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しかし2人からのその提案に、香苗はどうしても乗り気にはなれなかった。


香苗 「ご、ごめん私、明日朝から色々とやらないといけない事あるから……。」


恭子 「朝からって、祐二さんが帰って来るからですか?」


香苗 「う、うん、一応ね……。」


中嶋 「旦那さん想いなんですねぇ、ますます旦那さんが羨ましい。」


香苗 「そんなに大した事ではないんですけどね。」


本当の理由はそれだけではない、中嶋に対して生まれている警戒心が、早く自分の部屋に戻りたいという気持ちにさせていたは確かだった。


恭子 「そうですかぁ、でもまた何時でもできますしね。お隣同士なんだし。」


香苗 「そうね、またいつでもできるわ。」


中嶋 「次はぜひ旦那さんも。」


香苗 「そうですね。」


片付けを終えた頃には時計は0時を回っていた。

帰る香苗を玄関まで見送りに来た中嶋と恭子は仲良さげに肩を寄せ合っていて、まるで新婚の夫婦のよう。


恭子 「今日は美味しい料理ありがとうございました。」


香苗 「いえいえ、こちらこそ美味しいお酒ありがとね。」


中嶋 「奥さん、旦那さんに宜しく言っておいてくださいよ。」


香苗 「はい。今日はホントに楽しかったです、また今度やりましょう。それじゃおやすみなさい。」


恭子 「おやすみなさ~い」



軽い挨拶をして恭子の部屋を出た香苗はすぐ隣、自分達の部屋のドアを開けて中に入っていった。


香苗 「……ふぅ……」


自宅の玄関で香苗は思わず深く息をつく。

香苗はなんだか妙に疲れを感じていた。

久しぶりにお酒に酔っているからだろうか、それとも中嶋にあんな事を言われたからだろうか。


キッチンへ行き、冷蔵庫を開け、ボトルに入った冷えたミネラルウォーターを口に含む。


香苗 「……はぁ……」


アルコールで少し火照った身体がなんだかだるく感じる。

鏡に映っている火照った自分の顔を確認して、熱くなっている頬っぺたを手で触りながら、香苗は中嶋の言葉を思い出していた。


……奥さんも色々と溜まるものもあるでしょう……


……美味そうな身体してるよなぁ……


香苗 「……何言ってるのかしら……あの人……。」


今1人になって冷静に考えてみればみる程、中嶋という男が下品に思えてきた。

あのニヤけた表情。

中嶋に言われた言葉を思い出すだけで、なんだか今まで感じた事のないような変な気分になる。

不快感?嫌悪感?違う、そんなんじゃない。


……なんなのよ……


まだ今日会っただけなのだが、香苗にはどうしてあのような男性が恭子のような真面目な女性と恋仲になれたのか疑問に思えてきていた。

もちろん、ああいった男性が恭子のタイプだというだけの話なのかもしれないが。

香苗に対するセクハラ的な言葉も、もしかして中嶋にとっては日常茶飯事でごく普通の挨拶のようなものなのかもしれない。

それでもあんな事をストレートに男性に言われた事など香苗は今までなかったのだから、驚いてしまっても仕方ないだろう。

そんな事を考えると、何かちょっと、恭子と中嶋が別の世界の人間であるかのように感じてしまう香苗。

同じ男性でも祐二とは全く違う人間性を感じる中嶋、そしてその男を恋人として選んでいる恭子に距離を感じたのだ。


香苗 「恭子さんも、変ってるわよね……。」


そんな事を呟きながら、香苗はミネラルウォーターのボトルを片手に何気なくリビングから窓の外を見た。


香苗 「あらやだ!洗濯物っ!」


ランダに祐二のシャツを干したままにしていた事に気付いた香苗は、思わずそう声を上げ、慌てて窓を開けてベランダに出た。


香苗 「あ~ん、ちょっと湿気吸っちゃったかなぁ……明日もう一度陽に干さないと。」


干されていたシャツの生地を触り、残念そうにそう呟いた香苗は、洗濯物を一度部屋に取りこむために物干し竿から外そうとした。


と、その時だった。


「アッアッ……ンァ……ハァ……ダメ……ハァ……アッアッ……!」


香苗 「……!?」


何処からともなく聞こえてきた、誰かの声。


……ぇ?……


洗濯物を手で掴んだまま動きを止めた香苗は、そのままその場で耳をすましてしまう。


「ァハァ……アンッ…アッアッスゴイ……ああ……」


香苗 「これって……」


その声が女性の喘ぎ声だという事にすぐ気付いた香苗は思わず口に手を当てた。

この喘ぎ声が恐らくあの行為の最中のものである事は、大人の女性である香苗には当然簡単に予想の付く事である。

しかし香苗が驚いている原因はそれだけではない。

それは香苗がその女性の声に聞き覚えがあるという事と、その声は明らかに隣の部屋から聞こえてきていたからだった。


12

恭子さん……


この声質、それに明らかに隣の部屋から聞えてきているという事実に、この声の主が恭子のものである事は明確だった。

隣のベランダとの間にはしっかりとした壁があるので向こうの部屋からこちらの香苗の姿が見えることはないだろう。

しかし香苗はその声が隣の恭子のものだと分かると、反射的にその場に隠れるようにしゃがみ込んだ。

腕に洗濯物を抱えたまま、香苗は先程恭子の部屋で聞いた2人の会話を思い出していた。


……前までは毎日ヤリまくってたのによ、俺が一日3発は出さないと気が済まない事は知ってるだろ?……

……わかった、分かったから、後で、ね?……


中嶋と恭子は恋人同士だ。もちろん、大人の2人がこういった行為をする事は当たり前である。

それを盗み聞きするなんて常識的にやってはいけない事である事は香苗はよく分かっていた。それに恭子は香苗の大事な友達なのだから。


