萌え体験談

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ヌード

熟年の刺激

去年の今頃です この時期になると孫だけが私共の家にやって来ます。
息子夫婦の一人息子翔太君 小2です。
妻は大喜びで毎日市民プールへ連れて行きます
     
当然妻も水着ですが 既に50歳 弛んだ身体に水着は少し私にはキツイです。
時々私も同行します 孫も可愛いですが 若いお母さん達の水着姿を見るのが目の保養です
市民プールですので 派手な水着のお母さんはいませんが 時々ビキニのお母さんもいて オオ~ラッキーと思ってしまいます。
     
日陰で孫と妻を見てると初老の男性が妻をじっと見ていました
その男性も孫らしきお子さんを遊ばせていました
     
気のせいかと思いましたが やはり妻へ視線を
流れるプールでその男性と妻が接近すると 男性は何やら妻に話し掛けていました
     
えっとする妻が 急に笑顔に 孫そっちのけで話し込んでいます
プールから上がり その男性と妻が私のとこへ
お父さん この方 同級生の 石川さんなの
     
詳しい経緯は省きます
それからは よくこのプールでお会いする事になりました
石川さん 三年前に奥様を亡くされていました 今は孫の相手が一番の楽しみだと言ってました
     
それからは石川さんと私は良い飲み友になっていました
石川さん酔うと下ネタを 奥さんの思い出話を聞かされました
四十を過ぎ 倦怠期を迎えると 奥さんに他人棒を与えたらしいです
     
信じ難い話だと思ってると これは秘密ですよと言いながら
押入れからアルバムを
どうぞと言って私に
最初はスナップ程度でした
おとなしそうな控えめな奥さん 特に美人でもありません
     
数枚めくると ドキっと7しました
何処かのベランダで全裸の奥さんと石川さんじゃ無い男性が並んでいます それも奥さんは男性の勃起したチンポをにこやかに握っているのです
奥さんの手の握りでその物の大きさが凄いのです
有にふた握り以上は有りそうでした。
     
喉がカラカラです
これは 凄いですね~
でしょう この人の持ち物は立派でしたよ女房もこの人にぞっこんでしたよ
     
へえ~嫉妬されたでしょう
はあ~でもそれがいいんです その嫉妬が刺激になるんです
女房も 始めは私を変態扱いしてましたが 回数を重ねて行くうち女房の方がのめり込んで行きましたよ
     
おいくつでしたか奥さん
最初が42でした 口説くのに2年掛かりました
失礼ですが 何人とお会いされたんですか
3人です まだまだ続けたかったんですが女房 体調崩してですね 残念です。
     
じゃご不自由でしょう奥様亡くされて
はあ~でも今は孫の成長が楽しみですよ
私は帰って今日の事を妻に言うか迷っていました
あの奥さんの握った巨根が忘れられませんでした
     
私も妻との夫婦生活はほとんど皆無でした アレが起たないからです
     
そこで私は妻と石川さんをと思う様になって行きました
あの秘蔵写真を見せてくれて以来 私は石川さんには何でも言える間柄になっていました
     
石川さんに全てを打ち明け 寝取ってくれても良いと言いました。
     
それからは何かと理由を付け妻を石川さんの元へ行かせたのです。
数ヵ月もするとやはり私の想像通リに運んで行ったのです
石川さんから今日は初めてキスを交わしましたと報告が
     
帰った妻はやはり私への後ろめたさからか目線を合わせません
酔に任せ妻に
石川さん あっちの方 不自由してんだろうな~と言うと
男性って一人で出来るんでしょう
     
五十過ぎてそれは無いよ
じゃどうすんの 風俗なの
行かないよ 俺達の歳じゃ
     
今度さ~行った時 ちょっと色気出してチンポでもしゃぶってやれよ
妻は少し怒った顔で 出来る訳ないでしょう 馬鹿ね~
心の中で 何 言ってやがるキスさせたくせに
     
私は石川さんに少し強引にとアドバイスしました
妻に用事を言い付け石川さん宅へ行かせました
料理をしてあげると言って出かけて行きました
     
午後から出て 帰宅は11時を過ぎていました
しっかり化粧したはずで下が素顔に近い顔で帰って来ました
     
急いで石川さんにメールをしました
石川さん ありがとうございましたと返信が
それで全てを理解できました
     
あの奥さんの他人棒写真を妻に見せたらしいのです
妻は驚き興奮したそうです
それにあの巨根に目を奪われとそうです
     
私は妻には知らない素振りを続けました 自ら告白を待っていましたが 言わなくても良いと思っていました。
     
石川さんは妻と関係した日は逐一報告してくれました
奥さん今日は来て直ぐチンポ咥えましたよ
下着はエッチなスケスケでしたとか
数回目まではコンドームを付けていたそうですが
妻 自ら生挿入を望んだらしいです。
     
関係が出来て半年でした
私は石川さんに あの巨根男性と妻をと持ち掛けてみました
石川さん 彼に連絡してみます それから奥さんのヌード写真を撮っていいですかと 彼に見せたいのでと聞いてきたので
よろしくとだけ書き返信しました。

