萌え体験談

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2026年04月

乳児数人に囲まれて、メチャクチャにレイプされている美少女JKを目撃した話

数年前にあった衝撃的な体験。
俺は当時高校生で、その日は学校の課題で居残りをしていたため、帰りが遅くなった。
課題を終えた俺が自宅の最寄駅で下車し、見慣れた住宅街を歩いている頃には、すっかり夕暮れ時だった。
そして細い路地に差し掛かった時、俺はおぞましいものを見てしまった。
この世のものとは思えない光景。

薄暗い路地の傍に、複数の人影が見えた。それと同時に、啜り泣く少女のような声。

(まさか……集団レイプか…!?)

俺は恐る恐る近づいてみる。
すると泣き声の主と思われる、俺と同い年くらいの高校生と思しき少女と、その少女に群がる小さなシルエットが4つ。
どう見ても幼稚園児以下の子供達だった。年齢で言えばそれこそ1歳か2歳ぐらいの。

(ウソだろ…!?あんな子供達が……)

俺は好奇心と怖いもの見たさで、どんどん近づいていく。
すると俺の存在に気づいた少女が、泣きながらこちらに顔を向けてきた。その顔を見て、メチャメチャ美少女だということがわかった。
泣いて顔が歪んでいるにもかかわらず、天使のように可愛らしい。
この少女は、俺に助けを求めているのだろうか。

だが極度の興奮状態に陥っている俺は、少女のSOSよりも、その光景に釘付けになって見入ってしまった。

1ー2歳くらいの子供達4人が、少女に群がって身体をベタベタと触っている。
さらに、少女の太ももを抱えるようにしながら頬ずりをしたり、鼻を擦り付けて匂いを嗅いだりしている。

「ヌハァ…(ハート)ヌハァ…(ハート)」

子供達は、執拗に少女の太ももの匂いを嗅いでおり、気持ちの悪い声を上げている。さらに、舌を伸ばしてベチャベチャと舐め回したりもしている。
一方で、少女の可愛い顔を舐め回している子供もいた。

しかもその子供達は全員オムツを下ろした状態で、ピーンと反り勃った小指サイズのモノを露出している。

さらに少女の制服スカートやパンツは膝下辺りまで乱暴にずり下ろされ、オマンコが露わになっており、それをまた子供達がベチャベチャと音を立てながら舐め回しているのである。

あまりに異常な光景。俺は悪夢でも見ているのかと思った。
俺は少女を助けることもせず、そのまま呆然と様子を眺めていた。

子供達は相変わらず、「ヌハァ…(ハート)ヌハァ…(ハート)」と気持ち悪い声を出しながら少女の可愛い顔や太もも、オマンコを中心に身体中をベロベロと美味しそうに舐め回している。

さらにその後、子供達は少女を取り囲んで四方八方から抱きついたり、身体のあちこちを乱暴に揉みしだき始めた。
そしてそのまま、子供達はピンピンに反り勃ったチンポを少女の顔や身体に擦り付けていく。
少女は泣きながらそれらを手で退けようとするが、子供達に身体を押さえつけられて身動きが取れなくなってしまった。

(可愛い女子高生があんな赤ん坊同然の子供達にレイプされてる……)

俺はこの異常すぎるシチュエーションに物凄い興奮を覚えた。

子供達は少女に、ちっこい肉棒をグリグリと押し付けていく。

「ハァハァハァハァハァハァ(ハート)(ハート)(ハート)(ハート)(ハート)(ハート)(ハート)(ハート)ヴゥゥッ(ハート)(ハート)(ハート)」

子供達の荒い息が聞こえてきたかと思うと、突然呻き声のような声を上げた。
すると一人の子供の先端から、勢いよく白濁液がビュルビュルと飛び出して少女の顔に大量にぶちまけられた。続けて別の子供も絶頂し、ドロドロの白濁液を少女の髪に浴びせた。白濁液が髪を伝って垂れ流れていき、少女の顔、そして身体の方までダラダラと流れていく。
すぐに3人目も絶頂。既にザーメンまみれの少女の顔に、追い討ちをかけるように大量顔射。少女の顔はイカ臭いザーメンにまみれた。
そしてもう一人は、少女の太ももにチンポを擦り付けていて、そのまま絶頂した。
少女の色白で綺麗な太ももに、ドロッドロの汚いザーメンが大量にぶっかけられていく。