……ダメよ……こんなの聞いてちゃ……


そんな風に考えながらも、香苗はまるで固まってしまったかのようにベランダにしゃがみ込んだまま動けずにいた。


恭子 「ァ……ハァ……アンッ…それダメだって…イヤ…ァ…アッアッ……」


中嶋 「何がダメなんだよ……好きだろこれ?お前すっげぇ感じてんじゃん。」


いつもの落ち着いている恭子とはまるで違う切羽詰まった甘い喘ぎ声。

中嶋の恭子を責める言葉が、なんだかそれを聞いている香苗に妙に臨場感を伝えてくるようだった。


香苗 「……。」


それにしても隣とはいえ、これ程までに声がハッキリ聞こえてきてしまうなんて。

聞えているのは窓越しや壁越しに聞こえるような篭った声じゃない。まるで2人がすぐ隣にいるかのように声がクリアに聞こえるのだ。


……もしかして、窓開けてしてたり…するのかな……


恭子 「ハァ……ァ……チュパ…チュパ……」


粘着質な音と、微かに聞こえるギシギシというベッドの軋む生々しい音が聞こえてくる。

無意識の内にその音を聞く事だけに集中し始めてしまっている香苗。

集中すればする程、声や音は鮮明に聞えてくる。


グチャ…クチャ…ヌチャ…

ハァ……ハァ……


2人の息遣いまで聞えてきそう。

香苗の頭の中にはすでに裸で抱き合う中嶋と恭子の姿が思い浮かんでいた。


ドキドキドキドキドキ……


速まる鼓動。思わず飲み込んだ生唾。

初めて耳にした他人のSEX。

こんな事してたらダメ……そんな風に思いながらも香苗がそれを止める事ができないのには、明確な理由があった。

ただ今はまだ、香苗自身は自分のその気持ちに気付いていない。

無意識の内に香苗の心の奥に芽生えていた気持ち。

それは他人のSEXに対する強い好奇心だった。


香苗 「……。」


ベランダでしゃがみ込み、壁の一点に視線を向け、黙って盗み聞きを続ける香苗。

頭の中は軽いパニックを起こしていて何も考えられない。ただジッと身動きをしないで聞いている。


中嶋 「おら……早くケツこっちに向けろって。」


恭子 「ン~……」


中嶋 「早くしろよっ!」


バチーンッ!!!!!


恭子 「アアッ!!」


香苗 「えっ!?」


突然鳴り響いた何かが叩かれたような大きな音。

それにビックリした香苗は思わず小さく声を上げてしまい、慌てて両手で口を塞いだ。


中嶋 「俺を待たせるなっていつも言ってるだろ?おら、もっとこっちに突き出せって。」


恭子 「ハァハァ……はい……。」


中嶋の乱暴な物言いと、恭子の弱々しい返事。


……暴力……?


……もしかして恭子さん、中嶋さんに暴力を振るわれているの?……


なんとなく隣から伝わってくる様子で、そんな事を想像をしてしまう香苗。

そう考えた瞬間から、香苗は好奇心よりもむしろ恭子の事を心配し始めていた。


……恭子さん、大丈夫かしら……


しかしそんな香苗の恭子を心配する気持ちはすぐに打ち消される事になる。


恭子 「アッ……ハァアアア……」


中嶋 「好きなんだろ?これが。」


恭子 「アアア……ハァァ……ンァ…スゴイ……奥まで…アア……」


……恭子…さん……?


そして香苗は気付く。
恭子が上げていた声は、痛さや辛さから出ている声などではなく、悦びから出ている声だという事に。


ギシッギシッギシッギシッ……!!!


中嶋 「お前も溜まってたんだろ!?オラァ!好きなだけイケよ!」


恭子 「ハァアアア!!!アッアッアッアッンァ……!!!」


2人の行為が盛り上がり始めると、香苗は再び胸の鼓動が速くなるのを感じ、さらに自身の身体の中心がカァっと熱くなっていくのを感じた。


13


頭の中をグラグラと揺らされているような気分だった。

パンッパンッパンッ……!と柔らかな肌がぶつかる音と、激しくベッドが軋む音。


恭子 「アアアハァァン!アッアッアッンーーー……ァアッアッアッ……」


恭子の切羽詰りながらも、どこか悦楽に浸っているかのような喘ぎ声。

激しい性交音を聞く事だけに集中してしまっている香苗は、まるで自分が身体を激しく揺らされているような感覚を覚える程に、中嶋に責められる恭子にシンクロしていた。


香苗 「ハア…………ゴク…………」


半開きになった口、いつの間にか乱れている呼吸。

そんな事にも自分で気付かない程に、香苗は他人のSEXを盗み聞きする事にのめり込んでいった。


恭子 「ハァァ……アッアッアッ…ダメ…もうダメェ…ンッンッンッ!」


恭子が徐々に興奮を高めていっているのが分かる。


……こんなにも声をあげて……


香苗は結婚はしている訳だし、当然SEXは経験している。だから他の多くの人々が知っているSEXを、自身も知っていると思っていた。

新婚ではないが、まだ結婚して数年、夫婦の性生活も決してセックスレスなどではないし、夫・祐二との抱き締められながらの愛情あるSEXに、香苗は満足感を得ていたし、不満などなかった。

しかし、今耳に届いている恭子のあられもない喘ぎ声は、そんな香苗にカルチャーショックを与えていた。

なぜなら、香苗はSEXの時にそんな風に声を上げた事がなかったからだ。

我を忘れているかのような喘ぎ声。理性も何もかもを無くしているかのような喘ぎ声。

それに、このベッドの軋む音、息遣い、パンッパンッパンッ!と肌がぶつかる音。
その全てが激しいもので、今隣の部屋で行われている男女の性行為が、香苗が今まで経験してきたSEXと同じものだとはとても思えなかった。


……SEXってこんなに激しいものだったの……?


まるで未知の世界を覗き見、いや、盗み聞きしているかのようだった。


恭子 「ハァァアッアッンッンッ……!」


ギシギシギシギシッ……!!!


