萌え体験談

萌え体験談、エッチな体験、投稿体験談を配信しています。

レイプ・痴漢

十人十色

大学の学園祭で実行委員をやった。
みんなパンツ、トイレとか盗撮やってる盗撮仲間だけで男だけ。
実行委員でお笑い芸人が来たとき、見に来た女のパンツを撮ったり、
ミスコンやって水着に着替えるとき、更衣室で着替えを撮った。
お笑い芸人が来たとき人が集まりすぎて大混雑になって
女のパンツ撮ってたら痴漢してる大〇生、高〇生がいて
痴漢やってるところも撮れた。ミスコンは小〇生、中〇生、高〇生、大〇生
を参加させて、水着に着替えさせたとき更衣室で小〇生、中〇生、高〇生、
大〇生のパンツ、ブラ、裸を撮った。トイレも撮った。
出し物やる出店者も盗撮やってる男がいて金魚すくいとかの
出し物でパンツ撮ったヤツがいた。
おしゃれパンツ、おしゃれブラ、かわいいパンツ、かわいいブラ、
普通のパンツ、普通のブラ、小さい胸、大きい胸、乳輪小さい女、
乳輪大きい女、小さい尻、大きな尻、マン毛薄い女、マン毛濃い女、
トイレでデカいくそする女、デカい音で長くおならする女。
バッチリ丸見えで児ポ法ひっかかりまくり。ヤバくて流出不可能。
金魚すくいやったとこは、大股開きでしゃがませてやらせて
パンツ丸見えでパンツの柄、シミ丸見え。

修学旅行生

高?1年男子です。学校行くとき、なんかで混んでるときに痴漢してます。
ある日、修学旅行の中?生が電車を待っていました。来た電車はゲロ混みです。
痴漢友達?とみんなで乗って車内はギューギュー。ゲロ出そうなくらいゲロ混み。
俺はある中?生の後ろで痴漢しました。ほかの友達は別の修学旅行の娘を
一人で触ったり、数人で触りました。ビックリしたけど恥ずかしいのか黙ったまま。
ほかの娘もそう。俺は、中?生の足と足の間に自分の片足を入れて触りやすく
しました。で、パンツからケツ触ってて、駅に着いたらまた人が乗ってきて、
後ろから押されて俺の手が中?生のおまんこのほうへ入りました。パンツから
おまんこを触りました。中?生は、足と足の間に俺の片足が挟まってるので
足が閉じられなくて、もぞもぞして足を閉じようとしてるので俺の足と手がたまに
キュッと締め付けられて気持ちよくなりました。みんなもやりたい放題で、
キスしたり、首筋や耳に息吹きかけたり、舐めたりしてました。近くにいた
修学旅行の男子中学生は、「押されるー」、「つぶされるー」とか言って満員電車を
楽しんでました。最後にパンツの中に手を入れて生まんこでフィニッシュ!

修学旅行で集団レイプされてから、クラスの肉便器になった

修学旅行で集団レイプされてから、クラスの肉便器になった

私はクラスの中で浮いていました。
ずっとアメリカで暮らしていた帰国子女の私は日本の学校には馴染めませんでした。
クラスの女子には、それがお高くとまっている、と感じられたらしくいつの間にか、クラス中の女子からシカトされるようになっていました。
そして、あの修学旅行の日がやってきたのです。
        
嫌われ者の私は、何とかお情けであるグループに入れてもらえたのですが、いざ現地のホテルに着くと「アンタは部屋に入るな!」と追い出されてしまいました。
自分のバックを抱えたまま、部屋の前で呆然としていると、たまたま女子の部屋に遊びに来たらしい、男子が「ひどいなあ。俺たちの部屋で良かったら来なよ」と声を掛けてくれました。
一人で男子の部屋へ行くのは抵抗がありましたが、寝る場所もないし、断ったら男子にも嫌われてしまうと思い、彼の部屋へ行くことにしました。
そして、これが間違いの元でした。
部屋へ入ると、そこには5、6人の男子がいて、皆、こっそり持ち込んだお酒を飲んで、酔っ払っていました。
そして、その中の一人が抱きついて私を押し倒してきたのです。
男子たちは口ぐちに「どうせ、アメリカじゃやりまくってたんでしょ?」とか「レイプなんて日常茶飯事なんだろ?」とメチャクチャなことを言いながら、私の服を脱がしました。
私はまだ処女で、男の子とは軽いキスくらいしかした事なかったのに。
全裸にされると、むりやり大股開きにされ、写真をたくさん撮られました。
それから犯され、口にもペニスを入れられました。
部屋に居た男子が全員、私を犯すと、今度は違う部屋の男子たちがやってきて、私を犯しました。
さらに、誰か終わると、他の回復した男子が再び私を犯すのです。
一晩で10人以上の男子に数え切れないほど犯されました。
修学旅行の3泊4日の間、私はろくに休めませんでした。
夜は当然のように男子に犯されます。疲れ果てて、眠ってしまっても、彼らは許してくれません。
常に、誰かが私の体を弄び、全く熟睡できませんでした。
昼はバスの中でも男子の手がスカートの中に伸びてきます。
観光地についても、物陰でフェラさせられたり、ノーパンでスカートをめくらされ、写真に撮られたりしました。
当然、女子にも知られ、私はますます嫌われました。
入浴の時間には「オマエが入るとお湯が汚れるんだよ!」と言われ、女湯に入れてもらえず、男湯に入るハメになりました。
当然のようにソーププレイを強要され、お尻の穴の周りに石鹸を塗りたくられ、お尻も犯されまし
た。
修学旅行が終わる頃には、私のアソコは真っ赤に腫れあがり、アゴもガタガタになっていました。
写真もたくさん撮られました。当時はデジカメやカメラ付き携帯などありませんでしたが、クラスの写真部員が現像しまくっていました。
修学旅行から帰ると私は「あゆみちゃん・修学旅行の思い出」とタイトルのついたアルバムを渡されました。
中身は全て、私の恥ずかしい写真です。写真の一枚一枚に、
『なんと、このときはまだ処女でした!』
『フェラチオ上手になったネ』
『ソーププレイに挑戦!』
『4Pで大ハッスル!おちんちんに囲まれ嬉しそう』
『名所××寺でオマ●コご開帳』
などのコメントが添えられていて、最後の一枚は私が全身精液まみれになって、ぐったりしている写真で『これからもクラスの性欲処理係として頑張ってね』と書いてありました。
そして、そのコメントとおり、私は性欲処理係として日々を送るようになりました。
人目を気にせず、公然と教室の隅でフェラさせる男子がいたほどです。
遊びとして私をイカせることが流行ったこともありました。
皆、本やビデオで研究し、私は教壇の上で股を開かされ、立て続けに絶頂を迎えました。
気持ち良いどころか、何度もイカされるのは苦痛でしかなく、心では嫌なのに、感じてしまう自分に嫌悪しました。
死にたくなったこともありますが、クリスチャンの私には自殺は許されません。
何より、こんな酷い人たちのせいで、なぜ私が死ななければならないのか。
これ以上、人生を台無しにされて堪るか。と歯を食いしばり頑張って勉強しました。
学校を卒業すると、私は即、渡米しました。
今は出版関係の会社で働いて充実した日々を送っています。まだ男の人は少し怖いですが。
レイプに遭った方々、辛い体験に負けないで下さい。

