萌え体験談

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パンティ

私の前で他人とセックスする妻3

男性との再会も終わり、家に帰った日の夜、
旅館で朝男性とセックスしていたことを聞いてみました。
妻は「えっ、あなた起きてたの?起きて見てくれればよかったのに」
やはり妻は隠すつもりはありませんでしたが、私が寝ているときにセックスしていたので、
何もしていないことにしていたようです。
妻が目覚まし代わりにフェラしていたら男性が勃起したので、
もうすぐお別れになるからと言って、妻が誘ったそうです。

翌週、仕事から帰ると普段とどことなく雰囲気の違う妻。
妻は、チェックアウト後の旅館のロビー以外にも、
セックスしているときに男性から奇麗と言われ、その気になったのか、
今までスッピンを隠す程度の化粧を、もう少し奇麗に見せる化粧に変えてみたそうです。
そのせいかどうか分かりませんが、1週間もすると、
パート先で一番仲のいい中年女性から、誰かいい人が出来たのか、こっそり聞かれたそうです。
妻が、主人がいるから他にはいないと言うと、
急にスキニー穿いたり、化粧も変えていたので、何かあると思ったそうです。
主人がいるんから出来るわけないでしょうと妻が言うと、
その女性、でも社員の男性が、だいぶ前から妻のことを見ているから、
もしかすると、何か訳アリの関係にでもなったのかと思い、妻に聞いてみたそうです。
妻は、その男性じゃ年下違い過ぎるじゃないと言うと、
その女性、確かに30歳くらいだけど、独身だし、一応気を付けてと言われたみたいです。

11月も終わりに近づいたころ。
妻が「カラオケ誘われちゃった」
私が仕事から帰ると、妻がそう言いました。
普段から妻を見ていると教えられた、あの男性です。
男性は妻に、カラオケとか行くことがあるのか聞いたそうで、
妻は、パート先と自宅の往復だけで、行かないと答えると、
今度一緒に行きませんかと誘われたそうです。
この男性も、妻が会社の忘年会で場が盛り上がる歌を歌うのは知っているし、
もちろん妻だけではなく、他の人にも声をかけてみたそうですが、
他のパート主婦も、何かと忙しいようです。
男同士で行けばいいじゃないと言うと、
花がないと何か物足りないし、だからと言って社員の女性は性格がきついので無理だと。
忘年会と違い、会社の上役抜きで一度行ってみたかったようです。
男性は何人決まったのか聞いてみると、来月忘年会があるんだからいいだろうと言って、
お断りされたみたいです。
妻は、もし行ける時間があったとしても、
男の人と2人で行くなんて主人に怒られるから無理と、お断りしたそうです。
男性は、もし行ってもいいときは、いつでも行きますので声をかけてくださいと言って、
仕事に戻ったそうです。
私は妻に、本当は最初から妻と一緒に行けたらいいなと思ってたんじゃないかと言うと、
妻も、何となくそんな気はしたそうですが、話しているときの視線も、
妻の胸や股間をチラチラ見ていたので、カラオケ自体は行ってあげてもいいのですが、
理由を付けて断ったみたいです。
私は、それなら休日の昼間にすればいいんじゃないかと言ってみると、
妻も、たまに商品違いがあっても、苦情を一手に引き受けてくれているから、
ムッツリ君の頼みでも聞いてあげるか。

土曜日の夕方、妻は「ちょっと行ってくるね、連絡入れるから」
私も「いってらっしゃい」
なぜ夕方になったのかというと、私はゴルフの後、泊まってくることになってます。
旅行で出会った、あの男性のことを思い出したからです。
自宅から出発するのには、もう一つ利点が。
妻は旅行の時に着て行ったニットのセーターに、レザー調の深いフロントスリットのスカート。
他に穿く機会もないので、上から薄手のコートを着ることで隠せます。
妻が作っていった夕食を食べながら、私はパソコンの前で体験談を読んでいました。
19時頃「一緒に食事行ってくる」何とも短文な連絡。
20時を過ぎると「今トイレにいる、やばい私口説かれてる、帰る」
妻は男性に、結婚しているので他の男性とそういうことは出来ないからと言って断ると、
今の話は聞かなかったことにするから、また普段通り会社に行きましょうと言ったそうです。
予想通り、カラオケではコートを脱いだ妻のスカートが気になり、
四六時中妻の股間をチラチラ。
座っていれば、すぐにパンティーが見えるので無理もないでしょう。
夕食はどうするのか聞かれると、1人分だけ作るのも面倒だし、たまには外食にすると言うと、
男性が、奢るから一緒に行きましょうと言われて、回らないお寿司屋さんに。
そこで口説かれたそうですが、ムッツリ君だと思っていたのが、
旦那さんが留守だったら、1回だけでいいのでホテルに行きませんかと誘われ、
私も傍にいないことだし、いざとなるとストレートに言われたのが余計不安になったみたいです。
翌週からは、何事もなかったかのように仕事をしていましたが、
何だか自分の方からパンティーが見えるように挑発しておいて、
最後に断ってしまって悪かったかなと思い、
妻は男性に、忘年会でデュエットしようかと話しかけたそうです。
妻は、この曲をマスターしておくようにと、男性に宿題を出していました。

12月中旬の金曜日に少し早い忘年会。
この年は、会社近くのスナックを貸切でした。
もしかすると、このほうがカラオケに移動する必要もないので便利だったかもしれません。
例年通り、席を決めているわけでもないのに、社員グループとパートグループに分かれます。
もちろん妻も他のおばさん達と一緒です。
社員は社員で盛り上がり、パートはパートで普段の生活のうっぷん晴らしで盛り上がるようです。
食べるだけ食べて飲むだけ飲むと、1次会は終了。
あまり会社の行事が好きじゃない若い人や、パートの女性達も、ほとんど帰ります。
やはり気が合うのか、妻と一番仲のいい女性は毎年一緒に2次会に参加。
男性も毎年4,5人は残るようです。
貸切時間も終わり、営業終了までスナックも通常営業。
残った中年男女で、飲み会とカラオケの2次会開始。
ここまでは妻から聞いた話ですが、私は1人でスナックに行ってみました。
もちろん私が行くことは妻も知っているし、私が旦那だと言うことは会社の誰も知りません。
1人で行くとお店の人がやたらと話しかけてくるので、
暇を持て余すことなど全くなく、結構居心地のいい場所でした。

私が入り口の扉を開けると、いきなり中年男性の昭和歌謡が聞こえてきました。
「いらっしゃいませ」の声で、妻が私だと気づくと、そのまま2次会に参加。
カラオケも途切れることなく、しだいに2次会らしく盛り上がってくると、
モニターにサザンの「経験II」が。
私は、妻が言っていたのは、この男性かと思い、そのまま聞いていました。
歌い始めると、妻も手拍子しながら「はめて~」「舐めて~」
やはり、いい盛り上がり具合です。
妻も、もう1本のマイクを取り「穴に、穴に、穴に、そう、はめて~」男性達からは大うけ。
一緒にいた女性も笑っていました。
そして最後は歌っている男性に「指入れて、はめて~」
歌い終わると誰かから「いいぞ、はめさせて」の声も出ていました。
お店の人が、2次会でうるさいけど、ごめんねと言うので、
私は、こういう盛り上がってるの見てるの好きですよ、と言っておきました。
男性達は、毎年聞いているはずなのに今年も妻の歌を聞きたいのか、
今年も妻は「後ろから前から、どうぞ~」と歌いだしたのですが、
もう一人の女性も一緒に歌いだしました。
妻の歌を聴くだけ聞くと、この辺でお先にと男性が2人席を立ち、
男性が2人と女性が2人になり、妻と女性が何かゴソゴソ話しています。
妻が「たまにはいいんじゃない」
女性も「今日くらい、いいよね」
男性と女性と別れて座っていたのが、他の人達には内緒と言って男女交互に座りなおしました。
男性2人も、普段仕事中に見ている姿とは違い、
程よく顔が赤くなっている感じの女性は嫌いじゃないようです。
妻が、あの男性と何か話していると思ったら、次の曲が入りました。
「ピエールとカトリーヌ」
御存じの方がいるか分かりませんが、簡単に言うとスケベなデュエット曲です。
妻と男性が座ったままマイクを取りました。
歌詞が進むにつれ、
「そんなものをまるだしにして」
「ちょっとさわっていいかしら」
「ちょっとにぎっていいかしら」
だんだん内容がスケベになり、
ふと見ると、視線はモニターの方を見ているのですが、
聞いてる男性がさりげなく女性の太ももに手を置き、その上に女性が手を置いています。
何だか歌っている2人ではなく、違う2人がいい感じになっています。
2人は時々耳打ちしながら話しているようですが、
妻が歌い終わると、男性2人から少し離れて妻に耳打ちしています。
妻は話を聞きながら、こちらをチラチラ見てます。
話を聞き終わると「ちょっとトイレ」と言って、トイレに行きました。
妻から私の携帯に着信があり、
一緒にいる女性が口説き落とされてしまい、
もう一人の男性も妻に興味があると男性同士話し合っていたらしく、
4人だけの秘密にするから、夢だと思って1回だけ一緒に行こうと言われたそうです。
妻の手短な電話でも、内容は全てわかったので、
仲のいい友達なんだから一緒に行きなさいと言うと、電話を切りました。
妻がトイレから出てきて、女性に耳打ちしています。
男性がカウンターに向かって「タクシー1台御願いします」
5分くらいでタクシーが来ました。
席を立つと、妻が私を見るので、わたしも小さく頷き、
店を出る妻を、視線だけで見送りました。
その後店内は私1人になり、店の人達と話していました。
男女の関係もいろいろあるからねと言うと、
お店の人も、知らんふりはしていましたが、
あの雰囲気は間違いないでしょうねと答えていました。
女性2人は結婚指輪もしていたねと言うと、
よく見てるわね、いいことじゃないけど、しょうがないんじゃない。
22時過ぎ、私も店を出て家に戻りました。