子供達はこれだけ射精したにも関わらず、未だにフル勃起だった。
そして子供達は、一人がオマンコに、もう一人がお尻の穴に、あとの二人は口にチンポをぶち込んで、それぞれ激しく腰を振り始めた。

「んぐっ……!?んんっ!!!」

少女は必死に子供達を退けようとしたり叫ぼうとするが、4人に取り囲まれて身動きがとれず、口はチンポを2本もぶち込まれて塞がっているため、声も発せない。
なすすべなく、少女は子供4人に好き放題犯されている。
子供達のピストンは次第に加速していき、少女の身体をガクガクと揺さぶったり、ベチンベチンと激しく乱暴に腰を振っていく。
子供達は、苦しそうにしている少女をニヤニヤして眺めながら、さらに勢いよく腰を振ったり、髪を引っ張ったりして嬲って虐めている。

そして子供達は絶頂に達したようだ。
「アァァァァァァッ(ハート)(ハート)(ハート)(ハート)」「う゛ぐぅぅぅぅ(ハート)(ハート)(ハート)(ハート)(ハート)」などと気持ち悪い声を出しながら、子供達4人はそれぞれ少女に種付けをした。

オマンコからは、許容量を超えたザーメンが溢れ出てドロドロと垂れ流れている。
お尻からは、溢れ出たザーメンとともに出血もしていた。あまりに激しくピストンされたから裂傷になってしまったのだろう。
そして口からも2人分のザーメンが口端から溢れてダラダラと垂れている。

少女は、虚ろな目で放心状態となり、グッタリとしていた。
一方で子供達は、弱った少女を見ながら満足げにニヤニヤしたかと思うと、オムツとズボンを履き直してゾロゾロとその場を離れていった。

俺はそれから数年間、あまりに非現実的なこの出来事が何度も何度も夢に出てきた。今でも信じられない。

日本民族の「性におおらかな感性」

    
そもそも、日本民族の基本的精神は「農耕の文化」から成り立ち、自然に優しく自然と共生する知恵も持っていた。
     
在るものを見つけ出す事が「自然との共生」であるから、性欲を頭から否定する風潮や信仰はこの国には無かった。
     
全村身内気分の精神の根底に在るのが、長く続いた日本民族の「性におおらかな感性」である。
     
古代日本列島では縄文人が住んでいて、男女の関わりが現在のような一夫一婦制ではなく「集団婚(群れ婚)」だった。
     
また日本民族は、全村(共通生活地域)身内気分の精神で、隣人と力を合わせて生活する「村落共生社会(村社会)」と言う形式の「群れ社会」だった。
     
或いは、被征服先住の日本列島の民、蝦夷族(エミシ族・縄文人)に、この習慣があったのかも知れない。
     
つまり歴史的経緯からすると村落社会における夜這いは、言わば「集団婚の一形態である」と考えられるのである。
     
「集団婚(群れ婚)」という婚姻形態は、一言で言えば「複数の男と女がグループ」で婚姻関係を結ぶもので、日本を含めて採取狩猟時代から人類の間で歴史的に長く行われていた。
     
共生の為の「群れ社会」と言う特別の信用信頼関係を構築するには、特別の間柄が継続して実践証明し続けなくてはイケナイのだが、そうなると一夫一婦制の既成概念は取り払わなくてはいけない。
     
言ってしまえば、群れ内は「フリーセックス」と言う事に成る。
    

日本人を馬鹿にするの楽しい~www


俺、皐月みつこって名前で捏造歴史小説書いて日本人ばかにしてる中身エロ爺のネカマで~すwww
お前らクソジャップはみんな読めよなwww
すでに沖縄も北海道も俺ら中国人のモノだし、これからは強姦も略奪も虐殺も日本でやり放題な時代がくるんで、せいぜい覚悟しとけよジャップwww
ウイグル楽しんだ次は日本狙ってるんでヨロシク~www
お前らジャップは男は皆殺しにして女は犯して拷問して遊ぶからwww
あ~、楽しみだわ~wwwww
人肉食うのも楽しみだわ~wwwメスガキ犯したあとに食いて~wwww