取引先の社長に頼まれ妻がモデルに

私の妻は結婚5年目の31歳です。顔は童顔で背はそんなに高くありませんがかえってそ

れが幼さを増しているようで、いまだに街では独身に間違われよくナンパされています。

そんな妻をぜひモデルにしたいと取引先のk社長から話がありました。社長とは年に数回

ではありますが旅行などして家族ぐるみで付き合いがありました。社長はいわゆるアマチ

ュアカメラマンで風景を主に撮っていましたが今度女性を撮ってみたいとのことで、正直

私は戸惑いました。

以前から貞操感の強い妻を他の男の前で晒したい、他の男たちに抱かれるとどんな顔をす

るのか見てみたい・・そんな願望はありましたがいざ話しが来ると、どうしていいかわか

らなくなってしまいます。

そんな私の気持ちを見透かしてか社長は

「撮影の様子は隣の部屋から覗けるんだけど・・見てみる?」

まさに悪魔の誘惑です。私は即座に

「お願いします。でも妻にはヌードとは言えません・・それでもいいですか?」

「奥さんには嘘でも何でもついてモデルの件を承諾してもらってください。あとは何とで

もなりますよ。」

「奥様のOkが出たら気の変わらないうちに撮影に入りますからそのつもりで・・」

その夜小学1年生の長男を寝かしつけた妻に今日のモデルの件を話しました。

「kさん今度女性を撮るみたいだよ」

「ふ?ん」

「それである人にモデル頼みたいってお願いされちゃった」

「へ?」

雑誌を読んでる妻はまったく興味がないと言った感じで相槌を打っています。

「モデルって君だよ」

「・・・・」

「え!?私?」

「そう、君。なんでも向こうの奥さんが君じゃないと女性を撮っちゃダメだって、結構

嫉妬深いよね。」

「でも、ヌードじゃないよね?」

「うん、顔だけでもいいって言ってたし、モデル代も出るってよ・・いやなら断ろう

か?」

妻はしばらく考えていましたが、

「ヌードじゃないならいいよね。モデル代私がもらっていいんだよね。欲しいバックあ

ったし・・」

意外にも妻はOKを出しました。普段から隙を見せない妻がモデルをやるなんて・・・

そのときからすでに私は興奮状態でした。

撮影は日曜日のお昼過ぎに行われました。子供は友達の所に遊びに行き、私も妻にはパ

チンコに行ってくると嘘を付き妻よりあとから社長宅に行きました。社長宅には奥さん

もおらず社長と家内が応接室で撮影を始めてました。私は兼ねてからの打ち合わせどう

りに隣の札のかかってる部屋に入りました。そこは4畳半程度の薄暗い部屋で椅子と壁

にカーテンがかかっていました。そしてカーテンをそっと開けるとそこはマジックミラ

ーになっていて撮影風景画丸見えでした。

応接室の中は妻と社長の2人きり。マジックミラーからは妻がちょうど真正面に見える位置

で撮影は行われています。

「やはり恵美さんをモデルにして正解でしたよ」

「モデルがいいとやる気がでます」

妻を褒めちぎる社長の声とシャッターを切る音がBGMと一緒に聞こえます。

妻はというと少し顔を紅潮させ、ギコチない動きではありますが社長の要求に答えようと一

生懸命ポーズを決めています。

妻が撮影になれるにしたがって社長の要求は少しづつ大胆になっていきます。

「ね、ブラだけとっちゃおうか・・シャツ着てるし大丈夫だよね。」

「え?、恥ずかしいです」

「別にヌードじゃないんだから大丈夫だって」

もともと押しに弱い妻は後ろを振り向くとブラのホックをはずし、シャツを着ている中から

フラだけをとると部屋の隅のバックの下に隠しました。

Cカップの妻の乳房は明らかに乳首が立っており、シャツの上からもそれがすぐわかりまし

た。

「恵美さん、少し胸を出して・・胸を張るように・・」

「はい・・」

妻は消え入りそうな小さな声で答えます。

「恵美さん、綺麗なバストしてますね。服の上からも判りますよ・・」

「あれ、興奮してますか?乳首が勃ってますね」

「そ、そんなことないです」

「いいんですよ、私は本当の恵美さんを見たいだけですから・・そんな恥ずかしがらずに」

「さ、シャツのボタン3つはずしてみましょうか」

妻は「いや・・」といったもののボタンをはずし四つんばいのポーズをとっています。その

隙間からはまだ張りのある乳房が露になっています。それは私のミラー越しにも確認できま

した。

飴と鞭ではないですが、褒め言葉ときわどい要求で妻は次々とポーズをとらされ次第に社長

の言いなりになっています。

最後には床に腰をおとしM字の足を拡げ、腰をくねらせています。しかも両手が体を支える

ため後ろについてるため、バストは丸見え状態です。

そのとき今まで撮影をいていた社長がカメラをおいて妻に覆い被さりました。突然のことに

妻は「え?」と短く声を発しましたが、その口もK社長の唇が塞いでしまい部屋のはBGM

の音だけが響いていました。

K社長の舌がねちっこく妻の口の中に出入りしています。始めは口を閉じようと抵抗してい

た妻ですが次第に舌を差し出すようになっていました。そして社長の右手は妻の張りのはる

乳房を容赦なく揉みしだいています。

「ん・・あ・・・」

BGMも終り妻のくぐもった声だけが聞こえます。

一瞬社長がこちらを見てニヤッと笑った気がしましたが、私は激しい興奮で既にやめて欲し

いとは思わなくなっていました。

「Kさん、やめて・・・」

長いキスのあと妻はやっと出したような小さな声で言いました。

「恵美さんのココはそんな風じゃないんだけどな」

妻のオマンコに指を差し込んだようで、妻は小さなうめき声と体をのけぞらせて再び身を委

ねています。

「もっと恥ずかしいことしないと声でないかな?」

言うか言わないかのうちに社長は愛撫をやめスッと立ち上がると妻の髪をわしづかみにし、

引きずるように鏡の前に連れてきました。この次点で妻は何も身に着けていません。

「いや・・こんなのイヤ」

鏡の前で妻は鏡に押し付けられるようにされ右手では乳房を左ではクリトリスを愛撫してい

ます。

「ああ・・いい。気持ちいい」

「・・もっとして」

遂に妻が自分から社長を誘っています。私はめまいがするほどの興奮を覚え、遂には目の前

で犯されている妻を見ながらオナニーを始めました。

完全に妻の様子はイッてる感じでSEXに没頭するメスです。社長が妻を結合部分が見える

ように床に寝せいよいよ他人のペニスを受けいるときがきました。

「恵美さん・・さあ、何が欲しいか言ってごらん」

「ああ・・変になりそう」

「さあ・・」

「Kさんの・・オ・・チンチンを・・はめてください」

「ご主人に悪いな・・ばれたらどうしよう?」

「主人の・・ことは言わないで・・」

「いきたいの。お願い」

少しの沈黙の後妻のあえぎ声が大きくなりました。

ゴムはつけていないようです。

「すごい・・気持ちいい」

悶え狂う妻はうわごとのようにつぶやいています。妻のオマンコははちきれんばかりに広が

って社長のペニスを受け入れています。その愛液は既に白く泡立っており、奥から引き抜く