恭子 「アッアッ…ンーー……アッアッイクッ……イクッ……ンァアアッ!!」


……


香苗 「……。」


ベッドの軋む音が止み、恭子の荒い息遣いだけが聞こえる。


恭子 「ハァ……ハァ……ン……ハァ……」


恭子の口から漏れた〝イク〟という声。香苗にはその〝イク〟という意味に心当たりがあった。

絶頂……

女性の身体が性的快感の頂に達した時にそれを経験するという事は、香苗も知識としてはもちろん知っていた。
そう、知識としてだけは。

絶頂という感覚がどういったものなのか、まだハッキリとは知らない香苗は、自分がその絶頂を経験した事があるのかないのか、それさえもよく分からなかったのだ。

しかし恭子の反応を聞いていると、恐らく自分はそれを経験した事がないのだろうと、香苗は思った。


恭子 「ハァ……もう……やっぱり英治凄いよぉ…ハァ…」


中嶋 「へへッ、また派手にイッたなぁ恭子ぉ、隣まで聞えてたんじゃないか?お前声出し過ぎなんだよ。」


恭子 「ハァ……だって……我慢できないんだもん……あっ!やだぁ窓開いてるじゃない!」


そんな恭子の慌てたような声の後に窓が閉まる音がして、恭子達の声は聞こえなくなってしまった。


香苗 「……。」


香苗は集中して耳をすましてみたが、2人の声はやはり聞こえない。

代わりに静まり返った夜の街から救急車の走る音が聞こえる。


……や、やだ…私、何やってるのかしら……


2人の声が聞こえなくなった事でやっと我に返った香苗は、1つ深呼吸をしてから、しゃがんでいた体勢からゆっくりと立ち上がった。ずっとベランダでしゃがんでいたから、脚が少し痺れている。

まだドキドキと胸の鼓動が高鳴り続けていて、身体もまだ熱を帯びたままだ。もちろんそれは今日飲んだお酒の影響だけではない。

香苗は洗濯物を抱えて、そっと足音を立てないように意識してゆっくりと自室へと入っていき、そして窓も同様に音をたてないようにそっと閉めた。


香苗 「はぁ……」


リビングのソファの上に洗濯物を置くと、香苗はため息と共にソファの空いている場所に腰を下ろした。


香苗 「はぁ……なんか疲れたぁ……」


久しぶりのお酒、そして先程の非日常的な体験。気疲れなのか、香苗はグッタリとソファの背にもたれた。


……すごいの…聞いちゃったなぁ……


恭子の喘ぎ声はまだ鮮明に香苗の頭の中に残っている。


『ンーー……アッアッイクッ……イクッ……ンァアアッ!!』


香苗 「あ~ダメダメ、忘れよっ。」


香苗は頭を横に振りながらそう呟くと、ソファから立ち上がり、汗を流すためにお風呂場へと向かった。


……他人の生活を盗み聞きするなんて…何やってるのよ私ったら…忘れないと……忘れないとダメだわ……


そうもう一度自分に言い聞かせる香苗。


しかし、人間は一度頭の中に入ってしまった刺激的な体験を、そう簡単には忘れる事はできない。

そして今日のこの体験が、香苗の中の何かを狂わせ始める事になるのであった。


14


祐二 「それで?昨日はどうだったんだ?」


香苗 「……え?」


祐二 「昨日の食事会の事だよ、来たんだろ?恭子さんの彼氏も。」


翌朝、徹夜の仕事から帰ってきた祐二は、香苗が用意しておいた朝食を取りながらそう聞いてきた。


香苗 「うん……まぁ、楽しかったわよ。」


祐二 「ん?なんだよ、楽しかったって言う割には浮かない顔してるなぁ。恭子さんの彼氏はどんな人だったんだ?」


香苗 「う~ん…それがねぇ、ちょっと想像と違ったんだよねぇ。」


祐二 「へぇ、どう違ったわけ?」


香苗 「なんて言うかなぁ、こう真面目で堅そうな感じじゃなくて、どちらかと言うと活発でスポーツマンタイプ?みたいな感じだったのよ。」


祐二 「ふーん……いいじゃないか、真面目な恭子さんの相手ならそういう人の方が結構お似合いなんじゃないか?」


香苗 「ん~でもなんかねぇ……。」


活発でスポーツマンタイプというだけならそのイメージは良いはずなのだが、あのセクハラ紛い言葉やイヤらしい視線を向けてくる男性としてのイメージがある香苗は、中嶋に対する印象は決して良くない。

しかし香苗は自分が中嶋にセクハラ紛いの言葉を掛けられた事を、なぜか祐二には言えないでいた。


祐二 「仕事は?仕事は何してるって?」


香苗 「え?えーっと……確か株のトレーダーをしてるって。」


祐二 「トレーダー?企業の資産運用とかの?」


香苗 「ううん、個人でやってるんですって。」


祐二 「はぁ?個人で株のトレーダーって、株で生活してるって事か?」


香苗 「う~ん、たぶんそういう事じゃないかなぁ。」


祐二 「それは珍しいなぁ……珍しいっていうか普通じゃないよな、そんなのギャンブルみたいなモノだろ?」


香苗 「私もそう思ったけど、それで暮らしていけるのかしらねぇ。」


祐二 「なんか意外だなぁ、恭子さんがそういう生活してる人と付き合ってるなんて。」


香苗 「うん、意外だよね……。」


仕事は何かと聞かれて〝株で生活してます〟なんて、一般的にあまり良い印象はない。
昨日は仕事の話をそれ程深くまで聞かなかったが、その事も香苗が中嶋に対して疑念を抱く要因になっている事は確かだった。


香苗 「旦那さんに宜しくって言ってたわ。今度は4人で飲みましょうって。」


祐二 「あぁ、まぁ俺としては会って見ないとどんな人か分からないし。あ~でも俺仕事忙しくなりそうだからしばらくは無理かもなぁ。」


祐二の話では、職場で少し厄介な事が起きて、しばらく残業や出張が多くなりそうだという事だった。

近頃責任ある役職についたばかりの祐二。やっと仕事にも脂がのってきて、男としては忙しいけれども働き甲斐のある時期でもあった。


香苗 「そっかぁ…でも無理しないでね祐二。」


祐二 「ハハッ大丈夫だって、まだまだこのマンションのローンもあるしな、頑張り時さ。」


香苗 「昨日の夜ご飯はコンビニでしょ?これから残業長引きそうな時はお弁当作るから言ってね、栄養ある物食べないと。」


祐二 「あぁ、ありがとう……なんだか妙に優しいなぁ香苗、何かあった?」


香苗 「べ、別に私は主婦の仕事をちゃんとしたいだけよ、祐二にはいつも働いてもらってるんだし。」


実は香苗は普段あまり表には出さないが、仕事で頑張っている祐二に対して、自分の事で心配を掛けないように心掛けていたりした。それが夫を支える妻としての正しい姿勢だと思っていたからだ。