他の女性も一緒なので、妻が朝帰りすることはないと思って、
家の明かりは点けたまま待っていました。
午前0時過ぎ、「ただいま~」妻が帰ってきました。
30の独身男性と抱き合ったのは確かですが、何だか今一つだった様子。
妻はタクシーに乗った後、22時半ごろには4人でそのままラブホテルへ。
基本は1部屋2人のようですが、追加料金で4人でも大丈夫だったみたいです。
お酒も飲んでいるので、軽くシャワーだけで済ませると、
向こうの組は、ソファーで女性が中年男性の指使いに感じまくっていて、
妻の相手は興奮しすぎているのか未熟なのか、愛撫の仕方が凄く雑。
ペニスは勃起したままだったので、妻はフェラをしてあげたそうですが、
妻の年季が入ったフェラに耐えられず、ものの数分で射精してしまったそうです。
ソファーを見ると、座っている女性が足を持ち上げられ、男が激しく腰を振っている最中。
妻もペニスが出入りしているところを見ていると、「んっ」と言って射精。
コンドームを取ると、かなり黒ずんだペニスが、だらりと下を向いていて、
妻は、こっちのほうがよかったなと思ったようです。
妻はともかく、相手の女性も既婚者なので帰りが遅すぎるわけにはいきません。
ささっと服を着ると、23時半過ぎにはラブホテルを出たそうです。
妻ともう一人の女性は、それぞれタクシーで。
タクシー代と言われ、福沢諭吉さんを1枚づつ渡してくれたそうです。
当然のことですが、これは4人だけの極秘事項と言うことで、
今でも会社の人達は誰も知らないようです。

忘年会も終わると、もうすぐ年末。
家のパソコンのディスプレイの上部にウェブカメラが付きました。
別にスマホがあるのでいいのですが、やはりこちらの方がいいようです。
カメラを付けた理由は、何だか妻が旅行先で知り合った男性と、
顔を見ながら連絡を取りたくなったようで、私が男性に電話をし、
理由を話したら即OKの返事でした。
ただ、男性にも都合があるので、時間帯は夜で男性から呼び出してもらうことにしました。

12月24日、何の予告もなく宅配で妻宛にマフラーと手袋が届き、妻は大喜び。
私にも、お酒のセットが届きました。
21時頃、パソコンから呼び出し音が。
私より先に、妻が「はいはいはい」と言いながらパソコンの前に座り、接続すると、
「まち子さん、お久しぶりです」
妻を名前で呼ぶと思ったら、妻は何度か電話をしていたそうで、
忘年会のことも話していたようです。
私も、お酒のセットを頂き、お礼かたがた話をしていると、
私は長年連れ添っているので気付いていないでしょうが、
他人から見れば、妻は男性が声を掛けたくなるような雰囲気が漂っているので、
気を付けてくださいと言われました。
いつまでも私が話していてもしょうがないので、早々に妻と交代。
妻は忘年会の出来事を詳細に話していました。
妻は男性から、あまり遊び過ぎないように言われていたようで、
「これからは、御主人と私だけにしてください」
妻は「もうやらない」と、やけに素直な返事。
男性は、妻のことは気に入っているので、どうしても会いたくなったら、連絡をください、
絶対会いに行きますからと言っていました。
そろそろ奥様がお風呂から出てくるようなので、
私は男性に、いつでも呼び出してくださいと言って挨拶すると、
妻も「またね~」と言って手を振っていました。
クリスマスイブの夜は、妻が男性を思い出しながらのセックスで大興奮。
妻の姿を見て私も、見ているからいっぱい出してもらって、などと言ってみると、
妻も、いっぱい出してもらう、などと言ってきます。
私も、もう出そうになった時「出してもらうぞ」
妻は「あなた見て~、出される~」「出して出して~、子宮まで入れて~」

こんな妻の姿が年内に再び見ることが出来るとは思いませんでした。

私の性的体験記(9)社会人‐剃毛と無毛症

やがて洋子は長女を妊娠し、臨月。陣痛が始まったので、かかりつけの県立病院に連絡したところ陣痛の間隔が10分程度になってから来てくれと言われた。指示通りにタイミングを待ち、病院に連れて行くと、感じの悪い看護婦が対応に出てきて、
「先生の診察の前に、私が診ますから」と
言われ、思わず二人で顔を見合わせ、嫌だなぁと思ったのだが、洋子は処置室に連れていかれ、私は廊下で待つことになった。あとで聞くと処置室に連れていかれた洋子は、パンティーを脱ぐように言われ、内診台に乗せられた。看護婦はカーテンも引かずに、洋子のマンコを入念に観察したそうである。

産婦人科と言えば、第2子を設けた後、1年間の米国研修が予定されていた時期に、洋子が妊娠してしまった。出産ということになれば、研修自体が流れてしまうため、二人で相談して中絶をすることにした。当日、二人で駅近くの産院に出向いた。中絶手術は一般外来の時間外に行うため、医院は閑散としていた。私は廊下のベンチで待たされ、洋子は処置室へ入った。処置は全身麻酔で行われる。ガスか注射かは分からなかったが、麻酔薬を掛けられる時の医者の声が廊下まで聞こえてきた。
「これから麻酔を掛けますから1から順番に数を数えて下さい。」
「1、2、3、4…」
僅か4まで数える洋子の声が聞こえたが、そこで声が聞こえなくなり、昏睡した様子であった。処置室の方を見ると扉の上の壁が、透明なガラスの埋め殺し構造になっていた。これはいけると思い持ち歩いていた小型の手鏡を使って、その窓状の壁から中の様子を窺った。洋子は膝を曲げる状態にした両脚は大股開きにされていた。こちら側は頭のため、私からはマンコは見えなかったが、内診台の様なベッドには、麻酔をかけることを前提にしているためか、お腹の上にかけるカーテンもなく、洋子のお腹の先に陰毛が立ち上がっているのが見えた。どうやらスカートと下着を脱ぎ、下半身のみ丸出し状態で眠らされている様子であった。医者はその開いた両の脚の間に、椅子に座ってこちら、というか、洋子のマンコを注視していた。こちらからは見えないが、医者側からは丸出しにしたマンコが明るいライトの下、丸見えの筈である。当然と言っても良いかも知れないが、医者は中年の男性である。見ず知らずと言っても良い男性に目的があるとはいえ、洋子はマンコを丸出しにして弄られている状態であった。注意深く室内を見回すと、処置台とは別に机が一つあり、その前の椅子に中年の女性が座り、読書をしていた。おそらくは、医者の奥さんで、男性医師が意識のない下半身丸出しの女性を前にして、不心得な行為をしないよう女性を立ち会わせるという決まりがある様であった。女性は診察台に背を向け黙々と読書を続けており、振り向けば洋子のマンコを見ることが出来る位置関係であったが、決して振り返ることはなかった。お陰で私は安心して中の様子を伺うことが出来た。処置自体は20分間程度のものであった。全てが終わり、処置室に呼ばれた私は麻酔が覚める迄、傍にいるように指示された。洋子が麻酔から覚めるまで約1時間ほど私は先ほどまで医者が座っていた椅子に腰かけ待った。既に奥さんの手助けの元、洋子は生理用のパンツを穿かされ、スカートも身に着けていた。

第3子目の時は、県のルールとかで、県立病院は利用できず、市役所近くの産院を利用した。この産院はかなり変わっていた。他でその様な話を聞いたことはないが、そこでは出産の直前に陰毛をすっかり剃り落とされてしまった。衛生上はその方が良い、特にカテーテルを繋ぐような年寄りには剃毛は良いという話は聞くが、出産に際して剃毛という話は、私が知る限りここだけであった。これより以前に、悪戯心から洋子の陰毛を剃毛したことがあった。眠りこけている間に、陰列が始まる一寸上部から下をすっかり剃り上げた。少女のようなマンコになれば面白いと思ったのだが、何しろ不揃いの小陰唇が大陰唇からはみ出している様なマンコである。グロさが増しただけで少女の様にとはいかなかった。それでも嵌めてみると意外にその吸い付くような感触は初々しかった。恥丘部分の陰毛を残したためか、翌日黙っていたら、本人はマンコの周囲の毛を剃られたことに全く気付かなかった。翌晩に性交する時、それを教えてやると、本人は「あれ? あれ?!」と驚いた様子であった。その時は新鮮さがあったが、数日して、所謂無精髭の様に毛が伸びてくると、何やらチクチクするようで、本人にとっては、余り気持ちの良いものではなかった様だ。剃毛をするなら、こまめに剃ることが必要であり、むしろ除毛した方が良いということをその時知った。

剃毛と言えば、世の中に無毛症というのが存在するのを知ったのもこの頃であった。この時期、結婚を機に、私は実家を出て、実家近くに戸建ての借家住まいをしていた。同じ間取りの家が4件並んでいて、私の家は道路から見て一番手前にあった。浴槽のバーナーは昨今の様に全自動式ではなく、自分でわざわざバーナーに火を焚く必要があり、換気の目的で浴室の下の方に幅60・、高サ10・程度の換気口が開いていた。自分の家の風呂であり、洋子の裸やマンコは、子供が眠ってしまえば、いくらでも見れたのでこの換気口から浴室を覗く必要性は全くなかった。第一、バス道路から30mほど路地を入ったところと言え、周囲は畑で、そんな覗きをしていたら、直ぐに通行人に怪しまれてしまう環境であった。ところが隣以降の3軒の家は事情が違った。例えば隣の家とは僅か2~3m程度しか離れておらず、私の家が陰を作り、通行人に見つかることはまず考えられなかった。当時隣家には60代と思われる老夫婦が2人で住んでいた。ある日のこと、子ども達は既に眠ってしまい、洋子は性交前の入浴中であった。夏のことで居間のテラス窓は網戸になっていた。タイミングよく隣家の浴室の電気が灯り、隣の奥さんも入浴を始めたのが分かった。洋子はまだ当分風呂から上がってこないことが分かっていたので、私は、興味本位から網戸を静かに開け、外に出て隣家の浴室の換気口から中を覗いてみた。驚いたことに隣の奥さんは剃毛ではなく明らかに無毛症で、色白の身体に少女の様な陰門が見えるマンコの持ち主だった。妙に感激した。その晩はその光景を思い出しながら、隣の奥さんを犯す妄想にかられながら、洋子との性交を楽しんだ。・・・続く。

私の性的体験記(7)社会人‐筆おろし

大学を卒業して、私は外資系の会社の技術職に就職し、都心から隣接県にある工場に通い始めた。同期の人間は私を含めて13名。大卒の男子4名、短大卒の女性1名。高卒男子5名(うち一人は中途採用であったが入社時期が同じで、年齢も近かったので同期扱いであった)、高卒の女子3名であった。