たびに際限なく出てきてます。

やがて妻が絶頂を迎えるのか背中に手を廻し足を絡めてしがみ付いています。

「恵美さん・・イキますよ」

「あああ」妻はもう声になっていません。

「中に出しますね」

今まで激しく動いていた2人が急に止まったかと思うと妻は痙攣をはじめ、社長は子宮の奥

に射精しようとしているのかペニスを奥に奥にと突き上げています。

絶頂が収まると社長はペニスを引き抜きました。真っ赤にパックリと開いた妻のオマンコか

らは真っ白い大量の精子があふれ落ちてきました。それを見た瞬間私もイキました。

私はしばらく呆然としていましたが妻が再び社長にキスをしていました。理性がなくなった

妻は2度目のSEXに突入しました。私は耐え切れなくなり部屋をでて先に家に帰りました。

妻はその日の夜8時頃帰ってきました。帰宅予定を2時間も過ぎていましたがその表情は明

るくSEXした素振りも見せません。

「モデルどうだった?」私はこう聞くのがやっとでした。

「楽勝だよ。また撮影あるんだけど行ってもいいかな・・」

「・・・いいよ」

「ありがと・・」少しだけ表情が曇ったような気がします。

そのとき社長から電話が来ました。

「全部見たかい?」

「・・・ええ」

「恵美さんはまたしたいって言ってるんだけど君はどうする?」

正直迷いましたが、妻を抱かれている時の興奮が今まで体験したことがないほどのものでし

た。それを知ってしまったのです。

「・・・よろしくお願いします」

私は妻を社長の愛人として差し出してしまい、断るタイミグすらも自分の欲望で放棄してし

まいました。

それから妻は毎週末モデルという名目で私以外の男に抱かれに行ってます。社長からは妻と

のSEXを映したビデオが会社宛に送られてくるようになりました。

妻は以前にも増して綺麗になりましたが、私とのSEXは拒むようになりこの先が不安です。

実際にあった話を小説風にまとめた

私が金融業を営んでいた時に実際にあった話を小説風に書いてみた。
実業家のT子が来社したのは、私と知り合いだった親の死から2年ほどが経過した時だった。
親の企業を引き継いだが、やはり資金繰りがうまくいかなかったようだ。
’以前、父が大変お世話になりました。’と礼を述べた後、返金の猶予願いを受けた。
’お宅との付き合いは長いので何とかしてあげたいが、こちらも商売なのでね~’
長いやり取りの後、
’一つ考えられなくもない手がある。T子君、君のヌードを私に見せてくれたら考えなくもない。’
’何ですって?会長さん・・・そ、そんなことできるわけありません’
T子は怒った表情で、あわてて席を立ちあがった。
’今、返事をもらう気はない。帰って考えてもらって可能なら来て欲しい。無理強いはせんよ。’

私は人脈を使い、T子と面識がある人物を当たった結果、江藤(仮名)に行き当たった。
’会長、俺知ってますよ。俺と同期で同じ会社に入社したが、
一流大学を出たT子の出世が早く、俺の上司になったんだよ。
頭が良くで美貌なので男性陣に人気があり、俺も何回もアタックしたが、簡単に断られた。
父親が亡くなったということで、家業を継ぐため退職したんだ。今、31歳か32歳だと思うよ’
’そうか、江藤君。君に一つ頼みがある’

'数日後、T子が再び来社した。
'決心がついたかね。心配するな、何も君が初めてじゃない。
こういう仕事をしていると良くあることなんだよ。老人の楽しみの一つと思ってくれ。’
正対するとほのかに良い香りがして、知性を伴ったその美貌にドギマキした。
白いノースリーブのサマーセーターの胸の部分が隆起している。
この中身を後で生で見れると思うとそれだけで体がゾクゾクしてくるのを感じた。
’本当に1カ月の支払い延長をお約束していただけるのですね。’
’ああ約束しよう。見るだけでだ。手出しなど絶対にせん。
ちゃんと立会人も付けた’私は応接室へのドアを開けながら言った。
'部屋に入ったT子は、
'な、何で江藤君がいるの!!’と悲鳴にも似た声を発した。
’T子君と私を両方知っている人物だからだよ。いわば公平な立会人だ。’
’出て行って頂戴!、お願いだから出て行って!!’
T子は焦ったように叫んだ。
’そうはいかないよ、俺は会長から依頼されてわざわざスケジュールを空けて来たんだ。’
’2人とも卑怯よ!!’
’何と言われてもいいね。俺はT子のスッポンポンを見れればそれで満足だ’
’な、何ですって!’
T子は真っ赤な顔をして明らかに狼狽していた。

'言い争っていても時間が経つだけだ。そろそろ始めてもらおうか。’
’ここで?こ、こんなに明るいところで脱ぐの?無理よ!!’
しかも忌み嫌った元同僚がいる前で脱ぐのだから、その屈辱は大変なことは想像がついた。
’江藤君、恥を知りなさい、恥を!’T子は応接間の中央に立ち動揺していた。
’できないなら別にいいぞ。こちらとしては痛くも痒くもないんだ’
’く、悔しい・・・’

'T子は長い間、沈黙した。そしてやっとのことで決心がついたようだ。
おもむろにサマーセーターに手をかけ首からそれを抜き取った。
そして、薄い花柄のヒラヒラのロングスカートのジッパーに手をかけた。
成熟した女性のスカートのなかみを見れると思うと、私は年甲斐もなく興奮を覚えた。
ついにスカートが脚から降ろされ、下着姿だけになり、匂い立つような女体が出現した。
’ほお~、いつも外見から想像していたT子のパンティーが生で見れるとは’
'こ、これでいいかしら、もう充分でしょう。女性を辱めるのもいいかげんにして頂戴!’
’ダメだね。それでは約束が違う。ヌードとセミヌードは違うぞ。それはセミヌードだ’
’これ以上は無理よ。次脱いだら見えてしまうじゃない’
T子は狼狽えて、必死に抵抗を試みた。
’江藤君、お願いだから出て行って!’
’なんど言わせるんだ。俺は会長に依頼されているんだ。最後まで確認する義務がある’
’くっ・・・’T子は手で下着を押さえながら、うつ向いた’
’T子君、私も忙しい身なんだ。下着姿を長時間さらすほうが恥ずかしいのではないか’

長い沈黙の後、
’わかったわ、脱ぎます。2人とも、恥を知りなさい!’
T子は手で押さえながらブラジャーを慎重に抜き取った。片手では隠し切れない胸が露わになった。
’では、いよいよ最後の1枚を脱いでもらおう’
T子は片手で隠しながら降ろそうと試みたが直ぐに無理なのをさとったようだ。
後ろ向きになり、両手でパンティーに指をかけた。
’く、悔しい・・・’
パンティーをゆっくりと降ろして足から抜き取った。
顔を埋めたくなるような大きくて柔らかそうなお尻が2人の目にさらされた。
さすがの私も江藤も興奮を抑えられなかった。
左手で胸を右手で陰部を押さえて、顔を下に向けてこちらに向き直った。
’全部脱いだわ。これでいいでしょう。お約束は果たしたわよね’
’往生際が悪い女だな。それじゃ見えないだろう。
俺は全部みたいんだよ、全部!それでは手からハミ出しているマン毛しか見えない。
T子はあわてて足を交差させ陰部を隠した。
’そうだよ、T子君、それで私が了承すると思っているのか?’

