前なんか離婚だ!って言わなきゃ!」と言いながら涙をぼろぼろ流していた。「お父さんもオバサンも大っ嫌い。わたし、就職したらオジサンと二人で暮らすから。オバサン、早く離婚してオジサンを私に頂戴。」私はびっくりしてオロオロしてしまいました。「裕子ちゃん、何言ってるの?」精一杯の言葉でした。「私の理想の旦那さんは昭和オジサンなの。オバサンはお父さんと結婚すればいいでしょ。」裕子は大声で泣きながら部屋を出ていきました。息子が帰ってきて私がいるのも不自然なので、私は近くのコンビニに駐車した車に戻りました。そこには裕子が立っていました。裕子は、「オジサン、どこか行こう。明日と明後日休みでしょう。二人で家出しましょう。日曜の夕方まで心配させてやるのよ。」私は、裕子を乗せて走り出しました。
 私は北へ向かいました。何故でしょうか、逃避行は北へが定番なのでしょうか。雪景色になってきましたが、スーツ姿の30代半ばの男と制服姿の女子高校生ではまともな宿泊施設には入れそうもありませんので、誰にも顔を合わせることなく手続きができるモーテルに入りました。
 室内は淫靡な雰囲気で、裕子はキョロキョロしていました。風呂に入ろうにもガラス張りでした。裕子は「うわー丸見えじゃん。」「裕子ちゃん、オジサンはあっち向いてるから先にお風呂に入りなさい。」「いえ、オジサン先にどうぞ。」そう言うとテレビを見始めました。仕方がないので先に入って身体を洗っていると、「お背中流しましょうか?」と裕子が入って来ました。「こ、こら!冗談が過ぎるぞ!」小柄な裕子でも18歳です。「オジサン好きよ。」背中から抱きつかれれば男根が反応します。「オジサンのおっきくなった。私を抱きたいの?」「大人をからかっちゃダメだよ。」私は男根をおったてたまま石鹸を流し先に風呂を出ました。
 童顔で小柄な裕子もモーテルのバスローブ姿はなかなか色っぽいものでした。途中のコンビニで買ったカップラーメンとおにぎりで腹ごしらえしました。その後、私はウイスキーを飲りながらテレビを見ていました。「ウイスキーって美味しいの?」と言うので一口飲ませたら、「意外とイケル」と3杯も飲みました。「裕子ちゃんはベッドに寝なさい。オジサンはソファーに寝るよ。」「寂しいから一緒に寝て。お願い。」と涙ぐまれ、結局は裕子と一緒に寝ました。裕子は裕子は甘くいい匂いがして男根が落ち着きません。「オジサン、抱いて下さい。」「高校生が言うセリフじゃないよ。」裕子は、私の股間に手をやり、「うそつきね。」と言って、バスローブを脱ぎました。もう限界です。小柄でもバランスの取れたプロポーションで、胸もツンと上向いてそそりました。「裕子ちゃん…」キスから首筋、形の良い乳房を味わい、いよいよ18歳になったばかりの恥穴を…縦筋しかない未発達な恥唇を舌先で掻き分け恥穴を拝めば、そこには桃色に輝く可愛い蕾が開いていました。そして真珠のように輝く恥芽を含み、優しく舌先で撫でてあげました。「はあー」深呼吸するように裕子は喘ぎだしました。恥芽への刺激を続けると「はうっ、はうっ」と身体を震わせ脚を閉じてしまいました。「裕子ちゃん大丈夫?」「ハアハア、オジサン…身体が痺れるような変な感じ…」裕子はイキかけたのだと思います。「今日はここまでにして止めようか?」「オジサンはクンニというのをしてくれたんですよね。今度は私にフェラチオさせて下さい。」そう言うと、私の男根をじっと見つめ「こんなに大きくなるんですね。これが入るんですね。」と言いながら舐め始めました。拙いフェラでしたが、裕子の私への愛情が伝わりました。「よろしくお願いします。」裕子は仰向けになって開脚し、私に恥部を晒しました。私は、ゆっくり裕子に挿入しました。当然閊えますが構わず進みます。裕子は目を閉じ唇を噛んでいます。「痛いか?」「だ‥だい‥じょうぶ‥です。」健気に我慢していました。一気に片をつけたほうが良いと判断し、裕子を強く抱きしめ奥まで挿れました。「あつっ!」ゆっくり動かしました。裕子の可愛い顔が歪みました。暫くゆっくりピストン運動しましたが、可愛い隣の高校生の女の子を抱いている現実に興奮して、裕子のお腹に精子を放ちました。私の男根は、裕子の血で真っ赤でした。
 翌日は着替えを購入しました。幸い裕子は小柄で童顔なので、ツインテールにして小学校高学年風にして、親子に成りすまし、温泉旅館に泊まりました。浴衣の裕子も可愛いやら色っぽいやらで、処女喪失の翌日というのに抱いてしまいました。前戯二時間をかけ、ゆっくり優しく抱きました。
 日曜日の午後、私と裕子は帰りました。千秋と幸造さんは憔悴し切っていました。息子は事態を理解してはおりませんでしたが、何かを感じ取ってはいました。千秋と幸造さんが、ある提案をしてきました。
 ・最終的に、私と裕子、千秋と幸造さんが夫婦となる。
 ・息子が一人前になるまでは私と千秋は夫婦として生活する。
 ・私と裕子、千秋と幸造さんは自由に体の関係を持って良い。
 これに私は注文をつけました。
 ・私は千秋とも体の関係を持てる。
 ・裕子と子供をもうけても構わない。
 千秋と幸造さんは、この条件を呑みました。裕子は嫌がりましたが、追加条件で渋々受け入れました。
 ・裕子を抱く頻度は、千秋を抱く頻度より多いこと。
 私は裕子を愛しつつ、幸造さんが愛する千秋を抱き続けました。でも、これは夫婦として息子の前で振舞うには必要なことでした。千秋は、私に抱かれるときは夫婦愛、幸造さんに抱かれるときは恋人気分で抱かれるのだと言いました。
 裕子は20歳で私との間に娘を産みました。当然認知しました。幸造さんは、孫をとても可愛がっていました。
 