社会人となって2年目の6月に、所属していた部の慰安旅行があり、長野の明治湯温泉という鄙びた温泉宿に行くことになった。私と同期の大卒、岸君、そして短大卒の太田さんが幹事をすることになった。幹事と言えば聞こえが良いが、要は雑用係りである。部に女の子が少ないこともあり、女性のみ部外者にも声掛けし、数名がゲスト参加した。

今はどうだか分からないが、40年以上も昔、当時は山の中の渓流の傍に一軒ぽつんと建った温泉宿で、南アルプス?の登山者が利用する様な宿であった。風呂も当時は旅館の外観同様、鄙びた感じに溢れ、銭湯にも似て、男湯と女湯は高さ2m半ほどの壁で仕切られ、その上は天井まで大きく開いていた。不思議なことに湯船につかるとその壁に50・X50cmほどの窓のような穴が開いており女湯がそこから丸見えであった。旅館にたどり着き、宴会前にひと風呂をということで、一斉に風呂に向かった。風呂に入って湯船に浸かっていると、話し声がして、女性陣も入ってきた。目ざとくその穴を見つけた女性陣は、素早くその穴の上にタオルを垂らして穴を塞いだ。すると男性陣もしたたかで、桶に湯を汲み、一気にそのタオルにぶっ掛けた奴がいた。タオルがすっ飛び、女湯から悲鳴が上がる。大らかな遊びであった。中にはもっとしたたかな奴がいた。村上氏というその先輩は、女性がその穴に注目しているうちに、黙々と桶を積み上げ、それに登って、仕切り壁の上から一人女湯を覗き込んでいた。そこにいた女性は、下の穴にい注意が向いていたためか誰一人気付かず、すっかりその場にいた女性全員が、知らぬ間に彼に全裸姿を見られてしまうことになった。

宴会、2次会と、幹事としての仕事を済ませると、私は一人浴場へ向かった。シ~ンとして、誰もいない。女湯からの物音もしなかった。ゆっくり湯につかり、そういえばさっきは十分に女湯を見ることが出来なかったと思い、件の窓用の穴から女湯を覗いてみた。驚いたことに洗い場に女性が一人いた。池田さんという製造部の事務員であった。どうも酒を飲み過ぎて、洗い場で転寝している様子であった。色白の女性であったが、思いの外、貧乳であることが見て取れた。残念ながらマンコの様子は良く見えない。位置を変えようと思い、先ほど村上先輩がしていたように桶を積み上げてその上に乗り、上から女湯を見下ろした。今度は陰毛が見えたが、ヘアヌード宜しく、マンコの詳細までは良く見えない。

と、突然女湯の脱衣所の戸が開き、女性が一人新たに入ってきた。一緒に幹事をした太田さんであった。太田さんは池田さんに気付き、そちらに注意を集中したせいか、上から覗いている私には気付かなかった。タオルで前を隠しながら入って来たのでこちらから太田さんの裸体は良く見えなかったが、池田さんを起こして抱えながら脱衣場に向かう時には、胸や生尻を見ることが出来た。

さて、この社内旅行の後、時々太田さんとは飲みに行く仲となった。太田さんは名前を洋子といい、岩手県の花巻郊外の農家の娘であった。盛岡の短大へ進学した。短大は共学であったが、所属した食物栄養科は2学年合わせて女子117名、男子16名という女子短大に近い構成であった。当時男性との交際経験ないしは性交経験があったかはよく知らない。卒業と同時に首都圏へ出てきて就職したわけであるが、住まいは会社が斡旋した豆腐屋の2階で、入り口が独立した階段を上がると8畳ほどの倉庫然とした空間があり、その奥にもう一つ鍵のかかる扉があってその奥に居室があった。もともとは豆腐屋の住み込み従業員用に誂えた部屋の様であった。和室の8畳間と6畳ほどのダイニングキッチン、所謂1DKであった。アパートではなく借家人は彼女一人であった。

その年の7月20日過ぎに連れだって夕食を外食し、アルコールが入った勢いもあって、街中の公園で、彼女にキスをしてしまった。そして、そのままの豆腐屋の2階に転がり込み自然の成り行きとして性交に至った。遅まきながら私にとっては筆下ろしであった。

夏ということもあり、ワンピースの前止めのボタンを全て外し、前を広げると白のブラジャーとパンティーのみで、胸はBカップであった。ブラジャーを外し、オッパイを吸いながら日活ロマンポルノで見た通りに乳房を揉みしだいた。その後彼女のパンティーを脱がし、自分も全裸になった。かねてより見たかった大人の女性のマンコがじっくりと見れると、私は興奮のあまり勃起したチンポの先から先走りの汁を垂らしつつ
「マンコを見せて欲しい。」
と頼み込み、洋子の承諾の下、暫し同女の陰部を間近に観察した。先ず見えたのは陰毛とその下に続く陰裂。大陰唇の間から、はみ出す一対の小陰唇であった。昔見た三枝子ちゃんおマンコとは違い、明らかに大人のマンコであった。後日、聞いたところによると、彼女の自宅は花巻から釜石線で4駅、そこから更に車で20分程という山の中にあり、花巻の高校に進学した際には通学が大変だという理由から、花巻市内の祖母の家に同居したそうだ。祖母は町中の比較的大きな戸建ての家に一人で住んでいた。その一部の部屋を間貸ししており、洋子の隣の部屋に若い女性が住んでいったという。その借家人が時折、男を連れ込み、性交するのを壁越しに聞くことになり、性行為に興味を持ち、洋子は日夜自慰行為に耽るようになった。そのため、洋子の小陰唇は盛んに擦られたために肥大し、左右のバランスも崩れたもようであった。ともかく、指で陰裂を開き、思うに任せて中間でじっくりと観察させてもらった。

いよいよ「嵌め込み式」と小学生の頃呼んでいった瞬間に至り、私は自分の男根を正常位で洋子のマンコに挿入しようと試みた。しかし、洋子の膣口は後ろ付きの傾向があり、最初は上手くいかなかった。洋子が
「もっと下」と
声掛けをしてくれたので、やっと洋子のマンコに私は深々と男根を突き刺した。実際に性器を挿入してみると、それ自体には特別の感慨は生まれなかった。洋子は両脚をピーンと突っ張り足首を少し浮かせる状態で私のチンポを受け入れた。破瓜をした様子はなく、性交による出血はなかった。

私は少し混乱した。洋子は果たして処女だったのか?肯定的な側面としは、既に洋子は生理用品としてタンポンを常用しており、タンポンの使用によって既に処女膜を自分で破ってしまった可能性があること(生理時に初使用した時には破瓜があったとしても、自分では処女膜が破れたことによる出血なのか、生理の出血なのか分からなかった可能性がある。)。また、この晩私の勃起した男性器を見て、
「こんなに大きいのが入るの?」と
思わず驚きの声を上げたこと。即ち勃起した男根を初めてみた様子であったこと(但し、これは演技だったかもしれない)。更には後日「あのあくる日は、何時までもマンコにチンポが入っている残存感が長く続いた」と述べたことなどが挙げられる。
一方否定的な面としては、まず、破瓜出血や痛みを全く訴えなかったという事実。最初に嵌めるとき位置を細かく指示できたこと(タンポンで慣れていたからかも知れない。)などが挙げられる。また後日、聞き出したところ子どもの頃、隣家に住む従兄の和ちゃん(私と同い年であった…既に物故者)と5歳年上の姉と3人で 、よく性器を見せ合う遊びをしたという。姉の律子は和ちゃんのチンポを弄るのが好きだったが、自分のマンコを見せることはあまりなく、和ちゃんがチンポを見せて弄られる見返りとして、洋子のパンツを脱がし、洋子のマンコや尻の穴を見させていたそうだ。ことによったら性交の真似事位はさせていたかも知れない。

ともあれ、性器を生嵌めした私はゆっくり抽挿を始めた。興奮し過ぎたせいか、なかなか射精には至らなかったが、そのため時間を掛けて洋子のマンコの味をチンポで直に心行くまで楽しむことが出来た。やがて射精に至り、洋子の体内に男汁をたっぷりと流し込んだ。2回目の性交が終わった後、後背位で味わいたくなり、洋子に四つ這いになるように言った。直ぐに洋子は四つ這いになり、肘付をしてお尻を私の方に向けた。尻の割れ目は大きく開かれ、驚いたことに手で尻たぼを開かなくても洋子の肛門が目の前にはっきりと開示された。この日まで明治湯で裸を「ちら見」しただけの、身近な大人の女性が生尻を向け、丸出しにした肛門とその下に続く女の陰裂を自分から進んで見せてくれたのである。洋子は実に綺麗な肛門をしており肛門美人という言葉があるのであれば、それは正に言いえて妙であった。自分の意志を持って、私に見せてくれている女性の陰部を後ろからまじまじと見ることは、三枝子ちゃん性器を見て以来のことであり、しかも今回は顔見知りの大人の女性である。私はまず洋子の陰裂を開き肛門とマンコの中を別角度からじっくり観察した。

その後、徐に男根を挿入し抽挿を始めた。目の前に洋子の肛門を見ながらの抽挿は、洋子の丸出しの肛門を見下ろし、しかも自分のチンポがマンコに出し入れする状態を目の当たりにすることになった。それは正に洋子が犯される姿そのもので、私は征服感に満たされ喜悦の極みであった。再び思い切り洋子の体内にたっぷり射精した。後ろから2回、合わせて4回目の射精を終え、酒が入っていたこともあり、私は眠けに誘われた。洋子も同じで二人とも全裸のまま一緒に布団にくるまり眠りについた。暫しまどろみながら、時折思い出したように性交を繰り返し、あくる朝の7時頃迄の間に、更に3回、次ごう一晩で7回私は洋子のマンコに射精を繰り返した。洋子が処女であったかどうかはともかく今や完全に洋子は私の物であった。お互いに十分に性欲処理ができる相手となった。

以後洋子とは、毎週水曜日と土曜日と日を決め、夕食を共にし、その後必ずで性交を繰り返した。自宅に彼女を招いた折には、両親が階下にいたにも拘らず、私がトイレに行って自室に戻ってみる、私のベッドの中で洋子が全裸で待っていて性交を求められたりもした。生の感触が好きで、コンドームを用いず性交を繰り返した結果、やがて妊娠するに至り、未婚であったために、母の掛かりつけの医院に連れて行き、そこで堕胎するといった事故もあった。まだ未熟であった。…続く。