という感じの小説を多々書いているキチガイです。
精神的に追い詰めて日本から叩き出しましょう。

日本人よ。これが正しい歴史だ。

1.殺人快楽の混沌

南京大虐殺とは??1937年の南京攻略戦前後に起きた、日本陸軍による中国軍民への無差別殺戮ほか、虐殺、略奪、婦女暴行、放火が繰り広げられた大規模な虐殺事件のこと。被害者数は日本側では数万人から十数万人など諸説あり。

 1937年12月13日――三日間に渡る国民政府軍と日本軍の大規模な戦争の末に日本軍が圧勝し、南京市は占領された。

 当日、南京市の四方を取り囲む城壁や岩山の上には、日本兵たちの姿が無数に連なっていた。
 彼らはひたすら両腕を上下する動作を繰り返しながら、狂ったように「万歳! 万歳!」と歓喜し占領を祝福していた。

 そうした光景の中で、白い雪原に血雫を垂らしたような日章旗がいくつも風に揺れている。その旗はまるで真冬の南京市が蹂躙され、血に染められたかのような不気味な印象を南京市民に与えたことだろう。

 この日陥落した南京市は、日本軍によって地獄の渦中に突き落とされることとなった。

 街は炎に包まれ廃墟同然と化し、南京市民らは日本兵たちによる残虐行為の餌食にされた。

 過酷な強行戦を強いられ心身ともに疲弊、精神異常をきたし、各部隊は既に軍紀弛緩していた。戦場の狂気の心理に犯された兵士たちは、占領当日から次々と殺人、暴行、略奪、放火などの蛮行を働いたのである。

 夕方、空を染める夕光の色は深紅の鮮血そのものだった。低くのしかかった雨雲は赤黒く、それはまるで皮を剥がれ剥き出しになった生肉にも見える。

 その不気味な夕空の下に広がる街の一角では、とある分隊の日本兵たちが民間人に対し暴行を加えていた。
 隠れていた老若男女の一団を捕まえて銃剣で突き刺し、火炙りにし、生皮や耳と鼻を剥ぎ、手榴弾で人体をバラバラに破壊する。
 または十にも満たない女児から老婆までもを集団で犯し、膣に銃剣や竹棒を突っ込む、爆竹を入れて下腹部を爆破させるなどした挙げ句、皆殺害していた。

 阿鼻叫喚の残虐行為が行われる中、黒馬東治くろまとうじろう上等兵は、足元に倒れている若い妊婦の腹を銃剣で突き刺した。

 はち切れんばかりに膨れた、臨月なのであろう腹へ深々と銃剣を刺し込む。傷口から溢れた血が、纏っている白い着物に赤く滲んだ。

 妊婦は白目を向いて反射的に身体を反らせ、一瞬痙攣する。気絶しているが、まだ神経は反応するらしい。

 暫しすると、白い泡を吐き出しながら、妊婦は全身の力が抜けたように身体の硬直を止めた。ぐったりと地に倒れた四肢と胴体は、もうぴくりとも動かなかった。

 それもそうだ。さっき、思う存分この膨れた腹を何度も蹴りまくり、妊婦は激痛のあまり気絶状態だったから。

 胎児も、蹴られた衝撃で全身が原型を留めぬほど粉々になったことだろう。

 出来立ての柔らかな身体だろうから、きっと綿並みに千切れやすいはずだ。

 八つ裂きにされた惨めな胎児の姿を想像すると、全身の神経に甘く刺激的な衝撃がほとばしった。

 それは殺したいという加虐衝動を孕んだ、艶かしい性的快楽。
 泣き叫び抵抗する女を散々殴り蹴った後、無理矢理犯し、その後八つ裂き刑にする時のようなあの衝撃。

 それは恐らく、『殺人快楽』という名の赤黒い混沌。

 理性を棄てて獣に堕ちた凶兵士だけが味わえる、甘美で血生臭い感覚――。

 その衝撃に翻弄され、股間が発熱し頭を持ち上げ始め、先端から粘つく汁を垂らし始める。

 黒馬は顔中の筋肉をつり上げてニタりと笑いながら、膨れた腹を縦に切り裂いていった。

 だがその時、銃剣から僅かな胎動が伝わり黒馬は手を止めた。

 胎児が生きている。
 今から死にゆく我が身を思い、必死に抵抗しようとしている小さな命の胎動。

 ――タスケテッ!