T子は断末魔のような声で、
’わかったわ、お見せするわ、お見せすればいいんでしょう’
T子は隠していた両手を下に降ろした。
'こ、これでいいかしら?これでご満足よね?’
真っ赤な顔をして、こちらをキッと見据えて、ついにT子は男性の前で生まれたままの姿になった。
’ほお~、これは凄い’男二人は感嘆の声を上げた。
まさにロケットオッパイという表現がふさわしい。大きな胸の先端に、やや大きく、濃いピンク色した乳首が上を向いていた。腰はくびれて、下腹部は丸みを帯び、ふさふさしたマン毛が陰部を隠していた。
T子は開き直ったのか、隠すこともせず、
’会長さん、これでいいでしょう。江藤君、元上司の私の裸を見れて満足?’
’いや、まだだね、肝心のT子のオマンコが良く見えない。大きく足を広げて見せてくれんか’
’T子君、これが最後だ。T子君の秘部を見せてくれないか’
開き直っていたT子は一瞬表情を曇らせたが、観念したのか、
立ったまま徐々に足を大きく広げて大の字のようになった。
2人は接近して、見上げるようにマンコを凝視した。
’そんなに近づかないで’
白い肌と違って、そこはくすんだピンク色をしていてるが気品のあるマンコだった。
'ビラビラがあまりはみ出してねえな。おいT子、お豆が大きくなっていないか?’
T子は真っ赤な顔をして、’そ、そんなにじっくり見ないで!!’
男2人は、前後左右に移動して、四方八方から素人のフルヌードを堪能した。

’会長!見てください。これ濡れてますよね。おい、おい、T子、濡れてきてるぞ!’
私の目にも、濡れているのがはっきりとわかった。
T子は狼狽えて、
’うそっ!、うそよ!、恥ずかしい。ダメダメ、見ないで。は、恥ずかしい。’
どうやら、T子君は、この異常なシチュエーションの中、男性に見られて感じてしまっているようだった。
見られるだけで濡れる女性は多いと聞くが、T子もその一人だったようだ。
女汁は太ももの方まで垂れて来た。それは否定などできない量に達していた。

女ざかりの素人の女体を心行くまで堪能した鑑賞会は、約束通りそれで終了となった。

自分の妻や娘に客人相手の性的奉仕をさせていた昔の日本の習慣

    
それどころか、古代の部族社会では奥さんや娘をして客人に性的奉仕をさせていた習慣があった。
アルバニアの山岳地帯やアリューシャン列島など比較的近い時代まで古い時代の習慣が残っていた地域で記録されている。
      
日本は、性風俗に対してとても寛容な国であった。
また、性風俗に寛容なので、風呂屋は男女混浴が基本。
だから、女の裸には価値がない。
売春もない。
それが昔の日本だった。
江戸時代の絵にヌードが少ないのは、価値が無かったからである。
芸能人の中にも、過去の体験を正直に話す方が居て、コメディアンの加藤○さんもその一人。
童貞消失は、8歳の時で、お相手は親戚の12歳だったとか。
子供だけ4人(男女2名づつ)で冬のコタツにあたっていたら、向こうから求めてきたとか。
地域は東北。
      
売春は、最古の職業と言われているが、それは西洋の野獣の国のお話。
古来日本には、売春など無かった。
日本で売春が始まったのは、人工都市、江戸が誕生してから。
人工都市ゆえ、男だらけの都市になってしまったからである。
      
一番傑作なのは、古代日本における縄文人と弥生人の出会いだ。
古代日本の先住民は縄文だったが、そこに農耕文化を持った弥生人が攻めて来た。
当然、戦闘となったのだが、戦いは短期で終わり、縄文と弥生の共存が始まった。
西欧では、異民族の流入=弱い民族の絶滅、で終わるが、日本だけが共存の道を進んだのだ。
      
何故だろうか? 縄文人は性に寛容だったからである。
夜這い=妻問い婚は、縄文の風習である。
敵の弥生人は縄文人の性のパワーに懐柔されて、共存の道を歩んだのである。
      
西欧では、ロミオとジュリエットは悲劇で終わるが、日本ではロミオとジュリエットがセックスして、共存共栄を始めたのだ。
      
同じ事がポリネシアの国々でも起きていた。
コロンブスの時代、インカなどの国々が滅亡する中、なぜかタヒチやハワイが生き残った。
理由は日本と同様で、性に開放的だったからである。
近世では、画家のゴーギャンがタヒチでの記録を残しているので、読んで欲しい。
      

私は男性の裸を見てもなんとも思いません

私は男性の裸を見てもなんとも思いません。
うちの家は母と私以外男なので、家では私達が合わせています。
父が男兄弟の中で育っているので、家でパンツ一丁でいても平気です。
風呂上がりは裸のま ま出てきます。
兄達もそれが普通だと思っていて同じことをします。
物心つく前からこうなので、同年代の体や男性のヌード写真を見ても全く何も感じません。
むしろ、服着ている方がドキドキします。
最近ではわざわざ目をそらすのも馬鹿らしくなってきました。
姉妹しかいない友人に話したらおかしいと言われました。
私はまだ、付き合ったこともないのにおかしいですかね。
こんな家庭はうちだけですか?

私の性的体験記(3)高校生の頃

中学時代から大学時代まで過ごした都心の官舎は、表通りから直角に伸びた路地の突き当りにあり、木戸をくぐった先に塀に囲まれて南北に3棟の一戸建ての家があった。我が家はその中央で、北隣に佐藤さんという家族が住んでいた。官舎であったので、父の勤め先の同僚の家族であり、家族ぐるみの付き合いがあった。小さの男子が二人おり、お兄ちゃんは弘之といった。13歳年下であった。母が子ども好きということもあり、よく家に遊びに来ていた。時には一緒に風呂にも入っていたので、弘之は母の全裸姿は既に見知っていた。

ある日のこと、何時ものように弘之が遊びに来て、母親と一緒に過ごしていた。高校2年の夏休みであったので、弘之が確か4歳の時のことである。私は自室で夏休みの宿題をこなすために、机に向かっていた。と、母がトイレに立ったのが気配で分かった。そして、それは時間的に丁度トイレに入って母がしゃがんだ位の絶妙のタイミングであった。弘之の
「小母ちゃん、おしっこ。」
という声が聞こえ、弘之が足音高らかにトイレへと突進した。不用心な母は、トイレの戸は閉めていたものの、何時もながらに内鍵を閉めていなかった様子であった。そのためトイレをの戸は容易に子供の手で開き放たれた様子である。自分にも経験があることであるが、子ども心に大人の女性が尻を丸出しにして小用をしている姿、「大人のマンコ」というよりは、「大人の女が尻を丸出しにしてオシッコをしている姿が見たい」という要求、言わば小児性欲が弘之を突き上げ、そういった行動に駆り立てたようだ。そして次の弘之が放った言葉は更に衝撃的であった。
「あれ、小母ちゃん、うんこしているの?」
そう、母は例によって急に便意を催してトイレに駆け込み、正に脱糞中であったようだ。母は
「弘ちゃん、戸を閉めて」
と声掛けをしたが、弘之は戸の外から母の脱糞を眺めるのではなく、大胆にトイレに入り込み、そのままその場にしゃがみ込んで、間近から母の脱糞を覗き込んだ。
「弘ちゃん、いい子だからドア閉めて」
母の声が虚しく聞こえる。私は足音を消してトイレに近づき様子を窺った。すっかりトイレに入り込んだ弘之は、屈んで顔を母の尻の近くに近づけ、ちょっと見上げるような感じで母の陰部を覗き込んでいた。距離にすれば20・もなかったかも知れない。それは彼にとっては、私の覗き穴以上に正に特等席であった。