私の性的体験記(6)大学生の頃

話は少し戻るが、それは、新たに見つけた「大人のマンコを見て楽しめるスポット」のトイレの吐き出し口の前で、マンコを見せに来る立ち拭きのお姉さんを待っていた、ある晩のことであった。時間は22時を回っていた時分であった。表通りから、こつこつと足音が近づいてくるのが聞こえた。明らかに女性のハイヒールの音の様であった。その音は確実に近づいてくる。私の住む官舎には思い当たる女性は住んでいないので、私が待ち構える建屋の住人ではないかと思えた。その思いはやがて確信へと変わった。
「これは、帰宅したらすぐトイレに来るかも知れない!」
勝手な期待感が沸いた。・・・が、その思いは現実になった。足音は路地から曲がり建屋の玄関へ向かった。扉が開閉する音が聞こえ、そのまま足音はトイレに直行であった。直ぐにトイレの明かりが点き、吐き出し口から覗く私の目の前にこれからマンコをご披露してくれることになる女性の足元が現れ、便器を跨いだ。そのフクロハギを視て、その女性が何時もの立ち拭きのお姉さんに比べふくよかであることに気付いた。私好みのぽっちゃりタイプの身体つきをした、別人であることを知った。

直ぐに目の前に、このお姉さんの生マンコが下りてきた。これまたふっくらとしたマンコは立ち拭きのお姉さんよりは若干毛深い様子であり、大陰唇の後ろの部分が僅かに開き、そこから小さな肉片が若干はみ出していた。後に結婚した女性のマンコを熟視した折、それが膣口周りの言ってみれば処女膜の痕跡の様なものであることを知るが、その時は、そんなことは知る由もなかった。すごい勢いで排尿が始まった。このお姉さんは顔も思い当たらなかったが、ともかく見ごたえがあった。尿の一部はたくるような感じで臀部へと伝い下に落ちた。はは~ん、昔美明君が言っていたのはこのような様子だなと思い当たった。と、膣口と思しき辺りから鼻汁を思わせる様な白っぽい粘稠な汁が、つーと垂れてきた。その時には、それが女性固有の下り物とは知らなかた(母はトイレで見る限り下り物を垂れることはなかった)ので、このお姉さんが外出先で誰かと性交をし、その男汁が今頃になって、垂れてきたのかも知れないと思った。

やがて排尿を終えると、そのままの姿勢で、お姉さんはトイレっトペーパーで丁寧に自分の陰部を拭き上げた。下り物も綺麗に拭き取られたが、臀部に伝わった尿には気付かないのか、そのまま立ち上がり、白い下着をたくし上げた。今思えばパンティーのクロッチ部は下り物でたっぷり汚していたに違いないし下着も固有の臭いを放っていたことであろう。それは立ち拭きのお姉さんとは違い、正に大人の女性のマンコを身近で見たという実感がわく光景であった。

大学3年の2月のある晩、それは「草木も眠る丑三つ時」~午前2時頃であった。急激に激しい腹痛に襲われた。間欠的に襲ってくる痛みに七転八倒し、両親を起こし救急車を呼んでもらった。臍の少し上を襲う痛みから、不摂生が祟り、例えば胃穿孔の様な、何らかのとんでもない異常を胃に発症したに違いないと思えた。3時頃担ぎ込まれた病院で、診察に当たった医師は、急性の虫垂炎と診断した。それまで、虫垂炎の症状は何回か経験しておりそのたびに薬で散らしてきた経験から、「この痛みは違う。第一場所が全然違うではないか。虫垂炎じゃないぞ。この薮医者め。」と内心思ったが、とりあえず打った痛み止めの注射のお陰で、痛みは静まった。その日の午後手術をするということになり、病室に移された。正直「勝手にしやがれ。」という気分になり、10時頃まで微睡んだ。

それまで、虫垂炎の手術を受けた何人かの友人たちは、「手術前にあそこの毛を剃られた」とか「麻酔から覚めたら知らないうちに褌を締められていた」などと言っていたので、それなりの覚悟ををしていた。ところが毛を剃られることもなく、ブリーフ姿のまま手術室に搬入され、下半身だけの麻酔で手術が進行したので、意識はそのままあった。痛みは全くなく、まるで爪でも切っているような感じであった。手術は20分程で終了し切除した虫垂を見せられた。色合いと言い、大きさと言い、丁度片腹だけ取ったタラコのような感じであった。本当に虫垂んだったとその時初めて悟った。

その病院には6泊入院した。3人部屋に私一人であった。2日目からは一人でトイレに行った。男女共用で男性の小便器が2機、個室が2つ。一つは洋式、他方は洋式トイレに対して横向きとなった和式であった。和式の方は列車のトイレ式で1段高くなっていたが、驚いたことに、その境の壁はその高い床に揃えられており、低い方はぽっかり穴が開いた状態で、人一人通ろうと思えば容易に通れるような感じであった。要は洋式便器に座り、身を前に屈めれば、簡単に隣の個室が斜め後ろから覗ける構造であった。早速見舞に来た母親の生尻を覗いてみた。これはいけた。無理すれば斜め前からも覗けそうであったが、手術後で未だ抜糸していない身体では、怖くて無理な姿勢はとれず、それは諦めた。

3日目、30代の男性が同様に虫垂炎の手術を受け同室に入院してきた。彼の奥さんは感じの良い美形であった。彼女が見舞に来て暫く時間が経過したところで、私はトイレに出向き洋式便器に腰かけ待ち伏せするようになった。計画通り、何回か私は奥さんの丸出しの生尻、ケツの穴、排尿姿を拝ませて頂いた。

半年ほどして、中田家の止子小母さんが、同様に虫垂炎にかかり、同じ病院で手術を受けることになった。私程急性ではなかったので、予約を取り入院となった。小母さんも陰毛を剃られるのではないかと心配になり、私にその辺りを聴いてきた。
「下着も穿いたままだし、毛も剃られることはない。」
と話すと安心したようだ。後日様子を聞くと
「毛は剃られなかったが、下着は脱がされた。」
と話していた。下着を汚さないようにという配慮であったと説明を受けたそうだが、女性患者なので医者の役得で、素人主婦の止子の下半身を素っ裸にし、マンコを合法的にじっくり見るためだったような気がした。下半身麻酔なので、例え女陰の割れ目を開かれて中まで見られたり、指を膣内に入れられても、止子には分からなかったに違いない。

4年生になり、理系学生であった私は卒業研究のため実験棟に通う毎日になった。早朝に登校する私には、未だ人が疎らな時間にこそできる楽しみがあった。女子トイレに忍び込み、数少ない同級生女子大生を覗くことでった。キャンパスが郊外にあったためか、登校してすぐにトイレへ向かう女子が多いので、狙い目であった。一人目の相手は、久保田恵子であった。隣県から新幹線通学をする彼女は若い頃の由紀さおり似であり、仲の良かった学友2人の憧れの的でであった。その彼女がトイレに向かった後姿を見て、見逃す手はなかった。あとを追って女子トイレに入り込み、後ろの個室から仕切りの下の隙間を介して覗き込んだ。和式便器を跨いで立った彼女であったが、期待した臀部は目の前に降りてこない。不思議に思っていると、やおら下痢便が目の前に落ちてきた。仕切りに顔を近づけ見上げると、中腰状態で下痢便を垂れている姿が見えた。お陰で排便を続ける尻の穴も、若いマンコの陰裂も丸見えであった。学友二人を差し置いて、久保田恵子の陰部をすかっり鑑賞した。

二人目は、名前を忘れたが、渾名を山桜といった。出っ歯の彼女は美人の部類には入らない。花より葉が先…鼻より歯が先…というのが山桜という渾名の由来であった。御面相はともかく女は女、彼女の陰部に関心を持つのは別の話であった。彼女はきれいな尻の穴の持ち主で、私は勝手に心の内で肛門美人と呼んでいた。同じ学科には13人の女学生が居たが、幾つかの研究棟に分かれていたため、楽しめたのはこの二人だけであったが、特に山桜の生尻と排尿は繰り返し、拝ませてもらった。…続く。

私の性的体験記(5)高校生~大学生の頃

大人のマンコが見たい、という要求は私の心の中で燻り続けた。その思いを遂げるために自宅のトイレ覗きはともかくとして、外に打って出ることにした。私は近くの球戯場に目を付けた。その球戯場には4か所ほどトイレがあり、全て男女別であったが、どれも入ると個室の壁の下には覗きに適した隙間があることを私は知っていた。そのうちの南東角にあるトイレは観客席から専用の階段を降りたところにあり、トイレに行く人しかその階段を利用しないことと、球戯場の端にあるため利用者が少なく、球戯場の客席からは入り口付近が直接見えない死角になっている等、好条件がそろっており、隙を見て女子トイレに潜入するのが、容易であった。そこで私はトイレの入り口に続く階段近くのベンチに腰を下ろし、試合を見ながらマンコを見せてくれる良い鴨(獲物を)が来るのを待ち受けることにした。既に母親の脱糞姿を日常的に覗くようになっていた時期なので、それは高校2年の10月、いや11月頃の日曜日であった。

暫く待ち受けていると眼鏡を掛けた中年の女性が北側から通路を歩いてきた。よく見ると驚いたことに、中学時代の理科の教師、天野先生であった。先生は私に気付かず前の通路を通り過ぎたので、私もそれほど親しかった訳でもない天野先生には声掛けや挨拶はしなかった。多くの人は通路を通ってもコーナーを右に曲がり正面の方に歩いてゆき、左手のトイレへ行く人はそれまで皆無だった。が、天野先生は違った。嬉しいことに先生は左に曲がったのである。それを見た私はすぐに立ち上がり、先生の後を追った。

天野先生はアラフォーの先生で理科を担当していた。どちらかと言えば地味な感じの先生で、恐らく独身であったと思われた。それはともかく、久しぶりに見た天野先生であったが、挨拶の機会を逸してしまったので、代わりに彼女のおマンコにお目通りしようと言う訳だ。