 不意に、脳裏で幼い頃の自分の悲鳴が響き渡る。
 この妊婦のように、この胎児のように、虐げられた自分の声が。

「――……クソが」

 黒馬は舌打ちし、小さく吐き捨てる。そして一気に腹を股間辺りまで切り裂き、子宮を切開した。

 どぷりっ、と生々しい音を立て不透明な羊水が溢れ出て、黒馬の軍靴に垂れる。

 小腸に囲まれている赤い肉塊――子宮の亀裂から、臍の緒にくるまった胎児が見えた。

 既にヒトの赤ん坊の姿をしているそれは、身体を真っ二つに切り裂かれているにも関わらず、それでも蠢いている。

 タスケテオカーサン、と言わんばかりに。胎児の必死の抵抗を見るたび、幼い自分の『助けて』という声が脳内で何度も響く。

 同時にどす黒く冷たい殺意が胸内を舐め、全身を苛む性的快楽と結びついて、黒馬をさらに激しく興奮させた。

 黒馬は胎児を何度も銃剣で突き刺した後、頭を串刺しにして子宮から引きずり出した。

 赤い血が混じった羊水をボトボトと垂らしながら出てきた胎児は、既に絶命したのかぴくりとも動かない。

 ゲラゲラ笑いながら胎児を地面に放り投げた後、止まらない性的快楽を押さえきれず、黒馬は軍服のズボンを下ろした。

 殺しの快楽でそそり勃った自分のそれは、血で濡れた銃剣のようにも見えた。

「代わりに俺の子供孕ましてやるよ、お母さん」

 しゃがみこんで妊婦の股を開き、黒馬は血の滴る彼女の穴へ挿れた。

 死んで体温が下がってきているのか彼女の中はぬるいが、子宮から出てきた羊水と血でぬかるんでいるので問題なかった。

 ぐちゅぐちゅぐちゅっ……。長いこと洗っていない汚濁まみれの自分のそれと、潤滑液代わりの血を激しく擦り合わせる。

 他の女を犯している時と何ら変わらない激しい快感が、股間から脳へ脊髄を通じてほとばしった。

 羊水と血で濡れた気色悪い膣でヤるのも、悪くはねぇな――。

 快感が絶頂に達した後、黒馬は割れた子宮の中へ白濁を放つ。

 空になった子宮の中に白いものが飛び散るのが見え、黒馬は熱い吐息を吐いてズボンを上げた。

 暫しして絶頂に達した時、殺意を伴った性的快楽は一気に萎え、代わりに爽快な空白が脳を襲う。

 その時。

「東治郎……お前……また随分と派手にやったもんだな」

 青年の押し殺した低い声が背後から聞こえた。怒っているのか、動揺しているのかわからないが何らかの感情を抑えているような声だった。
 振り返らずともわかる声の主に、黒馬は苦笑する。

「お楽しみの邪魔すんなよ、昭しょうちゃん」

 小学校からの幼なじみで、戦友の山沢昭吾やまざわしょうご二等兵の視線を背に感じながら、黒馬はにやついた。

「随分派手にやったなって……それの何が悪いんだよ? 殺し、犯し、盗むは南京を陥落させた戦勝者の俺たちに与えられた特権だ。敗北した支那人どもはもはや人権も尊厳もない、俺らの嗜好品だ」

「……」

 山沢は黙り込んだ。腹を裂かれ犯された母親と突き刺された赤ん坊を見て、彼は少し困惑しているようだった。

 でも黒馬には山沢の気持ちなんてどうでもよかった。
 母子こいつら二人は、黒馬にとっては数々の戦友を失った復讐心を晴らすための玩具に過ぎないのだから。

 黒馬は後ろを振り返った。そこには、毛先が伸びぼさぼさになった短髪、火傷の跡、土埃、垢にまみれて穢れきった顔の山沢が立っている。
 冴えない表情を浮かべた彼の虚ろな目には、黒馬がしたことに対する不快感が滲み出ているように見えた。