そのころ頻繁に母の脱糞や排尿を覗き見していた私は、自分の行為が頭をよぎり、せっかく偶然が作り上げたと思われる弘之にとっては絶好の機会を生かして、弘之にたっぷり大人の女性、それも彼が良く知っている小母ちゃんである母の、脱糞の様子を見せて楽しませてやることにした。そして聞こえてくるやり取りに聞き耳を立てた。ドアの小穴から覗く私と違って、トイレの中に堂々と入り込み、しゃがんだ弘之には脱糞を続ける母の肛門は目の前にあり、更に排尿しているマンコもしっかりと見えている筈である。その様子を確認して、私はまた足音を消して自分の部屋に戻った。

下剤のせいで、私にも聞こえる程、ブリブリブリっと音を立てながら、母の脱糞は止まらない。音だけは私にも妙にはっきりと聞こえた。母は否応なしに、弘之の眼前に丸出しの尻を曝しながら、弘之に間近から覗き込まれていることを知りつつ、自らの脱糞を見せ続けるしかなかった。顔見知りの小母ちゃんである母が、大人のマンコも尻の穴も目の前で丸出しにし、脱糞を次から次へと見せている。それを間近から見上げる弘之・・・やがて是非もなく、恥ずかしい脱糞ショーと生マンコ丸見え排尿ショーを弘之にすっかり披露してしまった母は、出すものを出し終わり、陰部の始末をすると、トイレを流し、下着を上げて一段高い舞台から降りた様子であった。ところが、弘之は一呼吸早く、トイレから居間へと駆けって戻って行った。
「弘ちゃん、おしっこでしょ。お便所に来なさい。」
と声をかける母。弘之は一言、
「もう出ない!」

ハッとした。・・・最初から弘之には尿意などはなく、弘之にしてみれば確信犯的に母がトイレで尻を出し、排尿する姿を見ようとした行為であったことをその時私は知った。ところが弘之にとっては幸運にもというべきか、より長時間丸出しになった母の生尻を間近から覗き込むことが出来、しかも大人の女性が肛門から大量の便を放り出す姿を間近で見て楽しむことになった訳である。

弘之の幼いながらも、とっさに行動に移したその悪だくみを理解した私は、母に代わって彼に仕返しすることを思い立った。その方法は、逆に弘之の母親の陰部を私も覗き見してやることであった。本当のことを言えば弘之の母親、智恵子を昏睡させ、無抵抗状態でマンコを丸出しにして観察した上で浣腸でもしてやりたいぐらいの気分だった。

その後、弘之の母親、智恵子のできれば、トイレ姿を覗き見しようと何回か試みたが、いくつかの試みは失敗に終わり、私は方法を変更することにした。佐藤さんの家は、家の建て増し部分を除けば私の家と基本的には同じ間取りであった。居間に使用している部屋の縁側に面したテラス窓風の戸はガラス戸で、そのうち1枚のは本来刷りガラスである筈が、佐藤家のそれは透明のガラスに代わっていた。おそらく破損した際に、より安いこのガラスになったのであろう。雨戸は板戸、加えてカーテンをつけていなかった。そこで雨戸に錐で覗き穴をあけた。入浴時智恵子は雨戸を閉め居間で脱衣する筈であった。佐藤さんのご主人が出張の晩、私は庭に入り込み、縁側に座り、智恵子が裸になるのを待った。時が来て智恵子は私に覗かれていることも知らず目の前で、明るい室内灯のもとストリップショーを演じてくれた。細身の智恵子は、既に弘之と弟君の二人の子どもを、マンコから抜いており、乳は三日月形に垂れ下がり、手入れをしているようには見えない陰毛は、女の陰裂を覆い隠し、女の割れ目は見ることもできない。お世辞にも豊満とは言えない身体つきであった。

次に私は覗きのポイントを勝手口の鍵穴に変更した。今ではアンティークとなった勝手口のカギには、大きな鍵穴があり、格好の覗き穴であった。鍵穴から覗くとそこから右は台所であり、左は浴室の入り口、正面が居間へ続く出入り口であった。脱衣場はなく、ちょうど勝手口の前が、脱衣所代わりに使われる区間であった。そこで覗く智恵子は、くたびれた感じの熟女の身体であったが、顔見知りの10歳ほど年上の女性の全裸姿にはそれなりに興奮し、私はチンポを扱きながら覗き続けた。

何回か覗きを繰り返したある日のことである。その日一人で入浴を終えた智恵子は居間に直ぐには戻らず、隣接する台所で身体を拭き始めた。こちらに尻を向けながらである。と、前かがみになった瞬間に、智恵子の股間、即ちマンコの陰裂と肛門が目の前に開示された。陰毛が陰裂を隠していたのは前から見た時だけの話で、後ろから見ると大陰唇部の陰毛はそれほど密ではなく、小陰唇のはみ出しもない綺麗な筋マンが見て取れた。無意識とは言え、智恵子が自ら自分の陰部を私に披露したのであった。

鍵穴と言えば、佐藤家は一家で埼玉にあった奥さんの実家へ泊りがけで出かける時など、玄関の鍵を、外に置いてある二槽式の洗濯機の脱水機内に置いていくことを知っていた。そのカギを使って留守中に家に上がり込み、箪笥の引き出しにしまってある智恵子の穿き古したパンティー、洗濯しても落ちきれない染みをクロッチ部にはっきり残った生活感があるパンティーを眺めたり、時としてまとめて置いてあった洗濯前の臭い付きの汚れたパンティーを入念に点検したりもした。こうして、私なりの弘之に対する仕返しは完了した。