トイレに向かう階段を降り切ると、ちょうど女子トイレからドアの閉まる音がした。躊躇なく私は女子トイレに滑り込むと、3個ある個室の中央の個室のドアが閉まっていた。私はその前の個室に直行し、戸を閉めると壁の下にある隙間から手鏡を使って、天野先生の個室を覗き込んだ。鏡の画面いっぱいに、まばらに毛の生えた、ぷっくらした先生のマンコが写し出された。大陰唇、小陰唇のはみ出しのない一本のマン筋、そして割れ目から勢いよく迸る一条の黄金水。私は排尿を続ける天野先生のマンコをじっくり見ながらチンポを扱いた。やがて天野先生は排尿をおえ、几帳面にたたんだトイレットペーパで丁寧にマンコを拭くと、立ち上がり着衣を直して外へ出て行った。30秒ほど経ってから、私もトイレを後にした。

その後1回だけこのトイレで、他の大人のマンコを見せて貰った。しかしもっと安全に「大人のマンコ見」が出来る所を見つけ、更に球技の試合がある時のみ利用できるそれ以降このトイレを利用することはなくなった。新たに見つけた「大人のマンコを見て楽しめるスポット」は、我が家のすぐ傍にあった。隣家の中田家の先に表通りに続く路地に出られる木戸があった。木戸を開けて外に出ると、右手に元医院であったと思われる木造2階建ての白色の建物があった。この元医院が、私にマンコ見をさせてくれる格好の場所となった。

この元医院は、医者であったご主人が他界し、残った夫人が女性専用の間貸しをしており、何人かの女性が一緒に住んでいる模様であった。木戸を開け外へ出ると官舎の万年塀と元医院の建屋の間に半間ほどの隙間、医院の敷地があり、路地に面して同じく普段使うことがない木戸があった。この木戸は壊れていて動かなかったが、私一人がすり抜けることが出来る空間を開けた状態で固定されていた(常時その状態に保たれた)。このわずかな隙間は秘密の空間につながる言わば抜け穴で、夜10時を過ぎれば奥まったこの路地の突き当りにまで、人が来る気遣いは無用で、私の目的には完璧な空間であった。この建屋のトイレはその隙間に面しており、どうも廊下から扉を開けると男性用小便器室、更にもう一枚戸を開けると和式の大便器兼女子用小用便器がある個室へと通じる構造らしかった。

女性用個室の下部には掃き出し口があり、便器に跨ると、その掃き出し口は正面になる位置関係であった。その引き戸を開くと覗き込んだ私の目の前に、用を足しに来た女性は下着を自分から下ろし、大きく股を開いてそのマンコを見せながら用を足すことになる。照明も明るく申し分なかった。掃き出し口を全開にしておいても、誰も気に留めず、その状態が長く保たれた。

最初の日、私は掃き出し口の窓を向かって左側に寄せ、全開にして、大人の女性がマンコを見せに来るのを待った。20分ほど経過したころであろうか、廊下を歩く足音がして、トイレの明かりが点いた。私は頭を右手にし、尻を木戸に向けて四つ這いになってトイレの中を覗き込む姿勢で、マンコを見せてくれる女性の登場を待った。個室の戸が開き、女性が登場。便器をまたぐと衣擦れの音を立てて、ショーツをずりさげ、刹那女性の下半身が下りてきた。彼女は話こそしたことがないが、良く路地ですれ違っていた言わば顔見知りのお姉さん(多分20歳代)であるのが分かった。その彼女が私にマンコを披露してくれる筈であったのだ・・・!が、その陰部は、ものの見事に金隠しの影に落ち着き、私からは全く見えないではないか。金隠しとはよく言ったものである。しまった身体を奥に置き頭を左手にして四つ這いになり覗くか、窓の左側を開けておくべきであった、と思った時には後の祭りであった。気配を悟られたら元も子もないので、私は身動き一つできず、排尿の音を聞くだけで、「マンコ見」はお預け状態に追いやられた。

翌日、前日の失敗を糧に、「身体を奥に置き、頭を左手にして四つ這いになり覗く姿勢」で吐き出し口前で待ち構えた。昨晩とほぼ同じ時刻にお姉さんはトイレにやって来た。四つ這いで待ち構える私の目の前にお姉さんの丸出しの股間が下りてきた。今度は成功である。明るい照明の下、お姉さんのマンコが目の前に現れた。陰毛は薄く、はっきりと陰裂を見せていた。小陰唇のはみ出しがなく、ぷっくらとした一筋の大人のマンコから尿(ゆばり)が噴出した。三枝子ちゃんの時と同じで、全く尻にはたくらなかった。小用が済み、どの様な拭き方をするのかと思っていると、お姉さんはそのまま立ち上がった。
「えっ!?子どもでもあるまいに、おしっこした後、拭かないの?」
という思いが頭を過った。一呼吸置いて、トイレットペーパーがおちてきたので、それは杞憂であった。身支度を整えて、お姉さんはトイレを後にした。その晩は期待通りに大人のマンコを見ることが出来たことに大満足であった。

かくして、その後、繰り返しそのお姉さんのマンコと排尿シーンを正面から見るようになった。路地でお姉さんとすれ違うのは稀で、顔を拝むよりは遥かに高頻度で彼女のマンコと排尿を拝むようになっていた。お姉さんは排尿を終えると何時も立ち拭きであった。

そんなある日、私はこのお姉さんがどのようにマンコを拭いているのか興味を持ち、少し身を乗り出して、小用を終えて立ち上がったお姉さんの下半身を見上げた。その時彼女は白いショーツを膝上まで下げ、マンコ丸出しで立った状態であった。右手にトイレットペーパーを持ち、マンコを拭き出した。それはかつて見た天野先生と違い、優しくマンコにペパーを当てて残尿を吸取るというのとは程遠く、執拗に強くマンコを擦る感じで、単にマンコを拭くという行為ではなく、明らかにマン摺り(自慰)行為に思えた。きっと気持ちがいいんだろうなと思えた。

そんなある晩のことである。何時ものように私にマンコ見せと排尿ショーをご披露したお姉さんであったが、その時は排尿を終えても立ち上がろうとしなかった。
?…?
不思議に思って見ていると、突如脱糞が始まった。母親、美夢に続く、3人目の大人の女の脱糞ショーである。次々と放り出されるうんこ。脱糞と同時に何時にない長時間、前から覗く私に彼女はマンコを露出し続けた。やがて脱糞を終えた彼女は、さすがにその時はしゃがんだまま肛門とマンコを拭きとった。

その後何十回となく立ち拭きのお姉さんの大人のマンコは、間近から見せて貰った。2年ほどして少し大胆になった私は便所手前の廊下の窓を少し開けておき、トイレに来る直前のお姉さんの横顔を見てやろうとした。これが失敗の素であった。お姉さんはトイレに来て電気を点けた瞬間黙ってユーターンした。どうも彼女の視野に私が入ったようだ。一瞬の出来事であったので誰だか分らなかった筈ではあるが、異常を感じた彼女は大声を立てずに誰かを呼びに行った様だ。以上を察した私も、素早く木戸を抜け官舎の木戸の内側に身を移すとその後の様子を窺った。暫くして2~3人の女性が外に出てきて懐中電灯で木戸から吐き出し口付近を照らし、「もう誰もいない」とか話していた。しかしそれ以上の騒ぎにはならず、無事に済んだ。

1週間ほどしていってみると吐き出し口の戸はしっかり閉めてあった。私は再度全開にするとその日は引き上げた。あくる日行くとまた掃き出し口の戸は閉まっていた。・・・これはダメだと確信したので、二枚ある掃き出し口の戸の1枚を外して持ち帰り、離れた球戯場の裏手の草むらにそれを捨てた。また1週間ほどして、行ってみると吐き出し口の開口部にはべニア板が立てかけてあった。そこで翌日、錐を持って出かけ、そのべニア板に覗き穴を開けた。やがて立ち拭きのお姉さんがやって来た。彼女は覗き穴に気付かず、久しぶりにまたマンコを見せてくれた。その時は小用を済ませても立ち上がらず、そのままの姿勢でマンコを拭いた。何時ものように強くマンコを摺り、最後に右側の大陰唇をつまみ陰門を少し開くしぐさをしたのが印象的だった。この時をこの場所での最後の「マンコ見」とした。…続く。

私の性的体験記(3)高校生の頃

中学時代から大学時代まで過ごした都心の官舎は、表通りから直角に伸びた路地の突き当りにあり、木戸をくぐった先に塀に囲まれて南北に3棟の一戸建ての家があった。我が家はその中央で、北隣に佐藤さんという家族が住んでいた。官舎であったので、父の勤め先の同僚の家族であり、家族ぐるみの付き合いがあった。小さの男子が二人おり、お兄ちゃんは弘之といった。13歳年下であった。母が子ども好きということもあり、よく家に遊びに来ていた。時には一緒に風呂にも入っていたので、弘之は母の全裸姿は既に見知っていた。

ある日のこと、何時ものように弘之が遊びに来て、母親と一緒に過ごしていた。高校2年の夏休みであったので、弘之が確か4歳の時のことである。私は自室で夏休みの宿題をこなすために、机に向かっていた。と、母がトイレに立ったのが気配で分かった。そして、それは時間的に丁度トイレに入って母がしゃがんだ位の絶妙のタイミングであった。弘之の
「小母ちゃん、おしっこ。」
という声が聞こえ、弘之が足音高らかにトイレへと突進した。不用心な母は、トイレの戸は閉めていたものの、何時もながらに内鍵を閉めていなかった様子であった。そのためトイレをの戸は容易に子供の手で開き放たれた様子である。自分にも経験があることであるが、子ども心に大人の女性が尻を丸出しにして小用をしている姿、「大人のマンコ」というよりは、「大人の女が尻を丸出しにしてオシッコをしている姿が見たい」という要求、言わば小児性欲が弘之を突き上げ、そういった行動に駆り立てたようだ。そして次の弘之が放った言葉は更に衝撃的であった。
「あれ、小母ちゃん、うんこしているの?」
そう、母は例によって急に便意を催してトイレに駆け込み、正に脱糞中であったようだ。母は
「弘ちゃん、戸を閉めて」
と声掛けをしたが、弘之は戸の外から母の脱糞を眺めるのではなく、大胆にトイレに入り込み、そのままその場にしゃがみ込んで、間近から母の脱糞を覗き込んだ。
「弘ちゃん、いい子だからドア閉めて」
母の声が虚しく聞こえる。私は足音を消してトイレに近づき様子を窺った。すっかりトイレに入り込んだ弘之は、屈んで顔を母の尻の近くに近づけ、ちょっと見上げるような感じで母の陰部を覗き込んでいた。距離にすれば20・もなかったかも知れない。それは彼にとっては、私の覗き穴以上に正に特等席であった。