だから香苗は結婚してからは、少々の悩みなどは自分の中に閉じ込めて1人で消化していたり、少しばかり体調が悪くても祐二には気付かれないように笑顔を作っていたりしていた。

そのため一度だけ、香苗が風邪を患っていた時に、祐二にそれを隠して無理に家事をしていたためにダウンしてしまった事があり、その時は祐二に凄く怒られた。夫婦なんだから変な気は使わなくていいと。

そういうところは香苗の長所でもあり短所でもあるのだが、ある意味それが根は優しくて真面目な香苗らしい所でもあった。


香苗 「祐二、少し睡眠摂った方がいいんじゃない?寝てないんでしょ?」


祐二 「あぁ、そうだな、もう眠いわ。香苗はいいのか?昨日は遅かったんだろ?」


香苗 「え?わ、私は大丈夫よ!昨日は結局祐二と電話した後すぐにお開きになったし。」


正直に言えば香苗も眠かった。

実は昨日はベッドに入ってからも殆ど眠れなかった香苗。

その理由は、とても香苗の口から祐二に言えるようなものではない。

そう……昨日ベランダで隣の音を盗み聞きをした後、どうしようもなく熱くなってしまっていた身体を香苗は、ベッドの中で自分で慰めていたのだ。

香苗にとっては久しぶりの自慰行為であった。

思い出すだけで、香苗の頬はポッとピンク色に染まる。


祐二 「ん?どうしたんだ香苗?顔赤いけど。」


香苗 「……え?ううん!なんでもないよっ。」


恥ずかしい……余計な心配を掛けたくない……いや、それ以前の問題として香苗がそれを祐二に言える訳がないのだ。


なぜなら香苗は昨日の夜、祐二以外の男性の事を考えながら自分を慰めてしまったのだから。


15


香苗 「……はぁ……」


香苗はため息混じりに頭を抱えていた。

昨日の出来事がどうしても頭から離れない。それに昨夜ベッドの中で1人でした事も。

愛する夫以外の男性を想像しながらしてしまった事への罪悪感も香苗を悩ませていた。

非日常的な体験・記憶から早く脱したいと思っていても、ふと気付いた時には昨日中嶋に言われた事やベランダで盗み聞きした時の事を考えてしまっている。

それ程に昨日の体験は香苗にとって衝撃的で刺激的な出来事として記憶に刻み込まれてしまっていたのだ。


……時間が経てばきっと忘れる事ができる……でも、なるべく早く忘れたい…いいえ、早くこんな事忘れないといけないわ……


そんな事を考えながら香苗は日常通りの家事を続けていた。

しかし家事をする事で気を紛らわそうとしても、やはりあの記憶は頭から簡単には離れてくれない。



夜、祐二と2人で使っているベッドに入った香苗は、何かを求めるようにして横にいる祐二に身体を寄り添わせた。

祐二の仕事が特に忙しくなってからはめっきり少なくなっていた夫婦の夜の営み。

祐二が疲れているのは分かっていたが、今の香苗にはどうしても肌で感じる祐二の愛情が必要だったのだ。


香苗 「ねぇ祐二……」


横で寝ている祐二の肩を指先でツンツンと突く香苗。


祐二 「……ん?何?」


祐二がそれに反応して香苗の方に顔を向けると、香苗は少し甘えるようにして布団の中で祐二に抱きついた。


祐二 「珍しいな、香苗の方からなんて。」


香苗 「もぅ……恥ずかしいからそんな事言わないでよ。」


祐二 「そういえば最近してなかったもんな。」


香苗 「……ウン…。」


香苗のささやかな求めに応じるようにして祐二は香苗にキスをした。


香苗 「ン……ハァ……」


久しぶりに感じる夫・祐二の味。

キスをされた瞬間から、香苗は身体の奥から熱い興奮が込み上げてくるのを感じた。


ハァ……ハァ……ハァ……


自然と荒くなる呼吸。


香苗 「ン……ァ……祐二…ハァ……」


祐二の手が身体に優しく触れてくる。そして香苗の方からも手を祐二の肌着の中に入れてみる。

素肌から感じる祐二の温かい体温。心臓の鼓動。祐二の身体を弄るように手を動かす果苗。


祐二 「ハァ……今日はいつになく積極的だな?何かあったのか?」


香苗 「ン…ハァ……ううん…別に…ン……」


祐二の愛で忘れさせて欲しかった。

香苗の中にある、祐二以外の男を想像してしまったという記憶を。

香苗の中に入り込んできたあの男。

好きでも何でも無いはずの、いや、寧ろ警戒感さえ抱いている男に抱かれるところを想像してしまった事。

そう……まだ一度しか会っていないあの中嶋に抱かれるところを想像してしまった記憶を、香苗は祐二の愛で打ち消してもらいたかったのである。


香苗 「ァァ……祐二…ハァ…好き……愛してる…ハァ……」


布団の中で生まれたままの姿になった2人は、お互いの愛を確かめるように肌と肌を合わせた。

そして祐二の手はゆっくりと香苗の大事な部分へと流れていく。


香苗 「……ァン……」


祐二 「ハァ……香苗…凄い濡れてる……」


香苗 「イヤ……言わないで……」


祐二の言うとおり、今日の香苗の興奮はいつもより数倍大きなものであった。

こんなにも男の人を、祐二を欲しいと思ったのは初めてかもしれない。

恋人、夫婦として今まで何度も身体を重ねてきた事のある祐二、そして香苗自身でさえも、香苗はこういった性的な事には淡白な方だと思っていた。

もちろん男女の関係において大事な事だという認識はあったが、正直自分から求める程好きではなかったというか、生活の中で優先順位がそれ程高いものではなかったというのが、香苗の本心だった。

