同じことは越中鵜坂社の尻叩き祭り、常陸鹿島神宮の常陸帯にもいうことができる。
鵜坂社は現在の富山市にある鵜坂神社のことで、平安時代後期の歌人として知られる源俊頼は、この祭りについて、
「鵜坂祭りの夜は榊にて女の男したる数にしたがひてうつなり」
と記している。
つまり筑摩神社の鍋の代わりに男と関係した数だけ榊の枝で尻を打たれるというのである。
ここにも中世には御厩が置かれており、歌垣も盛んだったと思われる。
そこで多くの男を経験することは、当時の女性にとって勲章だった。
女性たちはそれを告白することによって祭りのスターとなったのである。
これに対して鹿島神宮の常陸帯は、やや趣きが違っている。
この地方では『常陸国風土記』の時代から歌垣が盛んだったせいか、平安時代には沢山の男を知っていることが、さほど目立ったことではないとされた。
常陸帯の「神事」はそういう土地柄を背景にしたもので、多数の男と関係した女性が、「今夜はどの男にしようか」と迷った場合、帯(紙の短冊)に男の名前を書き付けて神前に供えると、1枚だけが裏返る。
その男を選びなさいというのである。
ただし、そういう形の祭りは長くは続かなかったらしい。
いつの頃からか、多くの男と関係し、夫婦になることを求められた女が、どの男と結婚するか迷った時、帯に名前を書けば、「これは」と思う男性の帯だけが裏返るということになった。
さらに『東海道四谷怪談』で知られる鶴屋南北が1813(文化10)年に発表した『戻橋背御摂』の中に、次のようなセリフがある。
「常陸帯の神事にて、暗がりながら拝殿の、帯にて縁を結ぶの神。引き合はせには、その夜の雑魚寝」
この文句からすると、江戸時代の後期には雑魚寝で相手の女性を決めるための手続きとか、くじと見られていたようだ。
いずれにしろ、これらの奇祭が平安時代の女性たちの「自己実現」と見なされていたことは確かであった。
遊女になることが理知的な女性のキャリアアップなら、これらの祭りは地方の女性が性のアイデンティティーを確認する機会だったといえるかも知れない。
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