そのころ頻繁に母の脱糞や排尿を覗き見していた私は、自分の行為が頭をよぎり、せっかく偶然が作り上げたと思われる弘之にとっては絶好の機会を生かして、弘之にたっぷり大人の女性、それも彼が良く知っている小母ちゃんである母の、脱糞の様子を見せて楽しませてやることにした。そして聞こえてくるやり取りに聞き耳を立てた。ドアの小穴から覗く私と違って、トイレの中に堂々と入り込み、しゃがんだ弘之には脱糞を続ける母の肛門は目の前にあり、更に排尿しているマンコもしっかりと見えている筈である。その様子を確認して、私はまた足音を消して自分の部屋に戻った。

下剤のせいで、私にも聞こえる程、ブリブリブリっと音を立てながら、母の脱糞は止まらない。音だけは私にも妙にはっきりと聞こえた。母は否応なしに、弘之の眼前に丸出しの尻を曝しながら、弘之に間近から覗き込まれていることを知りつつ、自らの脱糞を見せ続けるしかなかった。顔見知りの小母ちゃんである母が、大人のマンコも尻の穴も目の前で丸出しにし、脱糞を次から次へと見せている。それを間近から見上げる弘之・・・やがて是非もなく、恥ずかしい脱糞ショーと生マンコ丸見え排尿ショーを弘之にすっかり披露してしまった母は、出すものを出し終わり、陰部の始末をすると、トイレを流し、下着を上げて一段高い舞台から降りた様子であった。ところが、弘之は一呼吸早く、トイレから居間へと駆けって戻って行った。
「弘ちゃん、おしっこでしょ。お便所に来なさい。」
と声をかける母。弘之は一言、
「もう出ない!」

ハッとした。・・・最初から弘之には尿意などはなく、弘之にしてみれば確信犯的に母がトイレで尻を出し、排尿する姿を見ようとした行為であったことをその時私は知った。ところが弘之にとっては幸運にもというべきか、より長時間丸出しになった母の生尻を間近から覗き込むことが出来、しかも大人の女性が肛門から大量の便を放り出す姿を間近で見て楽しむことになった訳である。

弘之の幼いながらも、とっさに行動に移したその悪だくみを理解した私は、母に代わって彼に仕返しすることを思い立った。その方法は、逆に弘之の母親の陰部を私も覗き見してやることであった。本当のことを言えば弘之の母親、智恵子を昏睡させ、無抵抗状態でマンコを丸出しにして観察した上で浣腸でもしてやりたいぐらいの気分だった。

その後、弘之の母親、智恵子のできれば、トイレ姿を覗き見しようと何回か試みたが、いくつかの試みは失敗に終わり、私は方法を変更することにした。佐藤さんの家は、家の建て増し部分を除けば私の家と基本的には同じ間取りであった。居間に使用している部屋の縁側に面したテラス窓風の戸はガラス戸で、そのうち1枚のは本来刷りガラスである筈が、佐藤家のそれは透明のガラスに代わっていた。おそらく破損した際に、より安いこのガラスになったのであろう。雨戸は板戸、加えてカーテンをつけていなかった。そこで雨戸に錐で覗き穴をあけた。入浴時智恵子は雨戸を閉め居間で脱衣する筈であった。佐藤さんのご主人が出張の晩、私は庭に入り込み、縁側に座り、智恵子が裸になるのを待った。時が来て智恵子は私に覗かれていることも知らず目の前で、明るい室内灯のもとストリップショーを演じてくれた。細身の智恵子は、既に弘之と弟君の二人の子どもを、マンコから抜いており、乳は三日月形に垂れ下がり、手入れをしているようには見えない陰毛は、女の陰裂を覆い隠し、女の割れ目は見ることもできない。お世辞にも豊満とは言えない身体つきであった。

次に私は覗きのポイントを勝手口の鍵穴に変更した。今ではアンティークとなった勝手口のカギには、大きな鍵穴があり、格好の覗き穴であった。鍵穴から覗くとそこから右は台所であり、左は浴室の入り口、正面が居間へ続く出入り口であった。脱衣場はなく、ちょうど勝手口の前が、脱衣所代わりに使われる区間であった。そこで覗く智恵子は、くたびれた感じの熟女の身体であったが、顔見知りの10歳ほど年上の女性の全裸姿にはそれなりに興奮し、私はチンポを扱きながら覗き続けた。

何回か覗きを繰り返したある日のことである。その日一人で入浴を終えた智恵子は居間に直ぐには戻らず、隣接する台所で身体を拭き始めた。こちらに尻を向けながらである。と、前かがみになった瞬間に、智恵子の股間、即ちマンコの陰裂と肛門が目の前に開示された。陰毛が陰裂を隠していたのは前から見た時だけの話で、後ろから見ると大陰唇部の陰毛はそれほど密ではなく、小陰唇のはみ出しもない綺麗な筋マンが見て取れた。無意識とは言え、智恵子が自ら自分の陰部を私に披露したのであった。

鍵穴と言えば、佐藤家は一家で埼玉にあった奥さんの実家へ泊りがけで出かける時など、玄関の鍵を、外に置いてある二槽式の洗濯機の脱水機内に置いていくことを知っていた。そのカギを使って留守中に家に上がり込み、箪笥の引き出しにしまってある智恵子の穿き古したパンティー、洗濯しても落ちきれない染みをクロッチ部にはっきり残った生活感があるパンティーを眺めたり、時としてまとめて置いてあった洗濯前の臭い付きの汚れたパンティーを入念に点検したりもした。こうして、私なりの弘之に対する仕返しは完了した。

次に思いついたのは、同じ方法で、南側の隣家、中田家の奥さん、止子の全裸姿を鑑賞できるであろうという事実であった。これも見事に成功し、思い立ってすぐに顔見知りの奥さんお全裸姿を楽しめた。止子も弘之より1歳年下の男の子を既にマンコから抜いていたが、智恵子よりは年上であった。鍵穴から覗いた止子の裸体は、肉付きの良い中年婦人のそれであり、乳も垂れてはいなかった。今思えば私の家内によく似た体形で、私好みであった。子どもが寝静まった時間帯での入浴後、全裸で居間に移動した止子は、明るい照明の下で、ご主人に裸体を見せるヌードショーの踊り子がごとく振る舞い、私もその私的なヌードショーのご相伴にあずかった。・・・続く。

私の性的体験記(11)社会人‐小学校の運動会

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毎年9月の最終日曜日には娘が通っていた小学校の運動会があった。この日だけは大勢の父兄が駆け付け非常な賑わいである。当然トイレの利用者は多い。学校のことで当然のことながら男女別のトイレである。ところが1っか所だけ、これは普段はあまり使われていそうもない校舎の外れの位置にあるトイレであり、上履きに履き替える必要がない上に、男女兼用で、父兄に公開されていた。つまり誰にも怪しまれることなく出入りができる訳である。片側の壁に男性の小用の便器が幾つかあり、反対の窓側に和式の個室が4つ直列に並んでいた。北側とは言え、何れも窓に面していたので採光状態も申し分がなかった。早速前から2つ目の個室に尾籠(おこもり)と洒落るのが、毎年の習いであった。

ある年のこと、その日の最初のお客さんは、子どものお祖母ちゃんという感じの年配の女性で、全くの無警戒で大股開きで、生マンコと排尿をご披露してくれた。陰毛の白髪からかなり年配の女性であったが、使い込んだことによる黒ずみや形の崩れがなく、極めてお上品なマンコの持ち主であった。その後、待ちくたびれることもなく、次々と来るお客には事欠かず、お母様たちが立ち代わり、私のために(?)にマンコを見せにやって来る。確率良く3番目の個室を利用する人が多く、素人の中年女性、人妻のマンコが正に見放題であった。本当に良き時代であった。履物から、生マンコ排尿ショーを演じる「踊り子さん」が中年女性ということがわかり、顔までは確認できなかったが、マンコの持ち主を想像するのも楽しかった。

小学校のこと故、中には可愛らしいマンコや尻の穴を見せてくれる女の子もおり、大人のマンコ見に来ている私には物足りない場面もあったが、それは小休止の時間のようなものであった。高学年になると陰毛がまだ十分に生えていないにも拘わらず、大人の様に形の崩れたマンコを持つ子もおり、正に多様であった。

中には、着衣から明らかに同一人物と分かるお母さんが、最初3番目の個室で生マンコ放尿ショーを一度見せてくれた後、時間をおいて次に1番目の個室で脱糞ショーをご披露下さったというようなこともあった。このお母さんは2回目の時は、後ろから覗き見る私の前で、最初より腰を高く上げ、尻の穴とマンコが良く見える状態で放尿し、次に時間をかけて、尻の穴を膨らませ脱糞をご披露下さった。おまけにこれまたよく見えるパンティーのクロッチ部を黄色く汚している様子まで手に取るように分かり、生活感にあふれているというか、実に生々しかった。なぜ腰を高く上げて陰部を曝したのかはよく分からなかったが、ことによったら彼女もこのトイレの構造をよく理解していて、後ろから覗かれることを期待して、恥ずかしい姿を見て欲しく、陰部公開排泄ショーを演じていたのかも知れないとすら思えた。

何人かの素人の奥さんたちのマンコや尻の穴を間近に見て楽しんだ後、その時は突然にやって来た。新しい奥さん(中年と思われる女性)が後ろの個室に入ってきた。それは最初は私にしてみれば、私の目の前でパンティーを自から下して股を開き、丸出しにしたマンコを前側から見せながら排尿ショーを見せてくれるだけの一人の素人の奥さん、特別ヌードショーの踊り子さんに過ぎない筈であった。しかし、便器をまたぐ両足の姿・・・ストッキングと履物を見た時、私は興奮に舞い上がった。その新しく私にマンコ視姦をさせてくれることになる後ろの個室に入ってきた女性が、なんと母だと確信したからである。都心の官舎での7年間、更には箱根の保養所の努力、何れも水泡に帰してきた母の生マンコと排尿を前からの観察することが、偶然ながら実にあっけなく、実現する瞬間が来たのだった。母の脱糞を初めて覗き見してから16余年経過しており、やっと実現した母のマンコを間近から直に見る瞬間がきたのであった。