修学旅行

数年前、中学の修学旅行で東京に行ったとき、
俺のグループは満員電車に乗りました。
みんなでなんとか電車に乗りました。
押されて男子、女子で別れてしまいました。
なんか事故があって電車がなかなか来ないし、
ゲロ混みで、ゆっくりゆっくり電車が走ってて
時間がかかりました。
やっと降りる駅に着いてなんとか降りました。
ふと見ると、女子のスカートの後ろが
リュックに挟まってて、パンツ丸出しの女子、
パンツ食い込んでケツ丸出しの女子、
ジャージ下ろされてパンツ丸出しの女子が
いました。改札に行くのにホームを歩いてると、
前に男子高校生数人が入ってきて
「うわっ!パンツ丸見え!」
「ケツモロ見え!」
とかしゃべっててスマホで女子のパンツ、ケツとか
撮ってました。男子高校生はずっと撮ってて
「丸見え」
とか言って笑ってました。しばらくしたら、
通りすがりの女の人が女子にスカート挟まってる
って教えてて、トイレでスカート直すので
トイレ休憩になりました。
トイレに入ると、前を歩いてた男子高校生数人が
入ってきて用を足しながら
「中学生ちいせーおっぱい」
「すべすべしたケツだったぜ」
「スカート挟んで丸見え」
とか笑ってしゃべってました。
男子高校生が痴漢してスカートをリュックに挟んだ
犯人でした。男子は俺だけトイレにいたので
ほかの男子は女子がああなったのか知りません。
トイレから出てきた女子も恥ずかしいのか
痴漢にあったって言いませんでした。
俺は言うのもなんだしずっと黙ってます。
中学卒業しても黙ってます。あんなイケメン高校生が
痴漢するなんて東京はすごいとこですね。

酒井法子そっくりの美しい姉を本気で愛してしまった。

僕は19歳の大学生です、田舎から東京に出てきて姉と2人で暮らしています。

姉も大学生で今年20歳になります。


今日は姉が大学のゼミ合宿で帰ってこないので、ちょっと怖いですが、僕たちのことを書いてみます。

普通近親相姦というと幼い時なら、お医者さんゴッコの延長線みたいなものとか、父親が娘をレイプしてしまった、などというものを想像するでしょうが、僕と姉は本気で愛し合っています。


姉は酒井法子そっくり。

別にオーバーでなく友人も認めています。


僕が姉を意識し始めたのは15歳の中学3年の頃でした。

姉はそれまでは休日になるとよく遊びに連れてってくれたのですが、高校に入り彼氏が出来ると、休日は彼氏とデートで、僕と外出することはなくなりました。


そして姉の彼氏に無性に腹が立ちました。

最初は単純に彼氏のせいで、どこにも連れてってもらえなくなったからだろうと思っていましたが。


どうやらそれは嫉妬だったようです。

家に彼氏から電話がかかってきて僕が先に取るとぶっきらぼうに「今いません」などと、娘を持った父親のように言った事もあります。


そのうち自分でも姉のことが好きだということを自覚し、夜に姉とHする想像をしオナニーしていました。

そして僕の姉を思う気持ちは日に日にエスカレートしてゆきました。


そして僕が高校に入った年のクリスマスの直前、12月23日の休日、とうとう僕は姉に告白したのです。

その日の朝姉は、おしゃれして出かけました。


クリスマスも近いしデートだな、とすぐ判りました。

夕方になり姉が帰ってきましたが、僕がデートどうだったと聞こうとすると、顔を合わさないように2階の自分の部屋に上がっていきました、僕は変だなと思い姉の部屋のドアをノックしましたが、返事がないので「開けるよ」といってドアを開けると、姉はベットにうつ伏せにまり枕に顔をうずめ泣いていました。