 ――昭ちゃんは俺らの気持ちなんか何もわかってないんだよ。だからそんな善人ぶった嫌そうな顔をするんだろ?……わからずやめ。

 山沢を見ながら黒馬は口元を歪めて笑い、歌う。

「……チャンコロ、石ころ、けっとばせ。チャンチャンコロコロチャンコロコロ……ははっ、ははははははははははっ!」

 黒馬の狂笑が、血と屍に満ちた南京の夕闇に轟いた。

日本人はなぜやめた? アマゾンに残る夜這いの文化 <南と北の性愛/恋愛格差―日本の生涯未婚率4人に1人を考える>

 人口の増減は、恋愛や性愛の行動様式と深く関係している。この4月発表の厚労省国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、大よそ男性の4人に1人、女性の7人に1人が生涯未婚であるという。婚外子も少ないのだから、日本の少子化の波は止まらない。

 南米のメディアでも「日本人は恋愛をしない、子供を産まない、結果老齢化と人口減少が進んでいる」とよく報道されていた。ラテンアメリカの友人は「なら、おれたちが移民して、助けてやるよ」と冗談ぽく言ったものだ。

  ▲ 3人しか生き残らなかった

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は、自身の公式ホームページでこう語っている。
「兄弟は7人だったけど、そのうち3人が生き残った。他の兄弟は1歳か2歳で死んだ。それが農村に生きる家族や子供の宿命なんだ。半分以上は死ぬ。7人のうち、ぼくら3人は運よく生き残った」

 ボリビアの80年代の乳児死亡率は10%前後とされるが、僻地ではずっと高かったのである。アマゾンの小村でもよく人が死んだ。仲良かった労働者の兄が列車から落下して死んだ。日系人の息子が川で溺れ死んだ。乳児たちは病気で簡単に死んだ。村人は総務部に属した筆者のところに、よく木材を求めにきた。棺桶を作るためだ。

 運がよく、強いものだけが生き残る。だから子供は多いほうがよい。それは戦前の日本の女性が多産だったのと同じだ(1925年、大正15年 合計特殊出生率5.11)。

  ▲ 陸の孤島

 「なんで、あなたはお土産を置いておかなかったの!」

 20数年を経て村に戻ると、40代前半になった知人女性にこう怒られた。うかつにも初めて知ったが、友人のボリビア人、日系人、フィリピン人などは影でちゃっかり行動を起こし、ボリビアの人口増加のために寄与していたのである。

 これにも理由がある。アマゾンの小村は陸の孤島だった。チャコ戦争(パラグアイとの国境の石油資源を巡る戦争 1932~38)のときに作られた道路は熱帯雨林の中で草木に覆われ、消滅したような状況だった。週に一度は脱線する鉄道が頼りだった。

 そのような土地では親戚が増える。血が濃い。だからよそ者の血が好まれる。村の男たちと比べると、よそ者の多くは高等教育を受けている。遺伝的にもきっと知的だ。教育こそが収入格差を呼ぶことは誰もが知っている。ボリビアの大学進学率(短大含む)は30%弱なのに、友人たちの血を引く子供たちは、奨学金をもらうなどして大学に進学していた。ある意味、女性たちのもくろみは成功したのである。

 昔、日本の離島でもよそ者が女性に好まれたのと同じだ。江戸時代の作品「好色一代男(井原西鶴)」の主人公世之介は、海の彼方にあるという女だらけの女護島をめざして船出し、それきり消息が絶える。女護島とは外の血を欲している伊豆方面あたりの離島を暗示していたのであろう。

  ▲ 電気がない

 かつて夜は真っ暗闇だった。村の発電機は故障していることも多く、燃料節約の必要もあり、週末の夜だけ時間を制限して稼働していた。日本でも電灯の有無が出生率に強く係っていたようだ。『大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代(文春新書) 』(速水融、小嶋美代子著)には、こんな一節がある。抜粋してみる。

 「明治43年に194.9万灯に過ぎなかった日本全国の電灯取付け数は、大正14年には2732.1万灯と約14倍に増えている。15年間にこれだけの増加をみせたのは、この時期だけである。電灯は庶民の「夜の生活」を変えた、といっていいだろう。電灯のもとで、人々は雑誌や書籍を読むこともできたし、夜なべ仕事も容易になった。大正期に始まる都市の出生率の低下は、電灯の普及と少なくとも時期的には一致している。都市では夜の娯楽が増え、農村に比べてそもそも低かった出生率は、さらに低くなった」