個室の仕切りの下にある隙間から手鏡を使って覗き込む私からは、はっきりとその全身像は見えないが、便器をまたいだ母はスカートをたくし上げ、パンストとパンティを摺り下す衣擦れの音をさせ、直ぐに腰を沈めて来た。、私の目の前で股を大きく開き、丸出しにした生マンコを今やはっきりと正面から見せてくれたのである。子どもの頃、入浴時に正面から見た母のマンコは陰毛に隠れて女の割れ目を見せることはなかったが、今は当時に比べて陰毛は若干薄くなり、はっきりと陰裂を見せてくれていた。ご披露頂いた母のマンコは洋子のような小陰唇のはみ出しもなく、陰毛が残ってはいたが、まるで少女のようなマンコで、とても綺麗な陰裂であり、とても66歳とは思えない若々しく上品なマンコであった。迸る小水、私はすっかり見入ってしまった。惜しむらくはこの時母は脱糞はしてくれなかった・・・してくれていれば、もっとゆっくりと時間をかけてマンコ見が出来たのにとは思うが・・・それでも十分過ぎる一時であった。

余談ながら、 晩年母が介護状態になった時に、母のマンコを間近で垣間見る機会が何回か訪れた。オムツをしていた母のオムツ交換の折に近くから目にしたものである。この頃には、歳とともに薄くなった母の陰毛は、既にパイパン状態で脚を閉じていても、陰裂をはっきり見せ、それは色素の著色もなく少女のようなマンコであった。

眠りが浅く昔から睡眠薬を常用していた母であったので、今になっては叶わぬことながら、実は熟睡時にチャンスがあれば、母に対してやってみたかったことが幾つかあった。
それは下着を脱がせて;
・ 割れ目を開いて長年一緒に暮らした母の膣口や尿道口を直に観察し、合わせてマンコ丸出しの姿やマンコを開いて中を撮影すること。
・ 自分の指を母の膣内に挿入して、その感触を指先で確かめること。
・ 母のマンコを存分に舐めあげ、陰核を剥いて撫でたり舐めたり、更には膣口に舌を挿入してその味をみること。
・ 自分のチンポを生でマンコに嵌めて、時間をかけて抽挿して自分のチンポで母のマンコの感触を味見をすること。
等々、妄想は次々と広まった。母が昏睡るようなことがあり、夜中に一人で付き添っていれば、それを実行してしまったかも知れない・・・現実には母はあっけなく他界してしまって、この妄想を実行する機会はなかったが、もしその様な状況があったならば、私はこれらを実行に移し、母を犯していたことであろう。…続く。

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私の初体験

私が高校2年のときでした。家に叔父さんが同居していました。
叔父さんは母親の弟で、当時31歳でした。
両親が旅行に出かけたときのことで、叔父さんと私の二人っきりで何日か過ごすことになりました。
両親で出かけた日の夜のことでした。私を見る叔父さんの目がいつもと違う気がしました。食事が終わって、叔父さんは一人でふろに入りました。するとお風呂場から私を呼ぶ声がしました。
叔父「えみ、ちょっと来てくれ。」
私は何も考えずに、「はーい。」と返事をして、浴室に向かうと、
叔父「背中流してくれ」と手首を掴まれました。戸惑う私に「さあ早く。」と急かしました。
そのまま背中を流そうとすると、「濡れてしまうだろう、えみもさっさと脱げよ。」と強い口調で言いました。仕方なくブラジャーとパンティの下着姿になると、「まあ、いいだろう。」と叔父さんが言いました。
背中を洗って流してあげると、「今度は前だな。」と言って、叔父さんはおもむろに前を向いて、隆々と勃起したおちんちんを見せつけ、「ここも洗ってくれ。」と言いました。
初めて見る勃起したものに戸惑う私に、石鹸をつけて手で洗うように言いました。
叔父さんは気持ちよさそうな顔をして、「しごいてくれ。」と言いました。
興味があったので、仕方なく言うとおりにすると、「いいぞ、その調子、あー気持ちいい。」と言って、私に体にどぴゅどぴゅと射精しました。
私のブラジャーとパンティにもかかってしまい、汚れてしまいました。すると、「今度は俺がえみを洗ってやる。」と言って、ブラジャーとパンティを脱がしにかかりました。汚されてしまったので、仕方ないと思って、私も素っ裸になると、叔父さんは嬉しそうに「えみも成長したな、バージンか?」と聞いたので、「うん。」と頷くと、「よし、今日は俺が女にしてやろう。」と言って、私に体を洗ってから、一緒に湯船に入ると、ディープキスをして、おっぱいを揉まれ、また嬉しそうに吸っていました。湯船のふちに座らされ、叔父さんは私のあそこを器用に嘗め回しました。私は初めての体験に体が熱くなってしまいました。
ぼーっとしていると、叔父さんは私の体を洗った後に、一緒に浴室から出るように言われて、バスタオルでパパっとふき取ると、素っ裸のまま、私を抱えて叔父さんの部屋まで連れていかれました。そこで、叔父さんが寝転んで、私にあそこを咥えるように言われ、逆に私が上になって、叔父さんがわたしのあそこを舐めました。あとで聞くとシックスナインというらしいです。叔父さんがしばらくシックスナインを楽しむと、再び隆々とおちんちんが勃起しました。
叔父さんは私を寝かすと、新しいタオルをベッドにひいて、自分のおちんちんに何かはめてるようでした。後で聞くと、コンドームだそうです。やはり妊娠はまずいということでした。
そのまま、私のロストバージンとなりました、少し出血しましたが、痛みはそれほどではなく、気持ちよかったです。正常位でした。
その日は朝まで何度も叔父さんにいろいろな体位で抱かれました。気が付くと、叔父さんと同じベッドで裸でだきあったまま、寝ていました。朝私が目を覚ますと、叔父さんは「どや、もう一回するか?」と言って、朝立ちしているおちんちんにコンドームをはめると、再び私の中に侵入してきました。結局、両親が帰って来るまで、私は服を着せてもらえず、素っ裸のまま、何度も何度も叔父さんに抱かれました。

私の子宮はいつも先生の精子で

結婚して丸3年経っても子供が出来ないので、私は婦人科、主人は泌尿器科で診てもらうことにしました。
その結果、主人の精子の数が平均より少ないことが分かりました。
でも妊娠が不可能なほどでもなかったので、主人は精子を増やす薬や、ホルモン注射や、ビタミンCの補給等を受けていました。

その間私も定期的に不妊外来に通ったのですが、1年経っても妊娠の兆候は顕れませんでした。
もう諦めの境地になりかけていた時、通っていた病院への通り道にあった、マッサージの看板がふと目にとまりました。
ストレスに依るものなのか、肩と首筋がこっていたので、何気なくそこに入っていきました。

予約も何もしていませんでしたが、約1時間弱待たされて、診察室に通されました。
その医院は、マッサージ・鍼・灸などがあり、それぞれ部屋が別れていました。
診察室には先生と看護婦さんがおられ、一通りの問診の後、「背骨や関節など、全体を診てみましょう」ということで、診察台の上に寝かされました。

最初俯せの状態で、背骨の曲がり具合や、肩と膝などの関節をチェックした後、横を向いたり上を向いたりさせられました。
この時私はスカートだったので、体を動かした時裾が捲れないよう気を付けていました。
そして仰向けになった時、先生の手がスカートの上から足の付け根を押さえると、膝を持ってぐっと上に引き付けたのです。
私は慌ててスカートを押さえましたが、先生の位置からなら、スカートの中身が見えていたはずでした。
しかし全く変な素振りはなく、淡々と股関節のチェックを済ませてしまいました。

そしてやっと本題の首筋と肩のマッサージをしてもらえたのですが、すこし痺れるような感じがして、その痺れが治まると、何とも言えないいい気持ちになりました。
一変に肩が楽になったように感じたのですが、「暫く通って下さい」という言葉で、1週間後の予約を取りました。

そして2回目の時、肩と腕を揉まれて気持ち良くなり、気持ちも楽になってきて、不妊外来に通っていることを話してしまいました。
そうすると、「卵巣ホルモンや、女性ホルモンに効果があるやり方があるので、次回はそれもやってみましょう。でも時間がかかるので、最終の時間で予約して下さい」と言われ、5時の予約を取りました。

3回目の時、5時に医院にいくと、最後の患者さんが診察室から出てくるところで、待合室には私一人しかいませんでした。
すぐ診察室に呼ばれて、前回同様首筋や肩・腕のマッサージを受けていた時、看護婦さんや受付の人が片付けを始め、私へのマッサージが一通り終わったところで、帰って行きました。
私だけ取り残された格好になったのですが、先生から、「今から不妊の治療を行います」と言われ、しかたなくそのまま残りました。
先生と2人きりなので、微かな不安はあったのですが、不妊に効くならば受けてみようと思いました。

先生は色んなツボを押さえながら、一つ一つ効果を説明してくださいました。
でもいくら服の上からとはいえ、押さえるツボが胸から下半身に集中していて、特に恥骨の上を触られた時は、どぎまぎしてしまいました。
そして今度は体全体が痺れるような感じになってきて、それがだんだん疼きに変わってきました。

私はほとんど体を動かすことが出来ず、先生の為すがままという状態でした。
そして、触診をするということで、下着姿にされてしまいました。
その時自分がどんな姿なのか、意識はしていましたが、抵抗する気力は起こりませんでした。
それよりもこの心地よさにもっと浸っていたい、とさえ思うようになっていました。

最初の間は、下着の上からの触診でしたが、その内ブラやショーツの中に手を潜り込ませ、陰毛に触れるか触れないかという辺りを、ツボを押さえる感じで触られました。
そして俯せに寝かされると、ブラのホックを外され、ショーツまでも引き下げられ始めたので、これにはさすがに体を捩って抵抗しようとしましたが、「オイルを塗りますから」と言いながら、とうとう足から抜き取られてしまいました。

私は全裸にされてしまった恥ずかしさと、感じている証拠の染みが、ショーツに付いているのを見られたのではないかと、顔が真っ赤になってしまいました。
しかし先生はそんなことは、気にも留めないような素振りで、全身にオイルを塗り始めました。