鈍い僕でも彼氏と何かあったことぐらいはすぐに判りました、僕はそのままそっと立ち去ろうかとも考えましたが、姉がこちらに顔をむけ、起き上がったので傍に行ってベットに座りました。

「ねえちゃん大丈夫か」
と聞くと「うん、大丈夫」と言いましたが、僕もなんて言ったらいいのかわからず、黙っていると、姉は僕に抱きつき泣きながら小さな声で「ふられちゃった」と僕には聞こえました。


姉が抱きついたことで僕の抑えていたものが切れ、唐突に「僕はねえちゃんのことが好きだ、愛してるずっと傍にいたい」と、訳の判らないことを口走ってキスしてしまいました。

言った後で後悔し、ひっぱたかれるかなと思ったが、姉は突然のことにキョトンとして目をそらし、しばらく沈黙が続きました。


そのうち姉が「私も祐ちゃんのこと好きよ、でも姉弟だから気持ちを抑えていたのに」と言いました。

後で聞いたことですが、彼氏とは全部ではないが、その気持ちを抑えるため付き合い始めたそうです。


それで僕は「姉弟でも好きなものは好きなんだ、僕はずっと姉ちゃんの傍にいたい」
と言うと「結婚出来なくても?」と聞いてきたので「先のことは僕にも判らないよ、でも今は姉ちゃん以外には考えられない」と言って強く抱きしめました。

そして姉も抱きしめてきたのでキスしました。


かなり長い時間しました、舌も入れました。

そしてキスしたまま胸を服の上からさわり、ブラウスのボタンをはずし、ブラジャーを上にずらし直接揉みました。


姉は抵抗するどころか激しくキスしてきました。

僕はスカートの中に手をやり、ストッキングの上からあそこをさすりました。


僕はそれまで童貞で、そんな経験がないはずなのに、なぜか大胆になっていました。

そしてパンツの中に手を入れ姉ちゃんのあそこをいじろうとしましたが、何せ経験がないもので、どこを触ったらいいのか判らず、とりあえず穴に指を入れていると姉が手を入れてきて、僕の指を持ち「この出っ張っている所」と教えてくれました。


教えてもらったところを刺激すると、「アッ」と声を出したので「外に聞こえるよ」
と言うと「大丈夫、お父さんもお母さんも今日遅いから」と言ったので、ああそうかと思い出し安心して続けました。

そのうち姉が「していいよ」と言ってきたので「やばいよ」
と言うと「したいんでしょ」
と言い「うん」とうなずくと、「外に出せば大丈夫よ」と言いました。


それで僕は姉のストッキングとパンツを下ろし、僕もズボンとパンツを下げて、姉のあそこにちんちんを入れSEXしたのです。

ずっと好きだった姉とやっと結ばれたと思うと、すぐイキそうになりちんちんを抜いて、傍にあったティッシュを慌ててとりそこに出しました。


その後も両親がいない時にSEXしましたが、姉が大学に受かり東京へ行ってしまい、僕たちは会えなくなってしまいましたが、長距離恋愛のカップルのように、週に何回も電話し、夏休みには東京に遊びに行くと言う名目で姉の部屋に泊まりました。

そのうち僕も受験で東京の大学を受け合格しました。


両親も姉との関係など知らないし、姉のマンションも3部屋あり、1部屋空いていたので、下宿代が助かると言う理由で一緒に住む事になったのです。

表向きは別々の部屋と言うことになっていますが、ほとんど一緒に寝ています。


このことは両親はもちろん友達も知らないことなので、大学で合コンに誘われても断り、友達に「おまえホモじゃないのか」と言われたこともあります。

先のことは考えたくありません、しかし今姉と引き離されたら僕は生きてゆく自信がありません。


多分ほかから見たらかなり異常なことなのかもしれません。

狩猟採集の部族では女性も性的に無差別、だから互いにいたわり生きた

     
いつでも食べ物の祝宴ができるような、互いにいたわることのできる愛の部族を想像することができるだろうか。
現代科学では、私たちは2000kcalが必要だとされるが、これは一日で3時間だけで獲得することができた。
想像して欲しい。
私たちはほとんど少数しか存在しないが、最低限の努力で狩猟を行うことのできる脳を持っていた。
これはエデンの園ではないかな?
    
狩猟採集の女性は性的に無差別的だったので、だれも父親がだれかを知らなかった。
これはpartible paternity(分割父権?)と呼ばれる。
部族が社会的な結束によって大きくなると、それらは小集団に分裂した(「ダンバー数」でググってほしい)。
    
男性の精液は、そのはじめと後では成分が異なることが知られている。
はじめの酵素は新しい精液を他の男性の精液から守る(防御)ことを目的としており、後者の精液は他の精液の動きを遅らせる(攻撃)酵素を含む。
    
狩猟採集社会では夫婦関係はなかったし、「うちの子」という考え方もありませんでした。
なんだか想像しがたい世界ですが、人類はそういった社会を何万年も続けてきたようです。
     
男性のペニスの形状や、精液の性質は「暗黒時代の集団レイプの証拠」と私は教わった記憶があるのですが、現実には「楽しいセックスパーティの証拠」だったんですね。
    

主人の隣りで。

結婚2年目、共働きの夫婦です。
 共に27歳。

通勤は一緒なんですが、以前主人の隣りで痴漢に会って、主人はずっとスマホしてて痴漢に全く気付かず、私は周りにバレたくなくて我慢してました。

主人にバレない様にしなくちゃ!