 息子が就職した年の4月1日に、私は47歳で43歳の千秋と離婚届けを提出しました。前日の3月31日、私と千秋はホテルの最上階の部屋で夫婦最後の夜を迎えました。二人が出会った頃や初めて結ばれた日など思い出を語りながら、とてもロマンチックに過ごしました。夫婦として最後のセックスをしました。しかし、私達は1年間事実婚を続けました。千秋は、離婚後1年経たなければ再婚できません。だから、私だけ裕子と再婚するのでは千秋が可哀相なのです。
 そして今年の3月31日、翌日は二人とも新しいパートナーと婚姻届を提出するので本当に最後の夜でした。長年夫婦性活をしたベッドで本当に最後のセックスをしました。このベッドだけには幸造さんも触らせていない神聖なベッドですが、4月1日に処分されるのです。今迄で一番長いキス、今迄で一番長い前戯、今迄で一番長く繋がっていた二人は、翌日、最後のキスをして別れました。25年間の夫婦の卒業式はやっぱり切ないものでした。

 私と裕子夫婦、千秋と幸造さん夫婦は同じ都市に住んでいますが、直線距離にして約20km離れていますので別れたきり一度も会ったことはありません。幸造さんは、娘や孫の顔を見たいでしょうが、生きているうち会えるかは疑問です。私だって、夫婦の卒業式の切ない気持ちと共に千秋を思い出しますが、決して会いには行きません。