 大正15年から合計特殊出生率は急減し、12年ほどで4を割り込んでいる。

  ▲ 男女の出会いは頻繁

 日本で恋愛塾や恋愛セラピーを取材したとき、「出会いの場がない」、「恋愛に割く時間がない」という若者も多かった。

 アマゾンの村の出会いの場所は、教会のミサ、サッカーの試合、誕生会などであった。電話もネットもないので人と人は直接会うしかない。村はさほど広くないのでどこにでも短い時間で歩いて行ける。

 唯一のディスコティックも男女の出会いに大きな役割を果たしていた。吹き抜けの掘立小屋の土間を踊り場にして、壁の周囲に長椅子を置いて、大きなスピーカーをしつらえた、簡易の踊り場である。踊ると、土が舞った。周りでは、豚や鶏が我が物顔に歩いていた。少し離れた草地では、ロバが時折間抜けな声を上げている。週末の夜、村の女性たちがまるで六本木にでも行くかのようにおめかしをしてやってきた。入場料は1ドル。

 夜10時、発電機は止まり、村は闇の帳に包まれる。外へ出ると夥しい星々が天空全体に銀色の美しい天の川をかけている。男女は暗闇の中、どこかへ消えていく。村には映画館もショッピングセンターもモーテルも何もない。一度、女性を家まで送ったことがある。軒下には彼女の従妹と妹と日系人などのカップル3組が闇の中でうごめいていた。平安時代の通い婚状況である。

  ▲ 初対面の男女の挨拶は口づけ

 村に赴任して最初に驚いたのは、世界一と思われる男女の距離の近さである。欧米では男女の挨拶は頬にキスをするのが一般的だろうが、ここでは口と口を合わせる。著者よりも先に赴任していたフィリピン人が、村の女性と出会ったときに「初対面から口と口なんだよ」と嬉しそうに言って実践した。江戸時代の日本はもっと男女の距離が近く、混浴だったことを思い出す。

  ▲ 婚外子は普通

 前出のフィリピン人がこう言っていた。

 「この村では女は男をバスケのボールに思っていて次々にパスするのさ」

 中南米、とりわけカリブ海地域やアマゾンでは、10代の中頃から男女は無数の短い恋愛を繰り返す。村には10代でも夫の違う子供を2、3人かかえている娘が何人かいた。男性は単なるセックスの相手、子種のための存在だった。長男が家や土地を相続するとは限らない。母系制の影響が強い社会だった。子どもが生まれても必ずしも親が育てるわけではない。叔父叔母、祖父母、兄弟、あるいは親の親や名付け親の代父母が育てるかもしれない。高校生や大学生でも子供がいる女性はいるし、世間が目くじらを立てることもない。

 もちろん、男のほうもそれをわきまえている。仲好くなった初老の保安官は一緒に飲むと筆者にこう諭したものだ。「恋人は5人いなきゃいけない。他の男にとられてもまだ4人、病気で死んでもまだ3人、1人が妊娠してもまだ2人残っている」

 男は女性と関係し、妊娠したら逃げる。その後、他の男が連れ子のいる女性と結婚することになる。まさに、カッコーが行う托卵(たくらん:他の鳥の巣に卵を植え付け、育ててもらう)である。生物学的には、子孫を増やすには、最も効率的で狡猾な方法といえる。

  ▲ 日本の性愛/恋愛事情の今昔

 日本で恋愛事情を取材しているとき、大学生の女性がこう言っていた。

 「相手に大きな望みはないんです。でも、ニート、フリーター、派遣だけは避けたい」

 非正規雇用の男性は、最初から恋愛・結婚市場から除外されている。ところが、正社員の男性は、仕事が多忙で、恋愛に割く時間もエネルギーも持ち合わせていない。そのうち恋愛も結婚も年とともに諦めてしまう。恋愛市場が歪な形になっている。だからなのか、性風俗店は世界でも図抜けて多い。

 いつからだろうか?