って思ってたら何か凄く感じちゃって。
 私はいつも股開きパンストを愛用してますが、これは蒸れないし
トイレでもショーツだけ脱げばいいし便利なんです。

 因みにアダルト商品ではありません。

 ただこの時はこれがまずかった
、穴開きパンストの時は上からショーツを履くので、ショーツだけ簡単に下げられて、素股されて!

 主人の隣りで見知らぬ人とお互いの性器を擦り合わせている。
 
 この状態に凄く興奮して、主人の顔を見ながらイっちゃって!
 私も積極的にお尻を突き出す様にしてたら、電車が少し揺れた時に先の方だけ入っちゃって!
 
 その瞬間に全部中に出されました。
 直ぐにショーツは戻されたけど
股間は精液でベトベトに。

 それ以来痴漢を心待ちする様になって、
 毎回じゃないけど、その時の痴漢さんが来るんです。
 まだ主人にはバレてない!
 痴漢されると、私が積極的なせいか、必ず挿入されて中出しされますが、最近はショーツを下げずに横にずらして入れてるので精液がボトボト落ちる事はないですが、 
 ショーツが精液で凄い事になります。

 この前痴漢された時に紙を渡されて、後で見たら電話番号が書いてあり、どうしようか迷ってます。
 
 電話してみようかな?

主人との性の不一致!

32歳の主人(俊)、28歳の私、
結婚二年目で子供を作る予定はありません。

私は中学の頃から毎日みたく痴漢に遭っていて、最初は嫌だったけど、そのうちに快感を得るようになってから待ち望むようになって、初めての人も痴漢さんでした。
 
当時は中央線だったけど、徐々に痴漢さんの間で顔が知られるようになって23歳の時に自宅を離れ、千葉方面で一人暮らしを始めたんです。

そこで知り合ったのが今の主人!
凄く真面目で今までの男性とは全く別物で、何か新鮮か感じで惹かれていったんです。

それまでは痴漢に夢中で、しかもそれだけでは飽き足らなく、友人と飲みに行った時は必ず酔った振りをして道端に座り込み男性が声を掛けて来るのを待つんです。

どんな男性でも構わない!
とにかく私で性欲を発散して欲しい!
オナホ代わりに使って!
って感じだったんです。

俊くんと結婚して変わろうと思ったけど、やっぱり駄目でした。

凄くノーマルな俊くんとのSEXだけでは満たされなくて!
 でも我慢しようと自分なりに頑張ったけど、突然我慢出来なくなって。

去年の9月、その日は暑かった!
 週末で俊くんが何故が先輩を連れて来るとの事でした。

その先輩のAさんは単身赴任で40代、どんな人か解らないけど凄く興味を持ちました。

先輩は少し太めで頭も少し寂しい、ちょっと残念な感じ!
でもこんな人にオナホ代わりに使われたら!

最初は近くの居酒屋へ行って、その後に家で宅飲み!

実はその時に計画してた事があって、私は不眠症で以前から通院していて、睡眠導入剤を持ってるんです。

宅飲みになった時に俊くんに飲ませる計画!

結構強いので、まず起きない!
そこで私の恥ずかしい姿を見て貰って、性欲を解消して貰うつもりだったんです。

薬を飲ませるのにも成功!
 完全に爆睡で、私も泥酔した振りで先輩のAさんに絡んでました。

俊くんは朝まで起きないと思う。
 Aさんに頼んで寝室に運んでもらい
私とAさんの2人きり、私はもうかなりの泥酔振り、私は立ち上がれない振りをしながらAさんに、
 
 トイレに行きたい!
 漏れそうなの!
って訴えるとAさんは

 えっ!嘘! ちょっと待って!
って慌ててる!
 
Aさんは私を正面から抱きしめる感じでトイレに連れて行こうとしてて、
 でも私が着てるワンピースはずれ上がってとても恥ずかしい格好!

トイレのドアを開ける時に私はこっそりショーツを下ろして、座った時は丸出しでした。

Aさんは
 ほら、ちゃんと脱がないと汚れちゃ
 うよ!

って言いながらショーツを完成に脱がせて、
 ちょっと待って!
って走ってリビングへ行き、すぐ戻って来たら手にはスマホが!

 ほら、してもいいよ!
って私も股の間に座り込んでスマホを向けてます。

実在、かなり溜まってたので我慢出来なくで、
 ダメッ! 映さないで!
って言いながらも凄い勢いで!

 ウンチは出ないの?
って私の股を開いて撮影してるAさん!
 ダメッ!止めて!

って言いながらも抵抗はしません。

 洋服も汚れちゃうよ!
って全裸にされて!

 部屋で拭いてあげるから!
 って言われリビングな連れて行かれ
 て、マングリ返しの姿で撮影されて
 私ってスマホで撮られてるだけなの
 にグチョグチョになってて!

凄い濡れてるね!
せっかくだから旦那さんにも見て貰おうよ!

 って心室に連れて行かれて、
 俊くんの寝てる姿を見ながら後ろから突かれて!