次に思いついたのは、同じ方法で、南側の隣家、中田家の奥さん、止子の全裸姿を鑑賞できるであろうという事実であった。これも見事に成功し、思い立ってすぐに顔見知りの奥さんお全裸姿を楽しめた。止子も弘之より1歳年下の男の子を既にマンコから抜いていたが、智恵子よりは年上であった。鍵穴から覗いた止子の裸体は、肉付きの良い中年婦人のそれであり、乳も垂れてはいなかった。今思えば私の家内によく似た体形で、私好みであった。子どもが寝静まった時間帯での入浴後、全裸で居間に移動した止子は、明るい照明の下で、ご主人に裸体を見せるヌードショーの踊り子がごとく振る舞い、私もその私的なヌードショーのご相伴にあずかった。・・・続く。

私の性的体験記(11)社会人‐小学校の運動会

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毎年9月の最終日曜日には娘が通っていた小学校の運動会があった。この日だけは大勢の父兄が駆け付け非常な賑わいである。当然トイレの利用者は多い。学校のことで当然のことながら男女別のトイレである。ところが1っか所だけ、これは普段はあまり使われていそうもない校舎の外れの位置にあるトイレであり、上履きに履き替える必要がない上に、男女兼用で、父兄に公開されていた。つまり誰にも怪しまれることなく出入りができる訳である。片側の壁に男性の小用の便器が幾つかあり、反対の窓側に和式の個室が4つ直列に並んでいた。北側とは言え、何れも窓に面していたので採光状態も申し分がなかった。早速前から2つ目の個室に尾籠(おこもり)と洒落るのが、毎年の習いであった。

ある年のこと、その日の最初のお客さんは、子どものお祖母ちゃんという感じの年配の女性で、全くの無警戒で大股開きで、生マンコと排尿をご披露してくれた。陰毛の白髪からかなり年配の女性であったが、使い込んだことによる黒ずみや形の崩れがなく、極めてお上品なマンコの持ち主であった。その後、待ちくたびれることもなく、次々と来るお客には事欠かず、お母様たちが立ち代わり、私のために(?)にマンコを見せにやって来る。確率良く3番目の個室を利用する人が多く、素人の中年女性、人妻のマンコが正に見放題であった。本当に良き時代であった。履物から、生マンコ排尿ショーを演じる「踊り子さん」が中年女性ということがわかり、顔までは確認できなかったが、マンコの持ち主を想像するのも楽しかった。

小学校のこと故、中には可愛らしいマンコや尻の穴を見せてくれる女の子もおり、大人のマンコ見に来ている私には物足りない場面もあったが、それは小休止の時間のようなものであった。高学年になると陰毛がまだ十分に生えていないにも拘わらず、大人の様に形の崩れたマンコを持つ子もおり、正に多様であった。

中には、着衣から明らかに同一人物と分かるお母さんが、最初3番目の個室で生マンコ放尿ショーを一度見せてくれた後、時間をおいて次に1番目の個室で脱糞ショーをご披露下さったというようなこともあった。このお母さんは2回目の時は、後ろから覗き見る私の前で、最初より腰を高く上げ、尻の穴とマンコが良く見える状態で放尿し、次に時間をかけて、尻の穴を膨らませ脱糞をご披露下さった。おまけにこれまたよく見えるパンティーのクロッチ部を黄色く汚している様子まで手に取るように分かり、生活感にあふれているというか、実に生々しかった。なぜ腰を高く上げて陰部を曝したのかはよく分からなかったが、ことによったら彼女もこのトイレの構造をよく理解していて、後ろから覗かれることを期待して、恥ずかしい姿を見て欲しく、陰部公開排泄ショーを演じていたのかも知れないとすら思えた。

何人かの素人の奥さんたちのマンコや尻の穴を間近に見て楽しんだ後、その時は突然にやって来た。新しい奥さん(中年と思われる女性)が後ろの個室に入ってきた。それは最初は私にしてみれば、私の目の前でパンティーを自から下して股を開き、丸出しにしたマンコを前側から見せながら排尿ショーを見せてくれるだけの一人の素人の奥さん、特別ヌードショーの踊り子さんに過ぎない筈であった。しかし、便器をまたぐ両足の姿・・・ストッキングと履物を見た時、私は興奮に舞い上がった。その新しく私にマンコ視姦をさせてくれることになる後ろの個室に入ってきた女性が、なんと母だと確信したからである。都心の官舎での7年間、更には箱根の保養所の努力、何れも水泡に帰してきた母の生マンコと排尿を前からの観察することが、偶然ながら実にあっけなく、実現する瞬間が来たのだった。母の脱糞を初めて覗き見してから16余年経過しており、やっと実現した母のマンコを間近から直に見る瞬間がきたのであった。

個室の仕切りの下にある隙間から手鏡を使って覗き込む私からは、はっきりとその全身像は見えないが、便器をまたいだ母はスカートをたくし上げ、パンストとパンティを摺り下す衣擦れの音をさせ、直ぐに腰を沈めて来た。、私の目の前で股を大きく開き、丸出しにした生マンコを今やはっきりと正面から見せてくれたのである。子どもの頃、入浴時に正面から見た母のマンコは陰毛に隠れて女の割れ目を見せることはなかったが、今は当時に比べて陰毛は若干薄くなり、はっきりと陰裂を見せてくれていた。ご披露頂いた母のマンコは洋子のような小陰唇のはみ出しもなく、陰毛が残ってはいたが、まるで少女のようなマンコで、とても綺麗な陰裂であり、とても66歳とは思えない若々しく上品なマンコであった。迸る小水、私はすっかり見入ってしまった。惜しむらくはこの時母は脱糞はしてくれなかった・・・してくれていれば、もっとゆっくりと時間をかけてマンコ見が出来たのにとは思うが・・・それでも十分過ぎる一時であった。

余談ながら、 晩年母が介護状態になった時に、母のマンコを間近で垣間見る機会が何回か訪れた。オムツをしていた母のオムツ交換の折に近くから目にしたものである。この頃には、歳とともに薄くなった母の陰毛は、既にパイパン状態で脚を閉じていても、陰裂をはっきり見せ、それは色素の著色もなく少女のようなマンコであった。

眠りが浅く昔から睡眠薬を常用していた母であったので、今になっては叶わぬことながら、実は熟睡時にチャンスがあれば、母に対してやってみたかったことが幾つかあった。
それは下着を脱がせて;
・ 割れ目を開いて長年一緒に暮らした母の膣口や尿道口を直に観察し、合わせてマンコ丸出しの姿やマンコを開いて中を撮影すること。
・ 自分の指を母の膣内に挿入して、その感触を指先で確かめること。
・ 母のマンコを存分に舐めあげ、陰核を剥いて撫でたり舐めたり、更には膣口に舌を挿入してその味をみること。
・ 自分のチンポを生でマンコに嵌めて、時間をかけて抽挿して自分のチンポで母のマンコの感触を味見をすること。
等々、妄想は次々と広まった。母が昏睡るようなことがあり、夜中に一人で付き添っていれば、それを実行してしまったかも知れない・・・現実には母はあっけなく他界してしまって、この妄想を実行する機会はなかったが、もしその様な状況があったならば、私はこれらを実行に移し、母を犯していたことであろう。…続く。