夫婦の性生活を取り戻すためにやったこと。

私たち夫婦結婚して15年がたちました。私は55歳になります。学校で教師をしています。妻は、34歳になります。2人の間には1人娘がいます。逆算してもらうとわかるかもしれませんが、妻とは、先生と生徒の関係で高校時代を過ごし、高校の卒業式の日に、プロポーズをし、その1週間後には私は妻の処女を奪いました。その後半年ほどの付き合いを経て、結婚しました。これだけ年が離れているにもかかわらず、妻の両親が好意的で、意外とスムーズに結婚できました。
しかし、ここ数年、私が学校での仕事が増え始め、帰りが遅く休みもかなりの不定期になり、夫婦の行為が一気に減っていきました。
週1はしていたのが、気づいたら、2~3ヶ月に1回くらいになっていました。実は週1頑張っていたのには訳があり、妻が若いほかの元気な男性を求めてしまうという恐怖があったからです。でも実際は、そんなことはなかったようです。
しかし、さすがに、我慢し切れなくなったのか、妻のほうから、求めてくるようになりました。しかし、私のほうがまったく反応できないくらいに疲れていました。
そこで、ためしに、妻にセーラー服を着てもらうことにしました。
いわゆる、「コスプレ」です。
妻は私のことを先生と呼ばせ、私は妻のしたの名前を呼び捨てにします。
これが意外とはまり、久々の濃いSEXができました。
さらに、スカートを極端に短く履かせたり、スケベな下着を着せたりして、生徒指導している先生風にしながら、お仕置きとばかりにちんぽを咥えさせたりすると一気に興奮が高まります。
よくよく考えると、やはり、先生と生徒の立場だったこともあり、当時はまったくお互いそんなことにもならず、卒業してからの関係だったため、今になって、そのときのことを妄想しながらのイメージプレイがお互いずっと、やってみたかったことであったようです。
当時、妻がバレー部で、私が顧問をしていたので、その当時のユニフォームもおくから引っ張り出して、無理やりに妻に着用させてもいます。やはり、身体が大人になり、むっちりしてしまっているので、上のシャツのバストの張り具合も、ブルマの食い込み具合もまさにエロさ満載です。
お互いに、最近ではもっと早く気づけばよかったといっています。
当分はこれで、2人の性生活は楽しめそうです。

夫は二人目の男性だけれど~初体験は小5の私~

夫に初めて抱かれたのは18年前、22歳の時、高校を出て就職して4年目の秋でした。
「真由・・・清純そうな女の子だけど、処女じゃなかったんだね・・・」
「ごめんなさい・・・1年前、初めての彼と別れました・・・」
夫は納得していましたが、大ウソです。

私は貧しい家庭に生まれ、幼い頃に少女ヌード写真のモデルをしていました。
小4の頃、初めてスタッフのペニスを舐めさせられ、小5になってすぐ、あるお金持ちのおじさんに処女を奪われました。
初潮前の私の体内に、40代のおじさんの精液が注がれたのです。
両親は、
「これで半年は生活できる・・・」
と言っていましたから、私の小5の処女は多額で取引されたのだと思います。

それから約半年、可憐な私の体は容赦無い凌辱の日々に乱れ狂いました。
女の子としては屈辱的な格好に縛られて、玩具にされる強制的な快楽に翻弄されながら、恥辱を耐え忍ぶうちに性感を開発されてしまいました。
そして、小6になる直前の春休み、私はランドセルを背負ったツインテール少女がおじさんとセックスする様子を撮影されて、裏ビデオとして流通しました。
幼い女の子の膣から本物の精液が流れ出る裏ビデオは、昭和末期の荒い画像なので、顔をアップで映さなかったので私とわかるようなことはありませんでした。
このビデオ、裏社会で高額で取引され、両親も歩合制で収益を得ていたようです。

その後、中2ではお下げ髪のセーラー服で、中学生SMの裏ビデオを撮影されました。
純真無垢な女子中学生を縛り上げ、淫情をたぎらせるおじさんに責めぬかれて、被虐の悦楽に何度も達し続ける淫乱女子中学生の姿が記録されていました。
まだ幼い性器を電振の淫具で責められて、羞恥に瞳を潤ませながら、それでも本気で感じて喘ぐ淫らなセーラー服の14歳が、最後はおじさんのペニスで仰け反るのです。

中学卒業でおじさんから解放され、私は普通の女子高生になりました。
でも、おじさんに性開発され、被虐の快楽を教えられた私は、何人もの男性に言い寄られましたがお付き合いする勇気がありませんでした。
女子高生がセックスして、淫らに喘ぎ、仰け反って乱れたらきっと幻滅されると思ったのです。
だから、男性を知っていてもおかしくない年齢になるまで、彼氏を作らずに過ごしました。