しかし今の香苗は違う。

こんなにも身体が疼くのはどうしてだろう……。


香苗 「ハァ……祐二……早く…ハァ……」


殆ど愛撫の必要がない程に濡れていた香苗の秘部は、すでに祐二のモノを欲していた。

祐二もいつもとは違う、香苗の火照った表情に興奮を掻き立てられる。

香苗の潤んだ目が自分を欲してくれている。

こんなに欲情している香苗を見るのは初めてかもしれない。


祐二 「香苗…ハァ……入れるぞ?」


香苗 「……ウン…」


ストレスの多い最近の生活の中ではなかったくらいに固く勃起した祐二のペニス、その先端が香苗の濡れた秘裂に当てられる。

そして祐二はゆっくりと腰を前に進めた。


香苗 「……ン……ァァ……」


自分の身体の中に祐二が入ってくるのを感じると同時に、香苗は祐二の愛に身体が満たされていくような幸せを感じたのであった。


16

祐二は隣でグッスリと眠りについている。やはり仕事で疲れが溜まっているのか少しイビキも掻いているようだ。


香苗 「……」


もう時計が0時を回ってから大分経っていて、すっかり夜中だ。

香苗もいつもなら疾うに寝ている時間帯である。


……どうしよう…寝れないわ……


子供の頃から大人になるまで、両親の教育のお陰か至って健康的な生活を送ってきていた香苗。

夜更かしなどはなるべくしないようにしていたし、規則正しい生活で夜眠れなくなる事なんて殆ど無かった。

それが昨日に引き続き今日もこんなに眠れなくなってしまうなんて、香苗にとっては珍しい事であった。

そうだ……香苗は昨日も同じように寝れなかったのだ。

身体の中に溜まっていたモヤモヤとしたモノがどうしても解消できなくて。

そして今香苗が眠れない原因も、実は昨日と同じであった。


香苗 「……はァ……」


隣で祐二が眠るベッドを抜け出した香苗は、リビングで温かいお茶を入れて口に含んだ。


……どうしてなの?……・


寝間着の上から自分の下腹部にそっと手を当てる香苗。

香苗は自分自身の身体に戸惑いを感じていた。


……さっき祐二としたばかりなのに……


そう、先程祐二と性的交わりを終えたばかりだというのに、未だに香苗の身体にはモヤモヤとしたモノが残っていたのだ。

いや、今やモヤモヤなんて生易しいモノではない。

それは昨日よりも、そして今日祐二と交わる前よりも酷くなっていたのだ。

身体が疼いて疼いてたまらない。

思わずテーブルの下で腿と腿をすり合わせてしまう香苗。


……イヤ…どうして……


祐二とのSEXに幸せを感じていたのに、満足感を感じていたはずなのに、香苗の身体はまだまだ足りないと言わんばかりに疼いている。


香苗 「……ハァ……」


どうして?と、心の中で自問する香苗であったが、それは決して香苗の本心ではなかった。

本当は心の奥にある気持ち、香苗の本心はその答えを何の疑いもなく知っている。


香苗は…もっと多くの性的快感を欲していたのだ。


そして香苗は今、逃れようのない現実にぶつかっている。


〝自分は、いや、自分の身体は祐二とのSEXに満足していないと〟


香苗は今、女性の身体に生まれて初めて感じているのであった。性的な欲求不満というものを。


香苗 「……ダメ……」


香苗は思わず首を横に振った。

認めたくなかったのだ、そんな風に夫のSEXに不満を抱き、身体を発情させている自分を。

そして香苗は今心の中で闘っていた。

どうしようもない程に自身の股間に手を伸ばしたくなっている自分と。


香苗 「……ァァ……」


自分の意思とは関係なく、頭の中に淫らな妄想が勝手に拡がっていく。


……イヤ……ダメよ…ダメ……


拒否すればする程、駄目だ駄目だと自分に言い聞かせる程、なぜかそれはエスカレートしていってしまう。

香苗の脳内に拡がっていく妄想は徐々に鮮明な映像に変わっていく。

そしてその映像の中に今ハッキリと1人の男の姿が現れたのであった。


香苗 「……ゴクッ……」


その瞬間思わず生唾を飲み込んだ香苗。

香苗の頭の中に現れた男、それはもちろん夫の祐二ではない。

祐二よりも大きく逞しい肉体、あのイヤらしい目付き、言葉……何かは分からないが、明らかに同じ男性でも祐二からは感じない何かを持っているあの男。


そう……それは中嶋だ。


中嶋が頭の中で香苗に声を掛けてくる。


中嶋 『どうしたんですか奥さん、そんな顔して……』


香苗 『ぇ……?』


中嶋 『へへっ……惚けたって俺にはすぐに分かるんですよ、奥さんが今何を考えているのか。』


香苗 『な…何を言ってるんですか……』


中嶋 『奥さん…ホントは凄くエッチなんでしょ?俺奥さんの顔を一目見た瞬間に分かりましたよ。あ~この女エロいだろうなぁ……飢えてるんだろうなぁ……てさ。』


香苗 『……イヤ……』


中嶋 『奥さん正直に言ってくださいよ、いつも我慢してたんでしょ?旦那との退屈なSEXに』


香苗 『……そんな事……』


中嶋 『ほら、今だって顔に分かりやすく書いてあるじゃないですか。〝私は欲求不満な女です〟ってさ。』


香苗 『……』


中嶋 『いいんですよ奥さん、俺の前では本性を剥き出しにして淫らになっても。』


香苗 『……中嶋さん……』


中嶋 『ほら…我慢しなくていいんです。』


香苗 『……ン……』


中嶋 『そう、手を奥さんの一番エッチな所へ……思う存分気持ち良くなればいいんです。』


香苗 『ハァ……ァァ……』


香苗は妄想の中にいる中嶋の指示通りに自ら手を寝間着の中、疼いて疼いて仕方ない秘部へと持っていってしまう。


……もう……ダメ……我慢できない……


クチュッ……


指先に感じた湿った感覚、香苗のアソコは自分でも信じられない程濡れていた。