 Aさんが 
 こりゃ朝まで起きないね。
 って俊くんのパンツを脱がせた後!

駄目だいくよ!

 中は駄目!

大丈夫だよ、このまま旦那と2人で寝てれば!
普通に夫婦がセックスしたようにしか見えないよ!

って言われた後、大量に中出しされて
 
 このまま寝てて!

って言われて翌朝、
 全然覚えてないよ!
 って俊くんが言ってた!
当たり前だけど!

 それからは好き放題に使われてる!
明日また来るらしいです。

若い男達との乱交を始めたきっかけ

痴漢は犯罪です。

あれは5年前の夏のことでした。あの季節から私は、変わってしまったのです。後悔も少しあります。

当時、私は近所では何故か「上品で清楚な奥様」と言われており、夫もそうした私のことを誇らしく思っていました。娘は2人いましたが、下の娘が大学進学のため、仙台に行ったため、夫と2人きりで生活していました。
夫婦共働きで毎日8時に2人で駅まで行きます。私は都心の方に夫は西の方に行くため、そこからは別れます。
「あなた。お仕事頑張って。」
「優子もね。」
私は夫がエスカレーターで上っていき見えなくなるのを確認します。すると、私の体は徐々に火照り始めます。そして、アソコが湿り出し、ついには液がストッキングの中を伝ってくるのが分かりました。私は耐えきれずに、駅内の女性用トイレに駆け込みます。途中で、サラリーマン風の男にぶつかりましたが、それも構わずに、トイレの列に並びました。
ーはあはあ。早くして。イッちゃうわあ。
私は、何だかイライラしながら、アソコをグチュグチュにしていました。ようやくトビラが開くと、私は、和式便器のある個室に入ります。そして、鞄の中から直径7cmのチンポ型のディルドを取り出します。私は、クラクラし口からも、タラタラと液を流します。
そして、あの若い男のことを想像しながら、スカートを脱ぎます。そして、和室便器を跨りながら、顕わになったパンツもないアソコにディルドズブリと入れます。その後は、勢いよくピストンをします。
クチュクチュチュパッ!
クチュクチュチュパッ!
と言う音を立てながら。
快楽の電流が脳天を付きます。
「はあ。はあ。」
思わず、声が出てしまいます。そして、フィニッシュ。
ズボズボズボ
その勢いで、オシッコも出ます。
待っている人もいるので、トイレットペーパーも使わず、そのままスカートを履きます。そして、ディルドを鞄にしまい、外に出ます。

駅のホームに出ると、人でごった返していました。夏の暑さもあり、私は汗をダラダラと流します。それ以上に、あることを期待しながらアソコからもダラダラと液が垂れてきます。
すると、後ろからあの男が来ます。
私は
ーきたきた
と思いました。
電車が来ます。何人かが降り、音楽がなり終わると、私達はぞろぞろと乗ります。
ピー!
笛の音が聞こえます。
しばらくすると、ドアが閉まり、電車が走り出し始めました。男は、私の後ろに体を密着させます。そして、私のスカートをのめくりあげます。、指をアソコの中に入れます。
「はあん。はあん。」
思わず、ため息が漏れます。しばらくすると、男は、更にズボンのチャックを開け、チンポを私の中に入れました。
ーいくう。
私は、必死で声をこらえながら、何度もイッてしまいました。何故か周りを気づいていないようです。それとも、気づいていても、無視しているのでしょうか。

男は、私のスカートを元に戻しました。そして、
「今度の土曜10時に◯◯駅の改札口で。」
と、耳元で囁きました。

2年後の夏。クーラーもないワンルームのボロアパートの締め切った一室。全頭マスクをしているため、目の前は何もみえず、ただ蝉の鳴き声がミーミーンと聞こえていましまた。鼻からは、若い男達の汗と精液の匂いがついてきます。
私は、自分の着ている赤いハイレグを汗まみれにしながら、黒のエナメルサイハイブーツで、体育座りになります。そして、黒のエナメルロンググローブをハメた手でハイレグの生地をどけ、アソコをこねくり回します。そして、もう一方の手で、仁王立ちした男の汗臭いチンポを必死で貪り食い始めます。
クチュ!クチュ!チュパッ
「んふ!美味し??い!若い男の汗臭いチンポは格別だわ!」
そして、レロッレロッと舐めまわします。
「奥さん。がっつきすぎだよ!!」
「何よ。私をここまで、いい年した淫乱で変態な女にしたのはアンタでしょ!」
「そうだな!ケツに淫乱熟女と変態熟女の刺青をしているもんな!若い男のチンポ大好きの刺青もな!」
一通り舐め終え、何回かイクと、今度は騎乗位になり、男のチンポをアソコで咥えます。そして男に手を抑えられ、全頭マスクをした変態的な姿を見せながら、下からつかれます。
「おおん!おおん!若い男のチンポいい!!」
私は、雄叫びをあげながら、時折、気持ち良さあまり、仰け反ります。
「いいね!奥さん!マンピアスが擦れて俺も気持ち良いよ!」
「おおん!おおん!もっと、こねて!淫乱熟女の優子をもっとイカせて!あああーー!!」
何回かイッた後、私は、うっとりとして言いました。
「あは?????ん!今度はお尻にしてえん!!」
「いいとも!四つん這いになりな!」
そう言うと、男は手袋をハメ、ローションをたっぷりと塗ります。
私はベッドの上で四つん這いなり、股を広げ、お尻を男に突き出します。
「ほう!チンポの刺青も馴染んで来たようだ。しかし、こんなところまで調教していると旦那が知ったら、たまげるだろうな。」
「あは?ん。早くうん!」
私は、お尻の穴をパカパカと開け閉めします。
「よし行くぞ。」
男は太い腕を私のお尻の中に入れます。腕はいとも簡単に入り、ついには肩の近くまで入ります。
私のお腹は男の腕で膨らみます。
「おゴゴゴゴ!!ゲヅマンゴイグゥ!!」
男は慎重にゆっくりと、ピストンをします。私のお腹は膨らんだりヘコんだりします。
「ギギギギギ!たまらないわあ!!ゲヅマンゴがだまらないわあ!」
気が遠くなりそうです。やがて、男は腕を抜くと今度は、両腕をお尻の穴に入れます。激しい快感が私を襲います。
「ギギギギギ!ギョエめえ!!」
私は低い雄叫びを上げると、いつの間にか、気が遠くなってきました。