22歳の時、言い寄ってきた男性は5歳年上の優しい男性でした。
決してイケメンではないのですが、雰囲気や匂いがとても落ち着く感じがしました。
私は彼の求めに応じて、7年ぶりに体を開きました。
7年ぶりに抱かれた男性は後の夫、私にとって二人目の男性でした。
私は、夫に抱かれて、セックスとは愛情のやり取りだということを初めて知りました。
夫は、私を辱めるようなことはせず、ただひたすらに優しく愛撫して、女性器を優しく舐めてくれました。
私は夫に抱かれて、夫の愛を感じて瞳を潤ませました。
かつて、恥辱の仕打ちに瞳を潤ませた時とは違って、身体の快楽だけでなく心も満足するセックスを経験して、言い寄られたにもかかわらず、私の方が夢中になりました。

結婚して16年、上の娘が中学生です。
丁度、被虐の恥辱悦楽に耽溺していた年頃です。
今、ずっと忘れていた忌まわしい幼少期の出来事が、夫に抱かれながら快感の中で頭を巡るのです。

夫に言えない過去

私には、絶対に夫に言えない過去があります。
私は21歳で25歳の夫と知り合い、2年の交際を経て結婚しました。
夫の前には男性経験は一人しかありませんが、そのお相手は夫の父親、つまり現在の義父です。

高校を出て就職した先の課長さんが義父で、私は、課長さんの愛人でした。
就職難の世の中、課長さんの愛人になることを前提に入社して、18歳の処女を奪われました。
週1回、課長さんに抱かれ、快感を知っていくと古臭いセーラー服を着せられて麻縄で縛られ、羞恥に満ちた体勢で恥ずかしい写真を撮られていました。
そして、その写真は投稿誌の誌面を賑わしていました。
何冊も見せられた投稿誌には、課長さんのかつての愛人達のセーラー服を着た痴態が載っていて、これからエスカレートして私もあんな事されるんだなと予感させる写真でした。

案の定、私はハリツケにされてアソコばかりかお尻の穴も凌辱されて、跳び箱のような物に四つん這いに縛られ、浣腸されて惨めに排泄したり、ヨーグルトを浣腸されて噴出したり、惨めな写真を撮られました。
クリトリスを吸いだされて赤く腫らされたり、皮が剥けっ放しになったクリトリスを責められて本気で快感に狂う様子を撮影されたり、大開脚のアソコにバイブを入れられて放置されのた打ち回る悲惨な姿も撮影されました。
「んぁっ……うくひぃ……あぐぁっ……んひぅぅっ!……あんっ……ひっぁぁっ……ひあぁひあああああああぁっ!」
それらは、投稿DVDとして世に出回っています。
もちろんそれらには目にモザイクがかけられていますが、わかる人にはわかると思います。

私は、課長さんに私の4歳年上の息子さんがいる事を知り、誘惑しました。
課長さんの愛人になった女性は私を含めて全員が幼顔の可愛い系、私は精一杯可愛いを演出して息子さんを誘惑し、息子さんから告白させました。
なかなかのイケメンなのに草食系の息子さんは、女性慣れしていなくてもしかしたら童貞?って感じで、私が恥じらいながら可愛く脱いだらたどたどしい手つきで私を押し倒し、震える手でコンドームを用意して、下手な腰使いで何度もアソコから外れていました。
約1年間、課長さんと息子さんの父子に愛され、やがて課長さんは私と息子さんの関係を知り、その頃には、課長の息子さんは、これ見よがしに幼さと可愛さを発散させた私とのセックスに骨抜き状態で、課長さんは私を開放せざるを得ませんでした。

結婚して6年、一昨年2人目の子供を産んで、昨年、夫の実家に入りました。
結婚して6年過ぎても夫は毎晩求めてくれます。
私は、純情な妻を演じてますが、セックスは思い切り楽しむようにしていますから、義父母に聞こえるような大きい喘ぎ声を平気で出しますし、下の義父母の部屋の天井が揺れるほど悶えるようにしています。
もちろん、義父母に聞かせるためです。