先生のマッサージで、全裸であることの恥ずかしさも忘れるほど、気持ちよくなってしまい、いつの間にか太股のマッサージを受けながら、先生の手で足を開かされてしまっていました。
先生の位置からなら、私の股間の全てが見られてしまったと思いましたが、足を閉じようにも痺れた感じで、動かすことが出来ませんでした。
そして私は先生に抱きかかえられるようにして、仰向けにされました。
私は慌てて前を手で隠したのですが、先生はその手をやんわりと退かせてしまいました。
とうとう先生に全てを見られてしまい、恥ずかしさに震えていました。
そんな私を落ち着かせるように、先生の優しい手が触っていきました。

先生は先程触れそうで触れなかった陰毛を、まるでここにもツボがあるような感じで、弄っていました。
でもそこから先には、なかなか進んで来ないのです。

その時の私は、早く触って欲しいとすら思うようになっていました。
そして、まるで先生を誘うように、自ら腰を突きだしていました。
私の仕草を見て先生の手は、ついにクリトリスを捉え、ぎゅっと摘まれてしまいました。

その時は頭の先まで電気が走り、たったそれだけでいってしまいました。
その後先生は白衣の前を肌蹴て、私の上にのし掛かってきました。
数え切れないくらいいかされてしまい、気が付いた時は先生の精液が流れ出していました。

それから約4ヶ月ほど、私は先生とセックスする為に、医院に通いました。
場所は医院の中だけでなく、先生の車の中や、ラブホテル、時には野外セックスもしました。
主人を裏切る行為なのは分かっていましたが、先生にマッサージされると、まるで催眠術にでもかかったように、先生とのセックスにのめり込んでしまいました。

そんな先生との関係を絶つ気になったのは、妊娠していることが分かったからです。
毎週のように続いた先生とのセックスでは、いつも中出しされ、1度会うと2,3回は射精を受けていたので、私の子宮はいつも先生の精子で満たされた状態でした。
ですから、まず間違いなく先生の子供を宿してしまったのです。
このことで、私は取り返しのつかないことをしてしまったと、初めて悟りました。

でも、諦めかけていた子供を妊娠し、たとえ不倫の末のことであっても、子供を堕ろすことは出来ませんでした。
私は心の底で主人に謝りながら、「あなたの子よ」と嘘をついて男の子を産みました。
子育てに追われながらも、ずいぶん悩みました。
そしてこの子を無事育て上げることで、主人に詫びるしかないと思いました。

それから2年後、2人目を妊娠したのです。
今度は100%主人の子供です。
私は主人がびっくりするほど、有頂天になって喜びました。
そして今は、しっかり2人の男の子の母親をしています。
今度は女の子が欲しいので、そろそろ頑張ろうかと思っています。
もちろん欲しいのは、主人と私の子です。

私の仕事・

私は・・そんなつもりはなかったのに・・
大学も出て、就職して、結婚して、子供も出来て・・・
普通の主婦をいつまでも続けている普通の女、だったはずです。
夫が浮気しなければ・・
夫が謝ればゆるしたのに・・
離婚しなければよかったのに・・
夫が養育費をちゃんと払ってくれれば良かったのに・・
何と言ってもこの病気のせいです。
こんなのが蔓延したので、パート収入は半減、明日のおかずは?
今日のおかずは?
私は羞恥心を売って生きています、それが今です。

色んなお客さんが来ます。
その中で、嫌いなタイプから書きますね。

一番嫌だったのがYの人、あれに何か・・真珠って言ってたけど、
入れていて、変にあたる、痛いだろう・・してないからわからない、
そんな自慢、嫌。
臭いやつ・・お風呂に入っているの?シャワーで強めに洗っても
匂いがする、そんなやつって精液も臭い。
ケチなやつ、お店の指定金額も値切り、サービスは要求するくせに
余計なお金は出さない。
それを纏めたようなやつの話しをさせて下さい。

次は優ちゃんね、と店長から言われ「はあい」と返事してホテルへ、
ドアが開いて、中には小学生?って思う位、小さい人、でも顔は
中年。
「宜しくお願いします、どのコースにされますか?」「お金があまり
ないんだ、一番安いコース」と言うので「40分〇円でいいですか」
と言うと「うん」との返事「では脱いで下さいシャワーして下さい」
と言うと服を脱ぎ始めました、服を脱ぐ都度、何か臭い、
全裸になったのでシャワーに行かせ私は下着姿、ちゃんと洗っている
のかしらと心配だったけど洗ってあげるコースでもないし、ベッドに
横になってもらうと立っている、でも、でも、小さい・・
小さくても構わないけど・・皮が・・私は絶対口では嫌だと思った
のですぐに手にローションをとると握りました、はく事は出来ました
でも、白いものが中についています、で、で、匂うみたい、
彼は「裸見せてよ」「口でしてくんないの?」と言ってます
後3千円と5千円ですが・・と言うと「お金は今ないから、この次
用意してくるから、お願い」と言うので「駄目です」と言うと、
いきなりブラの上からお乳を掴み、揉み始めた「やめて」と言うと
今度は足に手をかけショーツの脇から指を入れてきた「やめないと
人を呼ぶわよ、怖い人よ」と言うとやめた、でもあそこを触られた、
大人しくなったので少し強めに擦ると逝ってしまった、そして
精算になると足りない「足りません」と言うと「まけてよ」と言う
ので「わかりました、店の人を呼びますからね」と言うと渋々払った
最悪です、私は手の臭さが染みついているようで、店で強く洗い
ました。他にも嫌な客はいます、そんな人にあたった時はおうちで
子供が寝てから、お酒です。

好きなタイプも来ます。
お年は私が30なんですと言うと3つ上だよとの事。
身長もありスマートな体形で結構イケメンの部類、
洋服を脱ぐとお腹も出てないし、あれは普通かな、
私は下着の恰好でしたが彼の全裸を眺めながら洗いました、あそこに
手を寄せると、どんどん大きくなります「大きい・・」と言うと
「そうかなあ、普通だよ」と謙遜、肥大化率が良いのでしょう。
ベッドで全部見たいと言うので「別料金なのよ」と言うと3千円
出してきた、全裸になると「見せてね」と覗き込んで来ました、
私はタイプなんで、どこまでサービスしようか迷っていましたが、
彼が舌を出してクリトリスを舐め始めたので「それまでね」と言うと
「したい」と言ってきました「だめよ、お店に怒られる」と言うと
「内緒でだめ?」と1万出してきた、私は「この次から指名してくれれば・・」と言うと「絶対指名するから」と言われ、彼の舌を許した
彼は舐めるのが上手、小陰唇のうわべりを柔らかく舐め、舌を伸ばして膣口を探す・・中から温かいのが出てきそう・・
「来て」と言って手を引くと彼のものは私の性器にまっすぐ・・
入ったああ・・気持ちいい・・久しぶりい・・逝きそう。
彼の体を押して私から抜いてゴムをしてもらった、再度、押し。
膣を広げられような感覚・・いいいいい
私は彼の背中に捕まり、爪を立てる・・・いいいい
同時でした、仕事なのに・・逝ってしまった。あああ
服を着て彼のキスを受ける「絶対指名するからね」と言って、約束は守ってくれました、今、彼は2週間に一回は来てくれます、でも
彼には奥さんと子供さんが二人いるそうです、家庭は壊せません、
私とは遊びですね。
彼と仕事抜きでも会いました、食事してホテル、
一緒にお風呂に入り、触りあい、あちこちキスしまくり、
今日は安全日と告げると彼は大喜びでした、彼の先っぽが膨らみ、
奥に吹き付けてくる感触は最高です、私の声はどこまで聞こえたか、
続けて3回しました、私のあそこは彼の出したのと私から出てきた
ものでびしょびしょです、お風呂でお互いのを洗ってあげ、大きく
なった彼の物を口で又出させて飲み込み、彼の舌で私の飛び出た
小陰唇を吸い込んでもらい、又逝き・・・最高でした。

大変な事・・
私が勤めていた会社の同僚、そして元夫の友達。
順番で私がホテルへ、ドアの中に・・見た顔が・・私は何もいいませんでした、でも・・
「芦田さん?」って私の旧姓で言われました「違います」と言いましたが聞いてくれません「絶対芦田さんだ、貴女が結婚したあれの友達ですよ」とそこまで言われ「わかりました、芦田です、女の子を代わりますね」と言うと「いやああ、こんな所で芦田さんに会えるなんて
奇遇だ、あれとは別れたんだものね、もう自由だもんね」「代わりますから」と言うと「僕はお客さんですよ、貴女でお願いします」
「わかりました、でもみんなには内緒でお願いします、特にあれに」
と言うと「わかった、じゃあお願いします」と言われ進めました
彼は「僕、芦田さんの事、好きだったんだ、夢みたい」
下着姿を見られるのも嫌だったけど、何も考えないようにして、
その恰好でシャワー室、彼のを手に取るのも変だったけど彼のは
最高潮なんでしょう、ビクンビクンとした感じでした、ベッドで
「芦田さんの手で洗ってもらえるなんて・・」
私は何も言いません。
「芦田さん全部見せて」と言われ3千円出されました、私は・・
脱ぎました・・「綺麗だあ・・芦田さんのはだか・・まんこも・・」
私は足を閉じましたが彼は手で左右に引きます、少し抵抗しました
「みんなに言ってしまうかも」と言われ、足を開きました、そして
当然のように足の間に顔を寄せられ、覗きこみ「芦田さんのまんこ
いいなあ、いいなあ」といいながらやっぱり舌を伸ばして来ます、
「それまでです」と言うと「抱かせて・・したい、1枚でいいよね」
と言われ反論しませんでした。
ゴムをつけて先っぽをあてると「芦田さん、入れるよ」芦田さんと
言われる事が私を波打たせます、彼はゴムの上から唾を垂らして
押してきました、私はいつ、されても、いいようにあやちゃんの
アドバイスで膣の中に〇〇液を塗っていましたので、痛くもなく
スムーズに入りました、奥に着いた時「芦田さーん、いいよお」と
声を上げられ、私は逆に覚めてしまい、早く終わらせないとと思い
腰を持ち上げたりしました、そしてゴムに彼はたっぷりと出しました
「約束よ、誰にも言っちゃだめよ、もし約束破ったら・・」
「言わないよ、僕も子供もいるし」
そう約束して帰ってもらいました。
でも・・でも・・
次は・で

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