これが今の私の日常です。もっとも、私はあの男だけでは満足できずに、スポーツクラブなどで、若い男を物色しながら、ヤリまくっています。最初は、私の変態性欲にひいていた男達も、お金を上げると案外簡単に応じてくれます。痴漢で知り合ったあの男は飽きてしまった為、今では連絡を取っていません。とは言え、私を変態にしたのはあの男ですから、忘れることは出来ませんね。
夫も近所の人も私の異変に全く気付いていないようで、今でも近所のスーパーで買い物をするなどして、何食わぬ顔で生活しています。しかし、隙を見ては、若い男達との変態プレイに勤しんでいるのです。

若い男に変態にされた人妻の末路

※良い大人の皆さんは、私達の真似をしないでください。痴漢は犯罪です。

現在、私は40過ぎのパートの会社員、同い年の夫がいます。現在は裁判中です。何故なら・・・。

昔、私は火木土と仕事があり、火木は夫と一緒に駅まで行っていました。夫の会社とは、それぞれ別方向にあるので、夫は下り、私は上りの電車に乗っていました。
夫とは、10年近くご無沙汰していました。それに、女子校で育ったせいか、経験は夫とだけでした。しかし、5年ほど前から、性欲が高まり、オナニーをするようになりました。最初は週1ほどでしたが、週2、週3、毎日と増えていき、ついには毎日何回もするように。夫が、出張でいない日は、1日中しまくっていたこともあります。やがて、手では物足りなくなり、電動歯ブラシ、更には通販でバイブまで買うようになりました。バイブも徐々に太くなりついには5cm以上になり、自分の腕まで入るようになりました。つまり、私のマンコはガバガバになってしまったのです。
それでも、満足できず私はイライラとしていました。

夫は、毎日殺人的な業務に追われ、私は1人ポツンと大きな家の片隅に置かれていました。子供もおらず私は1人きりでした。

そんなある日、あれは、春のことでした。その日も私は、満員電車に乗っていました。その時、私は痴漢にあったのです。私も他の人同様、痴漢には時々合っており、怖い想いをしています。ただこう見えて、泣き寝入りはしないタチなので、
「この人、痴漢です。」
と、叫ぶことにしていました。
鮨詰め状態の中、お尻がなんだかソワソワしているのに気付きました。最初は気のせいかと思ったのですが、感触で痴漢だと確信しました。
ーまたか。
私は、腹が立ち叫ぼうとしました。ところが、どういう訳か体が火照ってきました。
ーそんなハズがない。
私は一生懸命、否定しようとしますが、徐々に気持ち良くなってきます。最初は当惑していたのですが、
ー後で、叫ぼう
と考え、しばらくは快楽に身を任せようと考えました。やがて、指がスカートの中に入り、パンツ越しに私のアソコを弄んできました。その、痒い所に手が届くといいますか、怖いくらいに私の性感帯をよく知っているのです。
「はあ。はあ。」
アソコはだんだんとグチュグチュになっていくのを感じ、思わずはあんはあんと小さな囁き声まで出してしまいます。
ーもっと。もっと。
そう思っているうちに、電車が駅に着きました。
「感じていたでしょ。」
耳元で後ろから、男の声が、それも若いセクシーな声が聞こえてきました。男はそう言うと、人を押しのけ電車から降りて行きました。顔はよく見えませんでしたが、後ろ姿から想像するに、スーツを着こなした若い男に見えました。
その日は、あの出来事に執われ、仕事に手がつかず、ミスを繰り返しました。夕方、家に帰ると段々と腹が立ってきました。
ー捕まえておけば良かった。
私は、今さらながらに後悔すると同時に、感じてしまった自分を激しく嫌悪しました。

1週間後、またあの男の指に会いました。痴漢です。今度こそ捕まえてやろうと考えたのですが、火照りが私を思い留まらせました。しかも、あの男ときたら、いきそうになると寸止めするのです。何だか、あの男に操作されているような気がしました。

その後は、仕事に行く度にあの男に出会い感じていました。そのうち、私は毎日毎晩、名前も顔も知らないあの男とのセックスを想いながら、バイブを大きく鳴らし、ヨガリ狂うようになりました。ところが、6月になってあの男がピタリと来なくなったのです。
ー転勤かな。
私は、寂しさを感じると同時に、安心もしました。もうあの男に、惑わされずに済むと。