昨年3月で定年退職した義父の私を見る目はとても怯えていて、私の望むことは何でもしてくれます。
日中、夫が仕事に出かけて義母が孫を連れて遊びに行くと、義父と二人だけになります。
義父にアソコを見せながら私の前で義父にオナニーさせて、それをスマホで撮影します。
「うっ…うああ…」
ダラダラと勢いなく射精する義父の惨めな姿、私の小さな復讐です。
義父母の寝室に隠しカメラを仕掛けて、義父母の営みを撮影して投稿しました。
普通に投稿しても採用されないと思い、「母と義父の不倫現場」と題して投稿しました。
61歳の義父と58歳の義母のセックス、なかなか見応えがありましたよ。
今度は義父に、どんな復讐しようかしら…

夫にたどり着くまでに

「可愛いね・・・大好きだよ・・・」
中学時代に憧れていたイケメン先生に、高校1年の時に処女を捧げました。
「中学の時の制服、着てくれないかな・・・」
中学時代のセーラー服を着て、先生の男性器を受け入れて喘いだ私・・・
「あ、あん、ああん・・・」
前から、後ろから、先生に跨って・・・先生は中学の教え子との淫らな行為をデジカメで撮影していました。

高校2年の終わり頃、先生がシャワーを浴びているとき、デジカメを覗き見したら・・・中3の時に同じクラスだった学年で1番美人だった子が中学の制服姿で縄で縛られて、アソコだけじゃなくお尻の穴にもバイブを入れられて乱れている写真がありました。
私だけじゃなかったんだ・・・いつか私も縛られるのかな・・・大学受験に専念したいと言って、先生の元を去りました。

大学1年生のとき、夏休み位のバイト先で知り合った40代のダンディなオジサマにホテルのバーで口説かれて、予め用意していたお部屋で淫猥なめくるめく快楽に溺れました。
バスタオルなど部屋にあるもので手足を縛られ、淫具で責められて初めて逝く経験をして、その後、オジサマの男性器で何度も逝かされました。
「君は、清純そうな顔してるけど、処女ではなかったんだね。だったら、遠慮はいらないね。」
そのオジサマは私にブレザーやセーラー服を着せて、縄で縛って凌辱剃ました。
あの、中学時代の学年で一番の美人の子の凌辱写真が頭を過ぎりました。
「ああ、ああ、あう~~ん・・・」
制服姿で恥ずかしい格好のまま、身動きできない私のみっともない羞恥写真を撮影されました。
「目線を入れるから、雑誌にこの写真を投稿したいんだ。全国の男が、君を見てオナニーするんだよ。君はアイドルだ。」
オジサマは有名な投稿マニアでした。
「私は、一人の女性の投稿は2年以内と決めているんだ。」
2年生の終わり、私はオジサマに別れを告げられて、縄の魔法を解かれました。


3年生の時、同じ学年の男子に告白されて、初めての同年代の彼氏が出来ました。
彼の男性器は、中学時代の先生やダンディなオジサマとは比べ物にならないくらい硬くて、突き刺さるような刺激でしたが、激しいばかりで逝くことはありませんでした。
でも、射精は1回で終わらず、2回、3回と立て続けでした。
4年生になって半同棲状態になった時、
「初体験って、いつだったの?今まで何人と付き合ったの?」
ときかれて、
「初体験は1年生の時・・・元彼は2人よ・・・」
彼は1年生を勝手に大学1年生と受け取っただけで、私は正直に話したから嘘つきではありません。

卒業間近、彼ともお別れが近付いたある日、彼の友達のカップルと卒業記念の乱交をしました。
目の前で繰り広げられる自分の恋人と他の女性のセックス、そして、自分の恋人に見られながら他の男性に抱かれて感じて喘ぐ私・・・
大学を出るまでに4人の男性に抱かれた私は、卒業して故郷へ戻り、社会人になるときに清純から清楚へイメージを変えていきました。