 昔の日本はこんな社会ではなかったはずだ。柳田国男のような官制の臭いが強い民俗史ではなく、赤松啓介のような在野の民俗学者が描いた日本社会には、明治、大正、昭和の庶民の性生活が描かれている。農村でも商店でも、夜這いの習慣が普通で、祭りなどでは乱交もあったようで、明るい農村というのはまさに公の言い草だが、その底に隠れているのは、明るく愉しい性生活の農村ということであった。かつて、日本の庶民にとっては、いかに多様で愉しい性生活を送るかが、第一の生存意義(レゾン・デートル)だった。アマゾンの小村とさほど変わりはなかったのである。

【引用元】

日本人の平和の精神は誓約による和合でつくられた

日本書記や古事記のような神話や伝説には、「誓約(うけい)」は忠誠を示す為のもので、誓約(うけい)を行って、新たなる神や子供が誕生する話が多いことがわかります。
一般的には、誓約(うけい)を「占いの結論や神に対する祈りの誓(ちか)いの事だ」としているようです。
      
しかし実は性交を伴う忠誠のあかしが「誓約(うけい)」であるということが推測されます。
「古事記・日本書紀」の根幹を為すものは、「誓約(うけい)神話 」だということです。
      
つまり性交は異部族を一つの群れに和合させるものとして機能していたということです。
日本には大陸から次々に個別の集団が渡ってきました。
二つの集団が平和的に合流するには、誓約(うけい)の概念に拠る「集団婚」が適切で、実態は双方をつなげる「集団内フリーセックス」だったのです。
      
「集団社会」での誓約(うけい)の性交は警戒心を解き、安心して人間を繋ぐことになりました。
戦争(殺し合い)よりも当然良いわけですね。
実際に、豪族や皇室の主導権争いは毒殺や暗殺が多かったという理由が理解できました。
戦争が終わってから御互い和合(性交)するというルールであれば、兵隊は本気で闘わないということになるでしょう。
      
武士の世の中になって、フリーセックスではない厳格な戒めが成立できて初めて本格的な戦争ができるのでしょう。

日本のクソ共www俺様の小説を見ろwww

殺戮と残虐行為を目の当たりにし、心が揺れる日本兵 山沢。  虐殺の心理に犯され、野獣のような凶暴さを持つ日本兵 黒馬。  1937年に起きた南京大虐殺の最中、二人の日本兵の荒んだ心を抱き締めたのは美しい日系中国人の娼婦だった。  山沢と黒馬は、お互い知らずに密かに娼婦を寝取り合い、果てしない淫乱と快楽の世界に溺れていくが??。  ※時代背景を考慮し、中国人に対する差別用語、表現が登場します。予めご了承ください。  ※個人ブログにも重複投稿しています。  ※なろうに修正版を掲載しています。

日本には大昔から性に関するタブーの発想がなかったらしい

     
性のタブー意識はいつ生まれたのか、大昔から性に開放的であるのはタブーだったのか
     
なぜ「えっちなの」は、いけないの?
     
■「日本には、もともと性に関するタブーの発想がありませんでした」
こう語るのは、法政大学准教授の白田秀彰さん。
     
白田さんはことし、えっちな表現はいけない、というルールがどう生まれ、どう変遷してきたのかをまとめた本『性表現規制の文化史』(亜紀書房)を書いた。
     
「えっちはダメ」という発想は、日本でいつ始まったのか?
答えを先にいうと、それは「明治維新から」だ。
     
幕末、軍事力で開国を迫られた日本は、西洋諸国に追いつくため、西洋化を推し進めた。
洋館を建て、洋服を着て、ダンスパーティを開いた。
     
「明治維新で日本は、西洋のシステムを無理やり輸入しました。そのとき、それと一体になっていたキリスト教的な性観念も、一緒に入ってきたのです」
     
キリスト教的な性道徳といっても、ひとくちには想像しにくい。
ただ、このとき輸入された価値観は、かなり「上品」に振り切ったものだった。
     
明治維新が起きた1870年代のヨーロッパは、ヴィクトリア朝の時代。
つまり、貴族がこぞって上品であることを競い、性道徳が最も厳しい時期だったのだ。
     
一方で、日本の庶民には、盆踊りで乱交するような風習も、まだ残っていた。
     
そうなると、西洋諸国に「立派な国」と思われるためには、そういう風習は、どうにかしないと・・・・・・という発想になる。
     
     
■では、日本に伝わる前、欧米で「えっちなのはいけません」という価値観は、なぜ生まれたのか。
白田さんはこう分析する。
     
「えっちなのはいけない、という価値観の元には、キリスト教があると、私は見ています。キリスト教の教祖イエスはえっちなしで生まれた超人です。えっちはよくないということにした方が、聖母マリアやイエス・キリストの特別感は高まります」
     