8月のことです。その日は特に暑く、夫も私も汗をダラダラと流していました。シャワーを浴びると、朝食を済ませ、アパートから外に出ます。駅の改札を通ると、
「じゃあ。今日も頑張って。」
と夫が笑顔で言ってくれました。私も、
「あなたも。」
ニッコリといい、ホームへと登ってきました。それだけでした。私と夫の交流は。
駅のホームは人でごった返しており、不快な汗の匂いがプンプンとしてきました。その時です。あの男の後ろ姿がホームを歩いているのが見えたのです。私は思わず、目を背けましたが、同時に
ー来てくれないか
と考え、夏の暑さもありムラムラしてきました。
男は私に気付いたようで、グルリと回ってきました。その時、初めて顔を見たのですが、その顔は鼻のスッとした端正な形をしていました。それでいて、色白であどけなく病的にも見えたのですが、何故かそれが男のの魅力を一層増しているように見えました。目は大きく澄み渡り、悪魔的な匂いもしました。同時に、男の青いスーツも澄み渡りチリ一つなく、赤いネクタイが絶妙なコントラストを成していました。私は、男の美しさに驚きました。こんな美男が痴漢をするのかと。

男はシトシトと優雅に歩きながら、私の方に近づいてきます。
ーきたきた
私は、男から顔を背けつつもそれを期待していました。男は丁度後ろに来ました。私の心臓は高ぶります。
電車に乗り、私と男は密着しました。ところが、男はなかなか始めてくれません。私はだんだんイライラしてきました。
ー何よ早く始めてよ。
もう限界と思った時、男の長い指がスカートの中、更にはパンツの中に入ります。そして私のクリトリス、そっと撫でます。私の体に電気が走ります。
「はあん。」
私は思わず息を漏らします。男はリズミカルに、突起物を優しく撫で、ときおりそっと撫でます。あまりの気持ち良さに、ヨダレが唇から流れて来るのを感じました。
ーやだ。口紅が落ちる
私は、鞄からハンカチを取り出そうと、腕を上げようとします。ところが、男がもう一方の手で優しく私の腕を掴みました。
「まだ。だめ。」
男は、湿った声で私の耳元にこう囁いてきました。
ーもうダメ
そう思った時、電車のドアが開き男は降りて行きました。私は満員電車の中でただ呆然としていました。

それから、私はパンツもブラも履かないで出勤するようになりました。もちろん、あの男を期待してのことです。しかし、なかなか来ません。もう来ないのだろうと思った時、あの男は現れました。そして、容赦なく私のアソコに指を入れてくるのです。
私は、満員電車の中で溜息を漏らしながらヨガリ狂いました。男が電車から降りる時、
「今日はノーパンだね。明日日曜11時に、〇〇駅の改札で。」
と囁きました。

明日、私は夫に友人と食事をしてくると、嘘を言い出かけました。そして、期待しながら〇〇駅の改札で男を待ちました。11時20分になって漸く、男は来ました。
「は、はじめまして。」
私はドギマギしていした。男はそれを見越したのか、笑顔で
「はじめまして。緊張しなくていいですよ。」
と言いました。その後は、駅の近くの喫茶店で、色々と話をしました。仕事のこと、夫のこと。男曰く、独身27歳だそうです。
その後は、男のクーラーの効かないアパートに行き、汗まみれになりながら、思いきり乱れまくりました。生まれて初めての溶けるような快感に、私は涙ぐみ、潮まで吹いてしまいました。それから、私は寂しさとムラムラとした性欲から、あの男にハマっていきました。最初は女として、次第に男を貪る牝として。

例の事件から2年後の夏、昼下がりの日曜、その日も私は汗まみれになり、自分のマンコを黒いロンググローブをハメた手で弄びながら、四つん這いになります。そして、あの男の一物をクチュックチュッと響かせながら咥え、レロッレロッと舐めていました。
「奥さん。ガッつきすぎだよ。」
「何よ。私をこんなに淫らにしたのは、アンタでしょ。」
私はそう言うと、またガブリとシャブリ始めました。
「そろそろ。始めようか。」
「ダメイッてから。」
そう言うと、私はベッドに転がります。さして、自分の右腕を背中からまわし、赤いハイレグを左手で、前からのけます。その後は、右の拳をお尻の穴に、左の拳をマンコにズブリと入れました。
「おっお????ん。二穴同時は格別だわ??。」
私は低い声で喘ぎ、マンコとアナルのとろける様な快感にヨガリ狂いました。
「奥さん。両穴でヨガるとは変態だな。」
男は嘲笑します。
「おっ!おっ!あなたがマンコとケツの魅力を教えたのよ。ああ!いい!マンコもお尻も良すぎるわ??!!」
私は、ヨダレをダラダラと流しながら、前の穴から本気汁を出しました。左の拳が本気汁でベタベタになりました。
しばらくした後、男は言いました。
「もうそろそろ。」
私は承諾しました。そして、
「あは???ん。今日はお尻にしてえん。」
と、言いました。男は、
「いいとも。オマルの上で四つん這いになりな。」
私は、小さなオマルの上で四つん這いになり思いっきり、お尻を突き出しました。そして、お尻の穴をプチャップチャッと響かせながら、大きく開け閉めしました。
「ほう。ケツの穴につけたバラとチンポの刺青、それにマンコとクリトリスのピアス達も大分馴染んで来たな。」
男は、そう言うと、私のマンコピアスを摘み、揺らせました。
「オホッ!はあん。早く入れてえん。」
私は、オマルの前のフローリングの床の上にあるチンポ型の肌色ディルドを咥え舐め回し、濡らせながら、懇願しました。