その原因が今香苗の頭の中にいる男の存在にあるという事は、香苗自身も疑いようの無い事実であった。

香苗の身体は中嶋に濡らされていたのだ。


17


……ハァ……こんなに……


自分の愛液に濡れた指先を火照った表情で見つめる香苗。

そしてゆっくりと目を閉じ、再びその手を下へと移動させる。

明かりを消し薄暗くなったリビングのソファで、香苗は本格的な自慰行為を始めたのだ。


香苗 「……ン……ァ……ハァ……」


夜中のリビングに小さく響く、香苗の湿った声と息遣い。


中嶋 『そうです奥さん…ほら、空いてる方の手で胸も揉んでみたらどうです?俺に激しく揉まれるところを想像してみてくださいよ。』


妄想の中で耳元に囁いてくる中嶋の言うとおりに、香苗は片方の手を自身の胸の膨らみへと移動させる。

寝間着のボタンを外し、乳房を露出させると、先程祐二の前で裸になった時とは違う興奮を感じた。

それはここがリビングだからなのか、それとも妄想の中に中嶋が居るからなのかは分からない。


香苗 「……ンッ……」


白く柔らかな乳房をゆっくりと揉み始める香苗。


中嶋 『乳首も……勃起させるともっと気持ちよくなりますよ。』


香苗 「ン…ハァ……」


乳首を人差し指と親指で摘まんだり転がしてみたり、すると香苗の乳首はあっという間に固くなり勃起する。

胸と股間にそれぞれ手を伸ばし、淫らに性感帯を刺激する人妻。

夜中の薄暗いリビングで発情したメスの姿を露わにした人妻。


香苗 「ァ……ン……ハァ……」


愛液が付着しヌルヌルと滑りのよくなった指で特に敏感な陰核を刺激してみる。


香苗 「…アッ……」


触った瞬間、香苗の口から思わず声が漏れる。

香苗の自慰行為は主にその陰核への刺激によるものだった。

自分の身体の中で一番はっきりとした快感を感じられる場所であるクリ○リス。

香苗はそこを集中的に刺激し続ける。


香苗 「ン……ァ……ン……ン……」


中嶋 『へぇ~奥さん、クリが好きなんですかぁ、ヒクヒクしますよ?イキそうなんですか?』


イキそう……?


香苗は昨日聞いてしまった恭子の喘ぎ声を思い出した。


……アッアッ…ンーー……アッアッイクッ……イクッ……ンァアアッ!!……


あんなに切羽詰った声。いや、あんなに気持ち良さそうな声を上げていた恭子。

香苗は今までの人生で性的な快感絶頂を経験した事がなかった。

それは高校時代に初めて覚えた自慰行為でも、そして今まで付き合った恋人や今の夫・祐二とのSEXでも。


……イクのってどんな感じなんだろう…そんなに気持ちイイの……?


今までの自慰行為でも身体が熱くなって、何かが近づいてくる感覚はあった。

でもなんだかそれを迎えてしまう事が、頂に達してしまう事が怖くていつもできなかった。


中嶋 『イッた事がないんですか奥さん、では今日はイクところまで刺激してみましょう。』


香苗 「ハァ……ァァ……」


中嶋 『怖くないですから大丈夫ですよ、凄く気持ちいいですから。』


香苗 「……ん……」


中嶋 『ほら、手をもっと激しく動かして、乳首も少し痛いくらいに摘んで…そうです…イクまで止めちゃいけませんよ。』


香苗は妄想の中の中嶋に煽られながら、自分の身体を刺激する手をより激しく、より淫らにしていく。

身体がどんどん熱くなっていくのが、そしてあの頂が近づいてくるのが、今まで経験した事がないにもかかわらず本能的に分かる気がする。


香苗 「ン……ァ……ハァ……アッ…ン……」


寝室に祐二がいる事も忘れて、快感に浸る香苗。

夢中になっているのだろう。ソファの上で乳房を曝け出し、股も普段の香苗では考えられない程だらしなく開いている。

今自分がどれだけ淫らな格好をしているのか、香苗は気付いていない。


中嶋 『……イヤらしいですねぇ奥さん……』


ピチャピチャピチャ……


香苗 「ハァ…ンン…ン…ンー……」


ついには大量に溢れ出した愛液が指の動きに合わせて音を立て始めた。

そんなイヤらしい粘着質な音も、今の香苗にとっては興奮の材料にしかならない。

無意識の内にわざと音が鳴るように指を動かしている自分がいる。


ピチャピチャピチャ……


香苗 「ああ……ハァッ……ハァ……ンン……」


気持ちが高ぶり、声も自然と大きくなっていく。


中嶋 『もうイキそうなんですね?指は止めないで、そのままイってしまいましょう。ほら、さらに激しくして……もっとです、もっと激しく。』


香苗 「ああ……ハァン……アッアッ…ンーー…」


絶頂はもう目の前まで来ている。

初めての経験という恐怖から、一瞬指を止めてしまいそうになった香苗だったが、なぜか頭の中の中嶋の声に従ってしまう香苗は指を止める事ができない。


……ああ……もうダメ……もうダメッ……


ソファの上で目を閉じたまま身体を仰け反らせるようにして顔を天井に向ける香苗。

気持ちよすぎる快感がもうその決壊を向かえそうだ。


中嶋 『イキそうでしょ?イキそうなんだろ奥さん?イク時はイクって言うんですよ、昨日の恭子のように……言えばさらに気持ちいいですから……さぁ、思う存分イってください。』


クチュクチュクチュチュクチュ……!


香苗 「アア……ンッンッンッ…ハァァァ!」


身体の奥から吐き出すような喘ぎ声がリビングに響く。

ジェットコースターで一番高い所へ到達し、そこからグワンッと身体が一気に真下へ向かっていくような感覚だった。

身体をさらに仰け反らせ、ソファから腰を大きく浮かせる香苗。


そしてついに、


香苗 「ハァァンッンッンッ……ああ!……イッ……イクッ……アンッ!……」


ビクビクビクビクビクン……!!!!!