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思ってもいなかった野球拳

主人は、中小企業に勤務するサラリーマンですが、数年前に些細なミスから会社にかなりな損害を与えてしまいました。
気落ちしていたところに、会社から慰労旅行の案内が来ました。
簡単に言うと主人を励まし、会社として一致団結して再出発するいう内容です。宴会が苦手な主人は、尻込みしていましたが、私が’会社に迷惑をかけたのだから、行かなくちゃダメよ。私も行くから’と説得して参加のはこびとなりました。私達は社内結婚で私も以前働いていた会社なのです。
温泉旅館に着いて、お風呂に入った後、宴会が始まりました。
この旅行の参加者は、社長夫妻、営業課長夫妻、私の元同僚で同期の男性社員、主人の男友達の社員1名の計9名、皆顔見知りです。

お酒がかなり入ったところで、
営業課長が立ち上がり、’本日の催し物を行いま~す’と言って音響設備を持ったコンパニオンを連れて来ました。
音響のスイッチを入れると、あの野球拳の歌が流れてきたのです。
トップバッターは社長とコンパニオンが指名されました。社長は、下着、浴衣2枚に対して、コンパニオンは和服を着込んでいました。案の定、社長が負けて ’裸一貫、本気でがんばるぞー’とか言いながら、全裸になってしまいました。

営業課長が ’次は社長夫人とK君(私の夫)お願いします。’
社長夫人は私より少し年上の30歳後半?当然尻込みする思ったら、ハイテンションで立ち上がるではありませんか。
最初は主人が勝ち、夫人が浴衣を脱ぎ、黒い下着姿になった時は、歓声が上がりましたが、その後は主人の連敗で、
’俺が裸から出直してるのにお前が脱げないのか’との社長の喝で、しぶしぶと裸になりました。

営業課長が再び立ち上がり ’男性ヌードばかりではつまらない(一同笑い)。今度は私とSさん(私)で勝負だ!’ 
私は動揺し、顔が真っ赤になりました。’私はちょっと無理です。本当に無理です’
元同期のBが ’場をシラケさせるなよ、社長夫人も下着になったんだぞ、失礼だろう!’そんなやり取りが何回か続いて、根負けしたというか、主人が迷惑をかけた負い目か、はたまたお酒の勢いか、’わかりました。やります。’ 
勝てばいいのよと言い聞かせましたが、いきなり負けてしまいました。Bが手を上げて喜んでいます。
思い切って浴衣を脱ぎ下着姿になりました。
’や~きゅう~するなら・・・’次も何と私が負けてしまったのです。その瞬間、すごい歓声。
とても断る雰囲気ではないです。私は手で必死に抑えてブラを外しました。その瞬間、営業課長が ’手で押さえるのは反則です。ルール違反はこの場にふさわしくない。’ 私は砂をかむような思いで手を外しました。
男性陣から ’お~’というどよめき。痛いほどの視線。
次は私が勝ち、お互い最後の1枚。
そして’アウト、セーフ、ヨヨイのヨイ’ 課長パー、私がグー。主人を除き、みな狂喜乱舞です。
頭の中が真っ白になりました。元同僚は手を叩いてよろこんでいる。悔しい。
よく家に遊びに来る主人の友人も上気した顔でこちらを見ています。
’女性も脱がなきゃいけないのですか?これだけは無理です’と言うのを遮るように、
社長が大声で’S君、観念して裸一貫からみんなで会社を立て直そう’
私が脱げば、主人のミスも軽減される。私が脱げば・・・

’わかりました。脱ぎますわ。’
手で押さえながら、徐々に最後の1枚を下し、足から抜き取りました。         
そこに営業課長のとどめの一撃。’ズルは禁止です。正々堂々と’
私は天を仰ぎ、上下隠していた手をどけました。’わあ~’という大歓声。
酒に酔ったBは露骨に ’これが、あこがれのS子のオールヌードか。結構毛深いね~。’
課長婦人 ’S子さんって着やせするタイプだったのね。うらやましい体だこと。’
社長 ’理知的で快活で会社のマドンナだったS君のお尻を拝めて、今日は最高だ。’
そんなに広い部屋ではなかったので、前後左右から至近距離で皆に見られてしまいました。
しかも、かなり長い時間。(に感じられました)
恥ずかしいのを通り越して、現実ではないような感覚でした。
一糸まとわぬ姿をこんなに多くの人に見られるなんて。
’最後、集合写真を撮ってお開きにしましょう。’という営業課長の言葉で、
私たちは、そのままの姿で肩を組み記念撮影。
悪夢の宴会は終了しました。