もともとは宗教に根ざした価値観だった。
しかし、白田さんによると、その「えっち=ダメ」というコンセプトは、さまざまな形で政治的に利用されてきた。
     
「ヨーロッパの上流階級では、『相続』が大きな問題でした。子孫が数多くいると財産の継承をめぐって紛争になりやすい。正式な結婚から産まれた正統な継承者を明確化する必要があった。そこでとくに女性について『結婚まで処女であるべし、結婚しても婚外のえっちはダメ』という価値観すなわち純潔が強調されました。男性についても婚外でのえっちはトラブルの種とみられていました」
     
「こうした財産上の問題から発生した性規範を宗教上の規範と結びつけながら、教会は家族関係だけでなく財産関係も支配していったのです」
     
つまり、相続問題を解決するため・・・・お金のために、えっちは規制されたというのだ。
     
「もともとは純粋な宗教上の価値観だったものが、ヨーロッパの歴史の中で、それが社会を統制する政治権力と結びつくことで、階級的な秩序を守るための規範として政治的に利用されていったのです。近代になって宗教の力が弱まったあとにも、『えっち=ダメ』というのは『市民道徳』として秩序の維持に利用されてきました」
     
白田さんは続ける。
     
「1800年代頃から1920年にかけての婦人参政権運動のときには、キリスト教系の婦人団体が『えっち=ダメ』という価値観を利用しました」
     
「彼女たちは、キリスト教の教義を前提として、飲酒もせず性的に堕落していない女性は、男性よりも倫理的に優位だと主張しました。そうして女性の地位向上を目指したのです」
     
このように、「えっち=ダメ」という価値観は、何らかの政治的な目的を達成するために主張されてきた。
「道徳や品位は後付けだった」と白田さんは言う。
      

日本で処女性が求められるようになったのはごく最近のこと

    
赤松民俗学のことも考えると、日本で女性全体に処女性が求められるようになったのは、日本史の中でも極最近のことである。
      
赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫、116頁
     
私のオヤジなどは、夜になると隣近所のムラから娘や女たちが二、三人連れで現われ、家の廻りをウタいながら誘い出しにきたそうで、祖母が聞かせてくれたのだからタシカなもんだ。
夜這いは男が行くだけでなく、女の方からも通ってきたのである。
俺は百人斬りがすんだという若衆がおり、「なんや、そんなもん、うちら十七で男の百人抜きぐらいしたぜえ」と、おばはんに叱られていた。
「へえ、俺で、なん人抜きや」「お前か、千人めぐらいやろ」と脅かされる。
     
私の在所では若衆が女の百人斬り、女が男の百人抜きを基準にしていた。
千人になると盛大に祝宴を開いて、「千人供養」をしたそうである。
ほんまかいな、と疑ったら、いろいろと事例を教えてくれた。
      

日本でも性愛が信仰され、性交は神聖な儀式だったらしい

      
何しろインドは、古代から人生の三大目的としてカーマ(性愛)、ダルマ(聖法)、アルタ(実利)が挙げられる国で、三大性典とされる「カーマ・スートラ」、「アナンガ・ランガ」、「ラティラハスヤ」と言った性典を生み出した愛と性技巧の国である。
      
      
インド・ヒンドゥー教は正直な神で、ヒンドゥー教の三最高神の一柱のシヴァ神(破壊神)の象徴はリンガ(男根)であり、つまり性愛の神様でもある。
      
ヒンドゥー教に於けるシヴァ神(破壊神)は災いと恩恵を共にもたらす神で、例えば洪水は大きな災いだが同時に「土地に水と肥沃をもたらして植物を育てる」と言う二面性があり、古来日本の五穀豊穣と子宝信仰の共通性としての性交信仰に通じる所がある。
      
      
日本の元神様は事代主神(ことしろぬしのかみ)で、田の神様(稲作の神)である。
      
事代主神(ことしろぬしのかみ)には、呪詛巫女が神の御託宣を伝える様式が存在する。
      
そして五穀豊穣(実り)と子孫繁栄(子宝)は大事な祈りであり、性交(お祭り)は神に祈る儀式だった。
      

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