真っ白になる脳内、震える身体、痺れる感覚、そして…信じられない程甘い快感が香苗の全身に広がる。

こうして香苗は、妄想の中の中嶋に誘導されるようにして、人生初の快感絶頂を迎えたのであった。


18


祐二 「じゃあ、行って来るわ。」


香苗 「うん、いってらっしゃい。」


朝、仕事に向かう祐二をいつも通りに見送った香苗。

笑顔で見送ったものの、祐二が出て行くと香苗はすぐさまその場で欠伸(あくび)をしてしまった。

完全に睡眠不足だ。2日続けての夜更かしが原因である。


香苗 「……はぁ……」


そして欠伸をしたかと思えば、今度は深いため息が口から漏れる。

キッチンに戻って朝食で使った食器を洗いながら、香苗は同じようなため息を何度も出していた。

その原因はやはり、昨日夜中に自分がしてしまった事だ。


夜中に1人でリビングでした自慰行為。

昨日はなぜか信じられない程興奮している自分がいて、女性として初めての快感絶頂も体験してしまった。しかも夫・祐二とのSEXの後にだ。

身体の中心を突き抜けるような刺激的な快感。

これがイクという事なんだと、その女性だけが経験できる快楽に悦びを感じている自分がいて、そして素直にイク事は気持ちイイのだと全身をもって感じた。

絶頂の余韻に身体を震わせながらそんな事を本能的に感じていた香苗。

しかし、その後に香苗を襲ってきたのは強烈な罪悪感と後悔だった。


香苗は真面目な女性だ。

妄想の中とはいえ、祐二を裏切ってしまった自分が許せなった。

香苗は妄想の中であの男、中嶋の声によって人生初の快感絶頂へと導かれたのだから。

夫以外の男性に性的な感情を抱いてしまった自分が情けない。

自分はそんなにだらしない女だったのかと、心の中で強く自分を責めた。

その後しばらくソファの上で泣き続けた後、香苗は祐二がいるベッドの中に戻った訳だが、仕事に疲れてグッスリ眠っている祐二の顔を見ると余計に辛かったし、今朝の祐二が仕事へ向かう姿を見るのも辛かった。


……祐二は一生懸命私のため、家族のために頑張ってくれているのに……


そんな強い罪悪感と後悔を感じる中で、香苗は強く心に決めるのであった。

もうあんな裏切り行為はしたくない、いや、絶対にしない。

心の中だけでも他の男性の事を考えるなんて、そんな事はもう二度とあってはいけない。


……私は祐二の妻で、祐二は私を愛してくれてるし、私も祐二を愛してるんだから……


祐二を愛してる……それは香苗の心に確かにある揺ぎ無い気持ち。

それを再確認した上で、罪悪感や後悔が大きかった分、香苗のその決意は固いものであった。


そう……少なくともこの時は香苗の決意は相当に固いものであったのだ……この時は……。


朝の洗濯という仕事を終えた香苗は少し仮眠を取る事にした。

昼間から寝てしまうような主婦にはなりたくないと思っていた香苗だったが、今日は別だ。

少しでも睡眠をとらないと晩御飯の仕度にも支障がでそうだし、今日は食材の買出しや祐二に頼まれている銀行の手続きにも行かないといけない。

こうやってまた家事に集中できる生活が戻ればあんな事はきっとすぐに忘れられる。香苗はそう考えて気持ちを切り替える事にした。

お隣でせっかく友達になれた恭子だったが、もし次に中嶋が来るような機会にはしばらく参加しないでおこうと思った。

中嶋という男をそんな風に変に意識する事自体間違っているような気もしたが、よくよく考えてみればみる程、やはり香苗は元々あんな風にセクハラ紛いの言葉を女性に対して平気で掛けてくる男性が好きではなかった。

祐二もしばらく仕事で忙しいと言っていたし、恭子だって同じように忙しいだろう。どうせそんな機会しばらく無いとは思うが、もし誘われてもやんわり断ればいい。

そんな風に自分の中で考えをまとめ、ある程度気持ちを落ち着かせる事に成功した香苗は、目覚まし時計をセットして仮眠のためベッドに入った。


……大丈夫、すぐに忘れられるわ…ううん、もう気にしてないんだから……元に戻ろう……


ベッドの中で目を閉じ、そう何度も自分に言い聞かせる事で安心できたのか、香苗はすぐに眠りの世界へと落ちていった。

安心という感情は良質な睡眠のために絶対に必要なもの。

大きな後悔から、なんとかある種の安心を生み出す事ができた香苗は、気持ちよく眠りの世界に浸っていた。


しかしこの後、香苗は思わぬ形で眼を覚ます事になる。


19


「え~スゴ~イ!ホントにいい部屋じゃん!」


「だろ?ここ昼間は俺の自由に使えるからよ。」


微かに聞こえる、男女の声。

せっかくよく眠っていたのに、どうしてこんなに小さな声が耳に入ってきてしまうのだろう。


「いいなぁ私もこんな部屋に住んでみた~い。」


「ハハッだったら金持ってる男でも捕まえるんだな。」


どこかで聞いた事のある声。


香苗 「……」


まだ半分眠りの中、ボンヤリとした頭で香苗はその声が誰のものかを思い出そうとしていた。


……祐二……じゃない……祐二の声はもっと安心できる声だもの……


……じゃあ誰なの?……何……この感じ……


なぜかこの微かに聞こえる声に集中してしまう香苗。


香苗 「……ん……」


そして香苗はその気に掛かる声のせいでついに目を覚ましてしまう。

そっと目を開け、ベッドから顔を上げる香苗。

時計を見るとまだ昼前、あと1時間くらいは眠っている予定だったのに。


「へぇ~その人トミタで働いてるんだぁ、じゃあエリート?よくそんな人をモノにできたね。」


「そういう女程普段から色々と我慢して溜め込んでるからな。金持ってるだけじゃなくてそいつ結構いい身体してるしよ、最近の女の中じゃ1番だな。」


「え~じゃあ私はぁ?ていうか英治って最低な男ね、フフッ……」


声は微かに窓の外の方から聞こえる。


香苗 「……中嶋さんの……声…?」


隣のベランダで話をしているのか、それとも窓を開けたまま大声で話しているのか。このマンションはそんなに壁が薄くはないのだから。

声は中嶋のものともう1人、女性の声が聞こえるが、それは声質からして明らかに恭子のものではないように思えた。


……恭子さんは仕事のはずなのに、どうして中嶋さんがいるの……


そんな事を考えながらゆっくりとベッドから起きて寝室からリビングの窓の近くまで歩いていく香苗。

無意識の内にもっとその声がハッキリと聞こえる場所へと向かってしまう。


……この女性の声……誰なの?