「しょうがないな。しかし、こんなところまで調教していると、旦那が知ったらたまげるだろうな。」
「あの男の名前は出さないで。思い出したくもない。」
男は私が履いている無数の男達の尿と精液と汗、そして私の液で塗れたの臭??い赤いハイレグを指で摘みます。
「おお。臭っさ。こんな臭いで感じるとは、奥さんも変態だ。」
男は、ハイレグの生地を退けると、ローションを私のお尻と自分の右腕にたっぷりと塗りたくります。そして、チンポではなく右拳をズブリと穴に入れました。男の右腕はズズーと私の中に入っていき、ついに脇の下まで入ってきました。
背骨と腸内から強烈な快楽が私の体を駆け巡りました。
「おゴゴゴだまらないわあ。ごんなはずがじいどごろをお、おがされでいるのにいいいい!!」
私は、図太い声で叫びます。男は時折、腕をゆっくりと上下に動かします。その度に下腹部がハイレグ越しにポックリと膨らみます。
「おおん。ごのみじめなおもいがわだじをぐるわぜる。おおん!!おおん!」
白眼をひん剥いているからでしょう。前は何も見えません。口からはヨダレを目からは涙を、鼻から鼻水を、マンコからは本気汁と黄金水を、そして心からは欲求不満の液を、色々な液を大量に吹き出します。
「おおん!おおん!」
波打つような快楽が、私を襲います。やがて、男は右腕をゆっくりと抜きました。
プップッ
私はオナラを出します。
「くせえ。いい年した牝豚はケツで鳴くんだな。」
更に茶色い液体を大量にオマルの中に入れました。
ムワーとした匂いが部屋を充満します。
私は、余りの惨めさにクラクラし、またイッてしまいました。
やがて、快楽の激しい波が徐々に収まってきました。しかし、まだ満足できません。
「もういいかな。」
男は言いました。
「まだあ。今度は両腕を入れてくださあい。」
私はお尻を男の顔に突き出しながら、穴を開け閉めします。
「ふう。その前に、水を飲んで休みなよ。脱水症状を起こすよ。」
男は呆れたように言いました。強烈な喉の渇きに気付きました。私は、洗面所に行き、コップの水を何杯も飲み干しました。
20分ほど休んだ後、男は、ローションをたっぷりと塗り、私のお尻にズブリと両腕を入れました。
「おゴゴゴ。ゲヅマンゴイグゥ。もっどごワシで!ごワシで!淫乱熟女のマンゴもゲヅマンゴも、メチャメチャにごワシでーーー!!」
やがて、私の意識はいつの間にか遠のいていきました。目が覚めると、私は蒸し暑い男の部屋にいました。

私は、80cmはあるであろうぶっとい肌色のチンポ型のディルドを床の上に置きました。そして、床にペタリと置くと、ローションをたっぷりと塗りたくり、ズブリと挿入。その後は、激しく屈伸をしました。
ピチャ!ピチャ!
「あっはーーーん。」
ものすごい快楽の波が脳天を突き抜けます。やがて、潮を大量に吹き出し、意識が再び遠のいてきました。

次の冬の朝、その日も私は、大きな鞄を持ち、アソコを浸らせながら、少し離れた大きな公園の公衆便所の個室に入りました。そして、白いエナメルサイハイブーツにタイトなミニスカート、網タイツを履き、顔にはファンデーションを大量に塗りたくりました。手鏡を見ると、いい年をしたビッチがそこにいました。自分のあまりの変わりようにクラクラしてきました。

それから、満員電車に乗ります。あの男を待ちながら。アソコから液がポタポタとピアスをつたい、電車の床にポトポトと落ちてきます。後ろから、あの男の手がピアスを引っ張っているのが分かりました。
いつものように感じながら、後ろを見ると、別の男でした。
次の駅で一緒に降りて、問い詰めると、
「いやあ。彼が奥さんは1人では満足できないみたいだ、と言っていたので、代わりに来たんだ。」
と。その日、私はあの男のアパートで、2人の男のチンポと腕、それに極太ディルドに散々に弄ばれました。いや、私が2人の男を弄んでいたと言った方がいいのかもしれません。

その後、私は2人では満足出来なくなり、3人、4人と増えていき、ついには同時に20人以上とするようになりました。それでも満足できずに、夜な夜なクラブで美味しそうな若いイケメンのチンポや腕を貪り食ってセフレにしています。もちろん、両方の穴を使って。

それから、女と牝しての悦びを教えてくれなかった夫に復讐をしました。自分の霰のない痴態を写真に撮り、PCやスマホに送りつけたのです。
ピアスだらけのマンコを、刺青まみれのケツの穴を、無数の男達とヨガリまくっている姿を、男達の小便を呑んでいる恍惚とした表情を、全頭マスクをしながら、名前も顔も知らない男達に犯されている動画を、その他ありとあらゆるアブノーマルなプレイにハマっている様子を。

裁判になっているのはこの為です。私はおそらくというより、絶対に負けます。あの豪邸からも追い出され、ボロアパートに住むことになるでしょう。でもいいのです。若い男達のチンポと腕そして極太ディルドがあれば。

QRコード
QRコード
アクセスカウンター

    アーカイブ