姉妹で素っ裸で川遊び

全裸で泳ぐのは最高ですよ
子供の頃、水着というものがキライでした。特に学校の体育の授業で着るあのスクール水着はイヤでした。体型にも合わないし、生地が厚く、着た時になんだかヘンに締め付けられるような感じがするのもイヤでしたが、なによりイヤだったのは、泳いで濡れて水からあがった時に感じる、
カラダにまとわりつくようなあのベットリ感でした。大人になってビキニなら我慢できると思いました、それでも日本にもヌーディストビーチがあればいいなぁと勝手に思ってました。
だから、泳ぐのが苦手という訳でもないのに、夏休みも学校のプールとかはあまり行きませんでした。
その代わりというわけでもないんだけど、三歳上の姉と二人で、近くの川で、よく裸で泳いでました。
ええ、もちろん二人とも全裸、オールヌードですよ(*^-^*)
近いといっても、そこは、自転車で30分くらいは川沿いに登っていき、さらに5分くらい歩いていったところで、滝壺のような穴場でちょうど周囲から死角のようにになっていました。
だから、よっぽど近くまで来なければ見られるようなことはないし、そんなところだから滅多にわたしたち以外の人は近づかないので、私たちのような年頃の女の子が素っ裸でいても平気だったのです。
そこに行くときは、裸の上に、あんまりお気に入りじゃないワンピだけを着て、
自転車で坂道を登っていきます。
わが家では冷房がないので母も父もみんな夏の時期は(夏じゃない時もそうなんだけど夏は特に)、家にいるときはだいたい朝からずっと全裸のままですし、どうせ、裸になって泳ぐので、もちろん、ノーブラでパンツなんかもはかずに、透けないように厚地のワンピだけ羽織っていくのです
本当は、全裸のまま自転車に乗って行きたいところなんだけど、さすがにそれはしませんでした。
お気に入りじゃないのをわざわざ着ていくのは、暑い中、自転車で坂道をこいでいくと、汗びっしょりになるので、汚れてもいいようにです。
でも、その汗まみれになったところで、
ワンピを脱ぎ捨てて、全裸になる瞬間がすごく気持ちよくって、裸の体にあたる風はもちろん、いままで憎らしい感じさえしていた太陽の光も、全身に心地よくって。
それで、全裸になって川に飛び込むと、冷たい水が、これがまたすっごく気持ちいいんですよ。汗で濡れたワンピは、一回川で洗って固く絞ってから木に吊るして干しておくと、帰る頃にはからからに乾いています。
帰りは、下りなので、とっても楽。自転車で風を感じながら帰るんだけど、素っ裸でこの風を感じられたらもっと気持ちイイのになにナ、なんてよく思いました。
私が小学生の頃は、夏になると毎年、全裸で泳いでいたわけだけど、誰かに見られたという記憶は2度しかありません。
一度目は、どこかのおじいちゃんでした。釣り竿を持っていたような気がします。何にも着ない全裸状態で川遊びをしているわたしを見ても、別に驚く様子もなく、近づいて来ると、
「一人で遊んでるのか?」
というようなことを聞かれたように思います。
わたしの方も、その頃はまだホントに子供だったし、相手がかなりのお年よりだったこともあって、裸でいるところを見られて特に恥ずかしいというような感じもなく、
「お姉ちゃんと来てる」と、普通に答えて、姉の方を指差しました。
姉は、大きな石の上に寝そべって、日光浴みたいなことをしていたと思います。
もちろん姉も全裸、素っ裸だったのですが、別に隠れるでも、体を隠すでもなく、全く恥ずかしがる様子もなく、ちょっと起き上がると、その人に向かって軽く頭を下げました。
その人の方も、素っ裸の姉を見ても特に驚くこともなく、
「そうか」と、言うと、
そのまま川沿いに下っていってしまいました。確かに、その人は素っ裸で遊ぶわたしたちを見ても、全く驚いた様子がありませんでした。
もしかしたら、その人の年代くらいの人にとっては、子供は、女の子でも、川で遊ぶときには、全裸になるというのは当たり前のことだったのかもしれません。でも、まだ子供だったわたしはともかく、姉は、その頃すでに中学生になっていたはずです。
いくらなんでも、中学生の女の子でも、川で遊ぶときは、全裸が当たり前っていうこともないと思うんだけど?それとも、例によって姉があまりにも当たり前のように全裸を晒していたからでしょうか?
確かに、その時の、夏の日差しの中に浮かび上がるった姉の裸のカラダって、わたしの記憶の中では、すごく芸術のようにキレイにまわりの自然の中に溶け込んでいるんですよね。今でも、ものすごく印象に残っています。
二度目は、確かに若いお兄さんがやはりひとりで山登りでバイクでたどりついたらしく、麓にあった私たちの自転車を見て、誰がいるのかと登ってきたそうです。今度はわたしが素っ裸でいたのでびっくりしていましたが、小学生だったので興味も示すわけもなく、わたしがいっしょに水遊びしようと誘うと、浅瀬でいっしょに遊んでくれました。さすがに姉は岩影に隠れていました。いっしょに水遊びしたあと、急におしっこがしたくなり、M字開脚でおしっこすると、じっくり見られてしまいました。素っ裸は恥ずかしくなかったですが、おしっこ姿を見られるのは恥ずかしかったです。その後は何事もなくお兄さんは帰っていきました。後で姉に聞くとさすがに恥ずかしかったようでした。今思えばまだわたしは胸もない毛も生えてない完全な幼児体型でしたが、姉は胸がふくらみはじめ、下の毛少し生えはじめてました。
姉が市外の高校に行ってしまい、わたしが中学に入ってからはそこにはいかなくなりましたが、懐かしい思いでです。

姉のプレイ

俺は高校生、姉は大学生。俺の姉は裸族だ。風呂上がりに家の中を全裸で歩き回り、夏には裸のまま体をクールダウン、その間ずっと丸出しだ。身長は163cmでスリムだがオッパイはそこそこ大きく、乳首は上向きでなかなかの美乳だ。陰毛は縦長下向きに密集して生えていて、ある意味綺麗だ。尻の形も良いと思う。だが、姉の生裸体を見て性的に興奮した事は無い。自宅での姉の裸族振りをクラスで話すと、友人達は皆羨ましがる。写真撮って来いとか姉貴紹介しろよとか遊びに行っていいか?とか言ってくる。でも俺にとっては肉親なので姉の肢体を見て興奮はしない。そんなある日、部屋で漫画を読んでいるとノックもせずに姉乱入。いつもの事で腹も立たないが一応「ノックはしてよね。」と言った直後に驚いた。姉は全裸だった。俺が絶句していると、姉「エロ本見ながら一人エッチしてるかと思ったのに残念。」俺「言っても無駄だけど下着くらい着けてよね。」姉「なんで?姉弟じゃん、ノープロブレムでしょ。」俺「で、何か用?」姉「ねえ、私の生ヘアヌードってどう?セクシー?エロい?」俺「はいはい、姉ちゃんのヘアヌードはセクシーでエロいよ。」姉「あんたってさあ、私の裸に興味無いよね?見たいと思わないの?」俺「昔から毎日見てるから見慣れたよ。」姉「エエエエ~、そんなもんなの?チンコ勃ったりしないの?もしかして草食系?」俺「実の姉の裸見て興奮する奴は変態だろ?自分の弟を勝手に変態扱いすんな!」姉「ほらほら、マ〇コだよ、よく見てご覧。」と股を拡げ、指で大陰唇を拡げて見せる。俺「バカな事するなよ!」姉「見て見て、なんなら弄ってもいいよ!」俺「姉ちゃんどうしたんだよ?オカシイよ!」姉「ヤッパ駄目かあ。」俺「はあ!?」実は姉は大学の友人数人と「弟を誘惑出来るか?」という賭けをしていた。気付かない内に姉は俺のベッドの上に通話中のスマホを置いていた。俺達姉弟の会話は姉の友人達に生中継されていた。バカバカしくて怒る気もしない。因みに賭けをした姉達の中で一人だけ勝った人は興奮した弟に生挿入されちゃったらしい。裸族な姉で助かった。まあ、見慣れた肉親の裸では勃起しないわ。

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