就職して1年が過ぎ、男性との交わりも一切無く、寂しさを感じていた頃、告白されました。
「ど、どうしても、き、気持ちを、伝えたくて。好きなんだ。だ、だめかな、俺じゃ・・・」
ガッチリとした体格で、朴訥とした真面目なタイプ、あまり女性慣れしてなさそうな3歳年上の男性・・・それが後の夫・・・
不器用な愛情表現でも、とても大切にされて、愛されていることが感じられました。
手も繋ごうとしないまま3か月、いつしか私の方が欲してしまいました。
そんな時、雑誌の懸賞でペア宿泊券が当たったのです。
リニューアルオープンの招待券で、平日利用の条件付きでしたが、私は彼を誘いました。

交際して4か月、キスも交わしていない二人が旅館の一室で向い合せ、緊張している彼の様子がとても可笑しかったのを覚えています。
部屋には、渓谷を見下ろすベランダのようなところに半分露天風呂みたいなお風呂があって、彼が入っているところに私も入っていきました。
驚いて私を見た彼、私は手拭で前を隠して湯船に入りましたが、濡れた手拭から透けて見えた私の裸・・・手拭を外して湯船の外の桶に・・・目に入ったのは彼の巨大な男性器・・・
狭い湯船の中、さりげなく彼の男性器を軽く握ると、その太さが過去最大の予感がしました。
「大きい・・・ですね・・・」
「は、はあ・・・昔、何度か、そう言われました・・・でも、恥ずかしながら、若い頃に行った玄人の女性ばかりですが・・・」

お風呂から上がり、和風のベッドで彼は恥ずかしそうに、
「女性の裸に触れるのは、4,5年ぶりなんです。しかも、その、素人と言いますか、その、つまり、初めての彼女なもんで・・・ははは・・・」
俗に言う素人童貞をカミングアウトした彼は、つまりはその巨大な男性器を独り占めした女性がいないということ・・・私は彼に抱き付いて、唇を重ね、下を絡ませました。
そして正座した足を少し開いて女性器をチラ見させながら足を崩し、仰向けになりました。
彼が足の間に入ってきて、私のアソコを振り気て凝視しているのがわかり、恥ずかしさで濡れてきているのを感じてさらに恥ずかしくなりました。
彼のぎこちないクンニ・・・ちょっと強くクリちゃんを吸われてツーンと痛かったけれど、その後の舐め方が気持ち良かったので我慢しました。
5分、10分、15分・・・彼はいつまでも舐めていて、私は早く入れて欲しくて膝が震えました。
我慢できずに起き上がり、彼の巨大な男性器をパクリ・・・歯を当てないようにするのが困難なほど大きく、仕方がないのでペロペロ舐めることにしました。

初めてのセックス・・・彼が生のまま入れたのがちょっと不安でしたが、入ってきたときのインパクトが、それまでのどの男性より凄まじく、かつて誰もたどり着かなかった子宮の入口を撫でられて、もう、生でもいいやと身を任せました。
体を串刺しにされて、抉られる・・・そんな感じでしたが、挿入から10分と経たないうちに、身体の奥深くに熱いものが・・・え?ウソ!中で出したの?
「ご、ごめん!漏れちゃったよ。ごめん!俺、責任取るから。結婚してくれ!」
アソコから流れ出る彼の精液を拭きながら、
「もっと我慢して、私の事、狂わせて欲しい。私、遠慮なくエッチなことができる夫婦になりたいんだ。」
「わかった。じゃあ、今度は頑張るから。」
彼に押し倒されて、2回戦・・・一度出しているから長持ちする巨大な男性器で、今度は意識が薄れていきました。

幸いこの時は妊娠を免れましたが、半年後、交際10か月でゴールイン、清楚で有名だった女子社員を射止めた冴えない男子社員と夫は驚かれましたが、何を隠そう、20㎝はあろうかという男性器を射止めたのは、私の方だとは誰も知りませんでした。

夫にたどり着くまでに、制服コスプレやSM調教、乱交など経験してきましたが、やっぱり、巨大な男性器に心から愛されることが一番気持ちいいことを知りました。
結婚して4年、昼間は清楚な母親を演じながら、夜は毎晩夫に求められ、奥深くまで抉られてのた打ち回る淫らな妻になりました。

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