初めて聞く声だし、それにその言葉使いなどから考えると随分と若い女性なのではないかと香苗は思った。


香苗 「……。」


香苗は窓の鍵をゆっくりと下ろして、窓を音がしないようにそっと数cmほど開けた。

寝る前にもう中嶋の事は気にしないようにと心に決めていたはずだったのに、まだ眠りから覚めたばかりの香苗は、ボンヤリとしたままそんな事は考えいなかったのかもしれない。
ただ、なんとなくこの女性の声が気になっていたのだ。

窓を開けた事で声はよりハッキリと聞こえるようになった。


中嶋 「まぁ正直恭子にも最近飽きてきたけどなぁ、でもアイツ金持ってるからなかなか捨てれねぇんだわ。」


「フフッ…ホント悪い人。」


中嶋 「へへ……でもそんなお前も俺に夢中なんだろ?」


「自惚れないでよ、英治とはこっちだけ……」


中嶋 「そんなに俺のコレが好きか?」


「……うん……」


中嶋 「彼氏のよりもか?」


「……うん……だって、英治って凄過ぎるんだもん。」


中嶋 「今までの男達と比べてもか?」


「うん…ダントツで……だから……ねぇ…」


中嶋 「おいおい、もう我慢できねぇのかよ、仕方ねぇなぁ。」


いつの間にか先日と同じように隣から聞えてくる声を盗み聞きしてしまっている香苗。

窓の近くにしゃがみ込んで耳を少し開けた窓の外へと向けている。

胸がドキドキと高鳴って、先日の記憶が蘇ってくるようだった。


……何…してるの…恭子さんの部屋で……


「うん……我慢できないよ…だって英治とは久しぶりだし……」


中嶋 「ずっと彼氏ので我慢してたのか?」


「もぅ……彼氏の事は言わないで……」


中嶋 「俺の代わりをできる奴はそうはいないからなぁ。」


「……なんかもう別れようかぁって最近思ってるし……」


中嶋 「SEXに満足できないから別れますってか?エロい女だなぁお前も。」


「……だってぇ……」


中嶋 「フッ…でも別れるなよ、これは俺の命令だ。人の女じゃないとあんまり興奮しないんだわ俺。」


「もぅ……ホント変態だよね、英治って……」


中嶋のその言葉を聞いて香苗は胸をつかれたような思いになった。


香苗 「……」


……人の女……


自分の事を言われた訳でもないのに、香苗がその言葉に反応してしまうのは、『人の女』という条件に既婚者である自分は該当してしまっているからかもしれない。


20

少し静かになって隣の雰囲気が一気に変わった事が分かった。


「ン……ァ……ン……」


微かに聞こえる女性の吐息。

男女2人が何かを始めた事は確かであったし、何を始めたのかは容易に想像できる。


香苗 「……ゴクッ……」


思わず生唾を飲み込む。

先日と同じように、またも隣の部屋の世界へとのめり込みそうになる香苗。

しかしふとした瞬間、香苗は一瞬我に返った。


……はっ……わ、私……何やってるのよ…またこんな盗み聞きみたいな事……


自分がしている他人の生活を盗み聞くという普段では考えられない異常な行動に、香苗は今再び気付いたのだ。


……ダメ……ダメよ……


香苗は何度も頭を横に振り、心の中で自分にそう言い聞かせると、そっと立ち上がり開けていた窓をゆっくりと閉めた。

窓を閉めたら殆ど声は聞こえなくなったが、よーく耳をすますと微かに聞こえるような気もする。


……もう気にしないって決めたんだから……騒音って程うるさい訳でもないし……気にしなければ聞えないはずよ……


部屋の時計を見ると、もう買い物に出掛ける予定の時間だ。

香苗はお茶を一杯飲み落ち着きを取り戻すと、出掛ける準備を始めるのであった。



香苗 「中嶋さんってやっぱりああいう人だったのね、他の女の人を恭子さんの部屋に連れ込むなんて最低だわ。」


車を運転しながら運転席で香苗はブツブツと独り言を呟いていた。

それにその様子はどこか怒っているようにも見える。


香苗 「それに恭子さんが可哀相だわ……あんな……」


〝でもアイツ金持ってるから捨てれねぇんだよなぁ〟


香苗 「……さいっ低!!最低っ!女の敵よ!あんな男。」


どうやら冷静さを取り戻してからは、中嶋が言っていた言葉を思い出し、それに対して怒りが収まらないらしい。

そして同時に香苗は自分自身にも腹が立っていた。あんな男の事を考えて恥ずかしい事をしてしまった自分に……考えれば考える程腹が立つ。


香苗 「恭子さんに…教えてあげた方がいいのかしら……」


恭子さん、あなたの彼氏…中嶋さん浮気してるわよ、しかも他の女の人を連れ込んでるわよ…


香苗 「……はぁ…でもそんな事簡単には言えないわ、きっと恭子さんその事知ったら深く傷つくもの。」


先日の食事会で恭子が楽しそうに、幸せそうに中嶋と話していたのを思い出すと、心が痛む。

そしてそんな恭子を裏切っている中嶋への嫌悪感がどんどん増してくる。


香苗 「どうしたらいいのかしら……友達としてほっとけないわ。」


香苗はそんな風に頭を半分抱えたように悩みながら買い物をしていた。

せっかくできた大切な友人。恭子が隣に引っ越してきてくれてどんなに嬉しかったことか。

あんなに礼儀正しくて優しい恭子…しかし、そんな恭子の相手が中嶋のような男とは、やはりどうしても納得できない。


……同じ女性として尊敬さえしていた恭子さんがあんな男に騙されてるなんて……


人は誰にでも欠点はある。

一見完璧に見える恭子も、男性を見る目はあまり無かったという事だろうか。

なんにしても、やはりこのまま中嶋がしていた事を友人として見過ごしたくはなかった。


香苗 「今夜、祐二に相談してみようかな……」



買い物を終えた香苗はマンションの地下駐車場に車を止めて、両手に買い物用バッグを抱えながらエレベーターへと向かった。


……そういえば祐二、今日も遅くなるかもしれないって言ってっけ…早く帰ってきてくれるといいなぁ……


なんとなく今日は早く祐二の声が聞きたい気分だった。

それは午前中にあんな事があったからだろうか。

自慰行為の罪悪感を感じてから、香苗の心の中では逆に夫・祐二との愛を確かめたいという気持ちが沸きやすくなっていたのかもしれない。

そんな事を考えながらエレベーターを待っている香苗。

しかしその時だった。


香苗 「………?」


ふと、香苗は背後から人の気配を感じた。


中嶋 「あれぇ?奥さん!ハハッ偶然だなぁ!買い物の帰りですかぁ?」


その声に驚くようにして振り返る香苗。


香苗 「……な、中嶋さん!?」


香苗の表情は明らかに動揺しているようだった。

しかしそれは仕方のない事なのかもしれない。
振り返った香苗の目の前には、あの中嶋がニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべながら立っていたのだから。

メンメンの官能小説
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